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 赤井はその齢の割によく食べる。私も小食なほうではないのだが、さすがにパーティーサイズのサイドメニューは食べきれなくて、会話の合間に彼がパクパクと食べきってしまった。気が付けば皿の上も空になっていて、私は少し驚いた。もしかしたらいつもは私の食事の時間に合わせてくれたのかもしれない――と思うと、胸がキュウと苦しくなるのだ。

 油の乗った指を軽く食んで、彼はチラリと時計を一瞥した。私もつられてカチコチと音をたてるアナログ時計を見る。

「そろそろ片付けようか」
「そうですね、お腹いっぱい〜……」
「まだケーキがあるが、いらなかったかな」

 そう付け足されて、私はハっとお腹を押さえた。正直苦しいところはあるが、ケーキならば別腹だ。ケーキの相談はなかったので、彼が自分の判断で買ってきてくれたのだろう。「別腹ですから」と食い気味に言えば、赤井はおかしそうに笑いながら頷く。

「軽く片付けてくるよ。座ってなさい」
「いや、手伝いますって」
「今日くらいはレディーファーストでいさせてくれ」

 皿を片手に、彼の顔がピトリと私の頬に触れる。今日は煙草の匂いがしない。代わりに嗅いだことのない香水が香って、ドキリとしながら小さく小さく頷いた。そんなふうに言われて、断る方法すら思いつかない。ここまで女の子のように扱うのは赤井を除けば父くらいしかいない。

「かっこいいなあ……」

 彼が触れた頬を撫でながら、テーブルの上を片付けていく赤井の姿を眺めた。少し引いてみると彼のスタイルの良さがよく分かる。いつもよりゆったりとした服を着ていても上半身の厚みや、ウェストのくびれ、長い脚が際立つのだから、余程だろう。視線に気づいた赤井が途中で首を傾げたが、軽く笑って誤魔化した。

 赤井がケーキと紅茶を運んできたのを見て、私も軽く腰を持ち上げた。橙赤色が豊かに波打って、ライトが円状に反射している。ケーキはツリーを象ったタルトだった。固めのクリームを絞ってあるのだろうか。思わず可愛いと零せば、何故だか彼が照れたように笑う。

「な、なんですか急に」
「綺麗にできるまで時間が掛ったからな、嬉しいよ」
「赤井さんが作ったんですか!?」

 驚いて顔を上げれば彼は少し気恥ずかしそうにはにかんで頷いた。
 ――か、か、可愛い……っ。
 その大きな体を屈めて頑張ってクリームを絞ったと思うと、それだけで可愛い。私に見せないように練習してくれたのは嬉しいけれど、練習しているところまで見たかった。ものすごく見たかった。できることなら【クリスマスケーキ 作り方】とか調べている赤井の姿をこの目でバッチリと留めておきたかった!

 心の奥で身悶えながら、平然を保ちながら――保てていなかったが――ニヤけ顔のままに礼を述べた。

「ケーキとかよく作るんですか?」
「まさか……。でも悪くなかったな、好きなものがあれば作ろう」
「えー、そうですね。じゃあシュークリームとか」
「良いのか? 生クリーム苦手だろう」

 そこはカスタードクリームで――。
 と言おうとして、ふと考え込んだ。私、生クリームが苦手だと言ったろうか。もしかして、タルトにしたのは私がクリームが苦手だと知っていたから。――言ったような、言ってないような。自分でもその記憶は曖昧だ。カフェには何度か行ったから、そう零したかもしれない。
 しかし苦手といっても食べれないことはないので、出されたデザートは食べたと思う。最初のレストランで出されたドルチェだって、苦言を零した覚えはなかった。

 そういえば、前も同じような違和感を覚えたことがあった。不思議だと思いながら、私はチラリと赤井のことを見上げた。

「――ん?」

 赤井が軽く頬杖をつきながら、眉を持ち上げる。食べないのかとその表情が訴えていて、私はそれを眩く感じながらフォークに手を伸ばす。クリームをすくって口に運べば、まったりとした舌触りと甘味が口に広がった。

