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「え! 工藤新一って、あの工藤新一?」

 箸を置いて顔を上げると、目の前の男は苦笑いして一つ頷いた。
 折角だからと蘭の作った夕飯を一緒に食べることになって、少し。わざわざ作ってもらうのも申し訳ないしと思ったが、蘭は「どうせ父のぶんも作るので」と笑っていた。バランスの良い和食は、この洋館の中では少し浮いて見えるが、ずいぶんと落ち着く味付けをしている。
 世間話をするうちに、彼が探偵という職業なことを知る。
 探偵、工藤新一――そこまで重なれば、いくらニュースに疎い私でもすぐに名前は浮かんだ。私がまだ不良真っ盛りの頃だったか、ニュースや新聞を騒がせていた高校生の名探偵だ。最近はその名前を聞くことも少なかったけれど、父は名作家、母は名女優ということもあり、時折バラエティでも名前が挙がる。

「すごい。私あれ作り話なのかと思ってました……」

 探偵なんて馴染みがなかったし、一時期を堺にめっきり騒がれなくなったから、ワイドショーを騒がせるためのネタなのかと思っていた。そうすれば新一は気まずそうに箸を咥える。蘭が彼の脇を軽く肘で突いた。

「ほら、これが世間の声だって」
「確かに目立ちたがり屋だったのは認めるって……そんなに怒るなよ。最近は真面目に探偵業やってるんだ、事件を公にすることが良いことでもねーからさ」

 ぽりぽりと頭を掻きながら、新一は言った。
 あの時私は中学頃だったと記憶しているので、恐らく歳は近いはずだ。私は内心ほっとして彼らに向き直った。年齢詐欺は降谷だけで十分だ。そんな私のほうに、赤井は顔を寄せて意地悪そうに囁く。

「年齢詐欺される気持ちが分かったか」
「それ、私が年齢詐欺って言ってます〜……?」
「はは、怒るな怒るな」

 彼はニヤニヤとして私の肩を軽く小突いた。もう、と軽く拗ねながら、私はハっと目の前に座る男女を見る。彼らがまるで自分たちが恥ずかしいことでもしたかのように、顔を少し赤らめながらこちらを見つめているのだ。
 ――いや、それは、自分たちも似たようなことしてたじゃん!
 確かに赤井の距離は近かったけれど。私まで恥ずかしくなってきて控えめに咳ばらいをすると、彼らは慌てたように首を振った。

「ごめんなさい、あんまりに仲が良さそうだったから!」
「そうそう、しかも赤井さんが笑ってんのも珍しくてさ」

 工藤がそう零すものだから、私はきょとんとして赤井のほうを見上げた。出会い頭から、よく笑う男だと思っていた。私からすれば工藤への接し方も気心が知れているように見えるが、そんなものなのだろうか――。

「でも、お二人だって仲良さそうじゃないですか。そんな……」
「スズ、彼らは新婚生活中だ」
「新婚……新婚!!」

 本日二度目の驚きだ。工藤――新一も蘭も、揃って顔を赤くしながらやんややんやと声を上げ始めた。二人同時に話し始めたので何を言っているかは聞き取れない。

「ととと、とにかく、新婚って言っても今までと何も変わらないっていうか……!」
「そ、そうだぜ赤井さん! コイツ今日も朝から俺の布団引っぺがして床に転がして……」
「あれはいつも新一が昼まで寝てるからでしょー! 今日は一緒にランチ行く約束してたのに!!」
「うるせ、俺だって夜まで色々やってんだよ!」
「どーせ夜中まで小説読んでただけじゃない! 枕元のライト点けっぱなしだからバレてるんだからね、ばかぁ!」

 なによー、なにをぉ。絵に描いたような痴話喧嘩が繰り出されて、この二人と似た行動をしたと思えば確かに自らのしたことが恥ずかしく思えた。私人目のあるところでこんなにイチャついていたのか――。確かに、新婚夫婦と一緒にされては堪らないか、私は申し訳なく赤井のほうを一瞥した。

