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 猫のような瞳が、私を見て瞬く。
 赤井は細いティーカップのハンドルを摘まんで、僅かに首を傾げた。その顔で見られると弱いのだが――私に合わせて頼んでくれたフレーバーティーが、彼の手元で揺れた。今日の空はさんさんと日を差しているけれど、テラス席に座るには外気が冷たい。すぐ傍にあるテラスとフロアを繋ぐ扉が、開閉するたびにフワリと棘のような空気を運んだ。

「そんなに驚かなくても」
「ああ――そうだな。そうなんだが」
「じゃあ、嫌ですか?」

 彼の返答を急かすように言葉を選んでしまったのは、私の心にも余裕がない所為だ。一刻も早くイエスと頷け、と顔に出さない感情が叫んでいる。

 ――クリスマス、一緒に過ごしても良いですか?

 たった一言。それもクリスマス直前に告げた。
 その気があるのなら赤井から誘っているだろう、きっと仕事があるのだ。思う裏腹、このワンチャンスを逃すわけにはいかないと思った。映画を誘ったときとは違う。私は彼に気があったし、映画とは異なり当日に予定が入っていればこの誘いは無意味だからだ。

「クリスマスか、そんな季節だったんだな」

 彼は驚いたように、カップをソーサーに下ろして独りごちた。

「忘れてたんですか」
「そうでなければ君を誘っていたよ」
「お仕事とかは……」
「アッチじゃクリスマスは正月より大イベントだ。一言添えれば楽勝さ」

 にこ、と穏やかそうな眼差しが微笑む。
 よっしゃー! とガッツポーズを決めてダンダンと足元を踏み鳴らす衝動を抑え込み、何とか小さく拳を握るだけに留めた。機嫌よく「何しましょうかね〜」なんてスマートフォンで情報を調べようとすると、赤井がその手を遮った。

「今からじゃ、それなりの店は予約も取れんだろう」
「……確かに」

 クリスマスメニューとかプランとか、恐らく世の人たちはずっと前から用意をするものだろう。直前に評判の店を取ろうとしても、すでに満席であることは想定できる。赤井は困ったように頷いた私に、人差し指をピンと立てて提案をした。

「それより、どうだ。ホームパーティにしないか」
「ホームパーティ……」
「まずはそうだな、今からツリーでも買って帰ろう。当日はそれに飾りをつけて、軽い料理をする。買った肉を焼くなり、ビーフシチューを作るなり――」
「それ、めっちゃ楽しそう!」

 私は喜んでその話に食いついた。
 彼もまた小さく笑って頷く。しかし、すぐにそれはもしかすると彼の家に行くということだろうか――という考えに至り、下唇を小さくした。赤井はそんな私の姿に見かねたのか、それとも同じことを考えたのか、苦笑いして頬杖をつく。

「いや、俺の家じゃ大したツリーは買えないからな。以前世話になった家があるんだ。大きな洋館でね」
「でも、クリスマスでしょ? そのお家の人たちに迷惑なんじゃない」
「家主はいつも世界を飛び回って仕事をしているし……息子もいるが、たぶん家にはいないだろうな。連絡は入れてみるよ」

 言うなり、彼は自らの携帯を取り出して誰かに連絡を取り始めた。恐らく、彼の言う家主の息子だろう。なんだか事が大きくなってしまって、申し訳ない。これなら、父親が口を挟むかもしれないが我が家に招待するべきだったかもしれない。
 コール音は、思いの外長く続いた。暫く電話を掛ける赤井の顔に見惚れていたら、スピーカーから『はい』と声が聞こえる。爽やかな声は、恐らく赤井よりは年下のような感じがした。(以前の降谷の件もあるので、あまり決めつけも良くない。)

「突然悪いな、ところでクリスマスの予定はあるかな」
『はい!? いや、俺クリスマスは毎年……』
「ああ、安心したよ。今年もセンタービルのレストランに行くんだろう」
『知ってたなら聞かないでくださいよ。珍しいですね、事件ですか?』