「え、お芋だ!」

 自分でも顔が輝いたのが分かる。少し和菓子にも似た味付けで、私好みだ。頬を緩めながら二度三度と口に運ぶと、口の中の水分が吸い取られていく。こくっと紅茶を飲めばその香りにも息が零れる。

「お、おいし〜……。赤井さん結婚してください……」
「ふ、ふはは……ぜひとも」

 赤井はクツクツと笑いながら自らもケーキを口に運び始めた。輪郭の割に小さめの口をしているが、一口は大きい。ぱかっと開いた歯の白さなんて芸能人顔負けである。あれだけ煙草を吸っているのに。

「赤井さんって、不思議」
「ホォー、どうしてそう思う」
「私のこと全部知ってるみたいだもん」

 好きなもの、嫌いなもの。されたら嫌なこと、してほしいこと。全部見透かされているみたいだ。私がフォークを咥えながら答えると、赤井は小さく息を零した。

「そうだと言ったらどうする」
「そうなの!? え、いつ!」
「例えばだよ」

 赤井は苦く笑った。なんだと力を抜きながら、私は彼の言葉を考える。私と彼が昔に会ったことがあったら――。少し恥ずかしいだろう。今でも短気でものぐさなところはあるが、昔はもっと酷かった。売り言葉に買い言葉で喧嘩をしていたし、周りの迷惑よりも自分の都合ばかりを優先していた。あんな黒歴史を見られたと思えば、恥ずかしいに決まっている。――……でも。

「嬉しいです。なんか運命感じちゃいますよね」

 ふふ、とはにかみつつも歯を見せる。赤井の綺麗な瞳が私の顔をジっと見つめていた。私を――もしかしたら、私の中の誰かを。ずっと考えてはいたのだ。彼がここまで私を好きでいてくれるのは、もしかしたら失恋した誰かに関係しているのではないかと。そんな偶然があるのかは分からないが、奇跡的に私に似た誰かがいたのではないか――と。

 でも、それでも良い。
 彼が苦しんでいるのなら、その傍に私がいたいと思う。
 
 そう、思う――はずなのだ。少しだけ鈍く心の奥が痛むのは何故だろうか。最初は恋愛さえどうでも良いと思えたのに、親孝行ができれば良いと思っていたのに。誰かの代わりだって良いと、思っていたはずなのに。

「……スズ」

 慌てたように赤井が腰を上げた。テーブル越しに私のほうへと手を伸ばす。彼の指先が私の頬を拭うようにして、不思議だと思う。別に泣いてもいないのに、涙を拭うようなしぐさをするのだ。

「すみません、めちゃめちゃ嬉しすぎて感動してました」
「君がそういうことにしたいならそれで良い。だから泣かないでくれ」
「泣いてないですけど……」

 へらっと笑うと、彼が悲痛そうに眉を顰める。その表情を見たら、僅かに唇が戦慄いた。震えた唇に、彼がゆっくりとキスを落とす。赤井は唇から目じりへと唇を移動させて、反射的に目を閉じた瞼へ唇を触れさせた。口の中が、甘い。

「好きだ」

 頬に添えられた彼の掌が熱い。その熱に嘘はないと訴えているようだった。嬉しいと湧き上がる感情と、戸惑う感情が心の中で渦巻いている。「好きだ」と言われることを待っていたのに、それを向けられるのは私ではなかったのではと思うのだ。誰かの居場所だったのではないかと――思ってしまうのだ。

 戸惑った。
 生まれて初めて芽生えたのではないかと思うほど、自分にしては珍しいネガティブな感情であった。それほどに、赤井秀一という男に恋をしているのだと思った。


「信じてくれるまで好きだと伝えよう。だからどうか、一緒に生きてほしい」


 彼の優しいキスは拒むことができなかった。戸惑う心を押し込めて、私は湧き上がる嬉しさだけを表に出す。暗いクリスマスなど迎えなくても良いだろう。私は彼が好きなのだもの。笑いながらそのこけた頬にキスをすると、彼も僅かに頬を緩やかにした。僅かに血色づいた肌を、やはり可愛いと思う。