「……?」

 チラリと遣った視線が、彼のものと絡む。赤井もまたこちらを見下ろしていた。優し気に細められた視線が不思議で首を傾げると、彼は瞬いて視線を工藤夫妻へと戻した。

「ホォー、毎朝寝室までな。健気な良妻じゃないか」
「「そういうわけじゃないですから!」」

 鶴の一声と言うのか、赤井の茶々入れで見事に声を揃えた彼らは、自らの羞恥心に魘されたように押し黙った。「おお」、つい心の中で感嘆を零したのが、声に出てしまった。それを聞いて益々顔を赤くしてしまった二人を、私も苦く笑って見守る。

 新一は熱くなった顔を冷ますようにハイネックの首元を扇ぎながら、話題を切り出した。

「そ、そういやあ……。赤井さんこそ、その、いつの間に?」
「いつの間――というと」
「だぁから。その……スゲー若い彼女できてんじゃん」

 赤井は然もそうだったというように「ああ」と相槌を打った。気恥ずかしい想いをしているのは私だけだろうか。蘭は新一の言い方が不躾だと感じたのか、「そんな言い方やめなよ」と隣で咎めていた。

「いや、偏見とかじゃねえから! でも、電話でクリスマス一緒に過ごすっつーから……てきり、その、大人っぽい人がくるモンだと思って……」

 しょぼくれたように語尾に「ごめん」と付け足した男に、私は首を振った。別に気にしてはいない。(というか、先に言えば付き合ってもいない。)
 年齢差があることくらいは分かっていたし、赤井に大人びた雰囲気が似合うのもよく理解できる。しかし新一がマズったなあ、という風に苦い顔をしているものだから、私は一考した。ここでフォローを入れても、気を遣わせてしまうかもしれない。


「……そうなの。赤井さん、若くてピチピチな女が好きなんだって」


 私はニヤっと口角を持ち上げて、赤井のほうに凭れ掛かった。赤井が驚いたように「おい」と声を掛けたが、そのまま一人芝居を続けることにする。

「あーあ、私の二十二歳。こぉんな悪い男に捕まっちゃうのかー、きっと一晩で捨てられんだわぁ……」
「ぶふッ、何だそれ」
「ていうわけで、もし私が捨てられたら赤井さんのこと滅茶苦茶怒っておいてね」

 ぱちん、と手を叩いて二人に頼み込めば、途中で笑いを零した新一と蘭は目を見合わせて笑った。

「……スズ、君な」
「あはは、モチロンそんなこと思ってませんって。冗談、冗談」

 子どものように歯をチラつかせて笑うと、赤井は仕方がないと呆れたように息を一つついた。未だに腹を抱えて笑う二人を見て、彼も小さく微笑んだ。ホラ、すぐに笑う。やっぱり周りに気づかれ辛いだけで笑い上戸なのだ。

「スズさんって、あの人に似てるよね。ホラ、交通課の……」
「由美警部! 確かになあ」
「よせ、あんなじゃじゃ馬じゃ――……ない」
「ちょっと」

 私はその人を知らないものの、明らかに赤井の言い方から似ている部分とは良い部分じゃないのは分かる。私が軽く彼の脛を蹴ると、赤井は頬を掻いて「いや、似てるか」とぼやいた。

「酒の味は苦手だしな」
「あ、そうなんですね。私もあんまり得意じゃなくて……」
「でもさっき出してくれた紅茶はすごく美味しかったです。ありがとう」
「ですよね! 新一のお母さんが本場から送ってくれたんですよ」

 良いブランドなんです、と蘭が嬉しそうに手を叩く。私もうんうんと頷いてから、赤井のほうを覗く。

 ――私、酒の味が苦手なんて言ったっけ。

 確かに酒が不得意なことはバレているとは思う。
 酒を飲みにいくときはいつも乗り気でないし、彼が気を遣ってノンアルコールを扱う場所を選んでくれるのは知っていた。けれど、普通酒が苦手だと言ったらアルコールが苦手だとは思わないだろうか。
 まあ、人の変化には敏いところがある。私だってどこかで話したかもしれない、そこまで細かい記憶もないし、いちいち突っかかることでもあるまい。

 晩飯を終えてからは、木を置く場所を決めて飾りつけの相談をしたり、蘭から勝手場にある物の位置を教えてもらったりと、当日への準備に心を躍らせた。広い客間に響く笑い声が、温かく思えるのだ。