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「うわ、やばー!!」
「あんまり騒ぐなよ」

 彼の車で送ってもらって、会場につくと煌びやかなシャンデリアが視界をキラキラと刺す。先着予約限定の、高級ホテルのスイーツビュッフェだ。有名なジュエリーブランドがコラボしているというだけあって、目につく限りの場所には小さな細工ながらも光を跳ね返す宝石やプラチナが飾られていた。

「良いじゃん。こんなところ、ミーハーな女子しかこないって」

 声を大きくしたことを咎められて、私は悪戯に笑った。スコッチはそれ以上口を挟むことはなく、一つため息をついた。それが返事なのだろう。
 だって、事実高級ホテルの高級ジュエリーブランドとのコラボビュッフェと言えど、周りにいるのはチケットを必死に争奪した一般人たちなのだ。まあ、本当の金持ちだったら別にコラボ品を食べることもないだろう。

 というわけで、一般人の前で一般人が騒ごうが別に恥でもみっともなくもあるまい。せいぜい「あらお上りさんなのね〜」と心の中でマウントを取られて終わるだけである。ならいっそ、この空間を目いっぱいに楽しむとしよう。

 ケースに並べられたスイーツたちは、どれも宝石やアクセサリーを模したような形をしていて見ているだけでも心が躍る。機嫌よく皿いっぱいにスイーツを取って席に着くと、スコッチは猫のような目つきを見開いた。

「そんなに食べるのか」
「だって、ビュッフェだよ? 食べなきゃ損じゃん」
「にしたって、ケーキばっかり……」
「逆にそんだけで良いの。元取れてないよ」

 彼の皿の上に乗っているのは、ブランドのロゴがデザインされたティラミスが一つと、コーヒーが一杯。そんなものそこらへんのカフェで食べれるだろうに。パールネックレスの形をしたチョコレートをぱくっと口に運びつつ、ちんまりとした彼の皿を見た。

「いや、でも、他の人だって別にたくさん食べてないだろ」

 と、声を潜めて周囲に視線を遣った。確かに周りにいる綺麗なワンピースを着た女の子たちも、皿の上に二つや三つほどのスイーツを乗せて会話を楽しんでいるようだった。私は彼の視線を追ってから、肘をついて鼻を鳴らす。



「そりゃ、そうでしょ。あの人たちはまた来れるんだもん」


 そう告げれば、彼はコーヒーカップのハンドルに触れた指先を一度だけピクリと動かした。
「ああやって生きてれば、そのうち同じようなイベントがあって、また今みたいにオシャレしてくるんじゃないの? 私たちとは違うんだから」
「そうかもな」
「スコッチなんて尚更食べときなよ。好きなものとかないの、取ってきてあげようか」
 皿を持ち立ち上がると、彼は私を宥めるように軽く中指の爪先を握った。きゅっと引かれて、言葉はないのに「座って」という意味なのは伝わった。

「……ミチルさんは、甘いものが好きなんだな」

 彼は、ふとそう零した。私はスコッチの話をしていたのに、と思いながらも、小さく頷く。確かに甘いものは好きだ。最初は栄養失調気味の本能で糖分が多いものを選んで食べていた所為だったが、今ではすっかり甘さに舌が慣れてしまった。

「オレは、そんな好きじゃないんだ。甘いもの」
「……あ、そうなの」
「ああ。君のそういうところは直した方が良いかもな」

 スコッチは苦笑交じりにコーヒーを傾けた。こおばしい香りが漂った。フォークを軽くひらっと振りながら「そういうところ」とオウム返しに尋ねる。スコッチは「それも」と呆れたように私のフォークを下ろさせた。