 赤井は電話の向こうの男に、ホームパーティの話を持ち掛けた。些かハラハラとした想いを拭えないまま見守っていたが、思いの外すんなりと電話口の男はそれを快諾する。

『赤井さんからの電話なんて滅多にないだろ。ビビりましたよ。そんなことなら俺より父さんに言えば良いのに』
「優作さんは今ロンドンだろう。新作の取材中だと、有希子さんからカードが来た」
『あの人もよくやるよなぁ……。とにかく、好きに使ってくれて構わないから。――あ、もしかして、今から来ますか?』

 赤井が相槌を打つと、男は声を弾ませたように『分かりました』と笑った。電話を切る直前に、他にいる誰かに声を掛けているような様子が窺えた。赤井はスマートフォンを置いて、私のほうに視線を戻す。

「仕事の人ですか」
「いや、仕事――少し言葉選びが難しいな。世話になった、というのが矢張り一番しっくりくるよ」

 私はその言葉の意味が分からず首を傾げたままだったが、赤井が子どものようにツリーを買う場所を吟味しはじめたので、この話は掘り下げずとも良いことにした。

 やはりアメリカ人というだけあって、クリスマスにはこだわりがあるのだろうか。今なら売れ残ったものが安く買えるだろうと、近くの店を巡ることにする。きっと良い木が見つかるだろうと笑う赤井に、ダミーじゃなく木を買うつもりなのかと、私はケラケラ声を上げて笑った。




 手の塞がった赤井の代わりにインターフォンを鳴らすと、電話の時と同じ爽やかな声が『今開けます』と答えた。
 
 確かに、大きな洋館だ。
 私の住んでいる場所からはだいぶ離れていたので、知らなくても無理はないだろうが、住宅街にこんなに大きな屋敷があるとは。近所ではさぞ噂になるだろうなあと思う。(隣にある建物も付属のものなのか、ずいぶん大きくて近代的だったし――。)

 大きな門扉の奥には駐車スペースと花壇が広がっていたが、綺麗に手入れされている。マメな人が住んでいるのだろうなあと思った。最近にしては珍しく中庭にコンクリートも敷かれていなかったから、少し目を離せば雑草が茂っているだろう。

 奥の玄関が開くと、思ったよりもぐんと年若い男が「うわっ」と声を零す。

「立派な木……つーか、木から買ったのかよ」

 赤井が抱える鉢を見て、男は苦笑いを浮かべた。その口調からも、やはり若そうな印象を受ける――が。私は学んだ。見た目が年若くとも、三十を越している可能性は十分にある。恐らく男から見れば謎の警戒心を抱きながら、私は控えめに頭を下げた。

「えっと……」

 男は少し戸惑ったように私の姿をジーと眺める。慌てて頭をもう少し低くして名乗った。男もまた、同じように頭を下げ、少しだけ首を捻るようにして挨拶をする。


「どうも。工藤新一です」
「工藤……新一……サン」
「そんな恐る恐る呼ばなくても」

 年上なのだか同年代なのだか分からず、敬語交じりのあいまいな言葉遣いになってしまう。工藤は苦笑いを浮かべてから、扉を大きく開けた。赤井にも「久しぶり」と軽く挨拶を交わし、中に招き入れる。

「いきなり押しかけて悪かった」
「はは、赤井さんが急なことなんて今に始まったことじゃないし……今みたいに恐縮されてる方が意外だよ」
「よしてくれ」

 笑いながらリビングへと案内され、私は天井を見上げる。高い天井と柔らかなカーペット。見るからに高級そうな造りと、ややアンティークチックな家具が洋館を荘厳に見せている。

「蘭!」

 工藤がそう奥のほうへ呼びかけると、パタパタと軽い足音がした。パステルカラーのエプロンを外しながら、長い髪を一つに括った女性がにこやかに私たちを出迎える。蘭、と呼ばれた女性は「こんにちは」と微笑んで、それから赤井が抱えた鉢を見ると驚いたように口を小さく開けた。

「て、ていうか木から買ったんですね……」

 その反応だけは、私も彼らも共通なのか――。
 もしかすると私と彼らが日本人で、赤井がアメリカ人であることのカルチャーショックなのかもしれない。そうは思いながら、不思議そうにパチパチと瞬く猫目が可愛くて、私はバレないように顔を背けてニヤけてしまった。