「クリームついてるのに、行儀悪いだろ」
「えぇ、良いじゃん別に。誰にも当たってないし」
「良いから、オレが気になる」

 うんざりと言われて、私は仕方なしにデザートフォークを下ろした。彼は私が大人しく手を引っ込めたのを見て、「兎に角」と続ける。



「自分の境遇や価値観を人に押し付けちゃ駄目だ。それが悪意であろうと善意であろうと、他の誰かにとってミチルさんの考えは全く違う視点から見えてるんだから」
「境遇や価値観……」
「今だって、自分が甘いものが好きだから、オレに食わせようとしたんだろ? でもそれはオレから見たらただの善意の押し付けになる。それを忘れちゃ駄目だ、ココは柔軟じゃないと」


 トントン、とリングの光る人差し指が彼自身のこめかみを突く。私は僅かに眉間に皺を寄せて、彼の言葉をなんとか飲み込んだ。確かに、先ほどの言葉は押し付けがましかったかもしれない。そう思えば、彼の言うことは理解できた。

「でも、人の立場ばっか考えてられないよ」
「誰も思いやれなんて言ってない。忘れずに理解しないと。前も言っただろ、自分のことを理解しろって」

 ティラミスの上に彩られたロゴを、小さなスプーンが崩していく。デザート用の小さなスプーンは、スコッチの手にあるとまるで玩具のようだ。さほど体格が大きなほうではなかったが、手のひらは大きいのだなあと思った。
 数秒置いて、彼が前言った≠アとを思い出す。自分の中では黒歴史に近い感情の昂りだったので、思わず記憶の底に封印しかけていた。

「それは……」
「自分が何を目的にしていて、何を一番大切にしていて、何に対して怒るのか、喜ぶのか――。それが分からなきゃ人に嘘はつけないさ」
「今までたくさんついてきたよ」
「一時しのぎだろ。長く付き合うとバレるから、逆手に取られたんだ」

 彼はスプーンを置くと、肘をついてこちらに向かって長い指をピっと指した。

「自分のことが理解できるからこそ、人の立場を理解できる。偽りの誰かに成りすますなら、自分を理解したうえで自分を消さないといけない。――だろ?」
「……ま、そうかも」

 気まずく頷いた。まるで説教されているようで、気恥ずかしかったのだ。歯切れ悪く返事をしたら、スコッチは眉を下げて「なんてな、受け売りだ」と笑う。

「ていうか、それならそうって最初から言ってくれれば良いじゃん。あんな言い方したから怒れたんだけど」
「馬鹿言えよ。敵の力になるようなこと言ってどうする?」
「なら何も言わないでよ!」
「ムカついたから」

 いけしゃあしゃあと言ってのける余裕ぶった表情に、私は小さく歯を剥き出しにした。スコッチはそんな私の顔を見て、可笑しそうにククっと笑った。その無精ひげを引っこ抜いてやろうかと思っていたが、ふと先ほどの言葉が引っかかる。



「それ教えたってことは、今は敵だと思ってないってこと?」


 きょとんと尋ねてみたら、スコッチは明らかに「しまった」という感情を表情に乗せ、渋そうに瞼を落とした。
「揚げ足取りばっかり上手い」
「褒めてるの?」
 ふっと肩を揺らして笑う。スコッチも小さく肩を竦め、ふう、と些か長い息をついた。それはいつもつくため息とは、少しばかり異なるような、長く細い息だ。


「一時的には敵じゃないと思っているよ。それはそれとして、好きじゃないけどな」


 一言余計だと思いながらも、彼の薄い瞼が落ちて、俯く表情は嫌いではなかった。薄い瞼に青い血管が浮いているのが見える。薄い睫毛の束から、彼の小さな瞳が覗く。ジュエリーだらけの内装で、何故か彼の瞳が一番光を跳ね返しているように見えた。瞼が持ち上がり、すっと前を見据えたときに、ランプの灯りがキラキラっと瞳の中に星を作っていく。


「――でも、ありがとう。心配してくれたのは分かったよ」


 殆ど笑ってはいなかった。またあの顔だ、口の端だけが僅かに持ち上がった。涙袋がほとんどない、涼やかな目元が本当に僅かにきゅっと細くなる。私は「心配じゃないけど」、なんていう、思春期の男子も真っ青のようなセリフしか吐けなかった。