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「ど、どうしたの!」

 いつものように様子を見に来た三池が、ベッドに沈む私を見てギョっとした。一人で布団を被って散々泣きわめいた後に眠ってしまったから、相当ひどい顔をしていたのだろう。泣くつもりはなかったのだが、久々に赤井のことを思い出して、しかも関係のない男にそれをにじられたような気分で虚しくなった。一番は、それに対して大した反論もできなかったことが悔しかったのだ。
 
 幸い、この世界の私には【不幸な事故で記憶をなくし(た上に頭がおかしくなった)未成年の少女】という体面がある。私がなんでもないと答えれば、三池はそれ以上尋ねることもなく引き下がった。彼女に嘘をつくようで申し訳ないが、理由を一から話せばまた病院送りが免れない。

「ほら、顔拭いて……。あ、なんか美味しいもの買ってきてあげる」
「えぇ! 良いですよ、そんな……ああ……」

 彼女は親切にハンカチを差し出すと、足音を激しく立てながら部屋を出て行ってしまった。止めようと思ったが、その間もないくらいの勢いであったので、私は空振りした手でそれを見送った。
 せめて三池が戻ってくる前に着替えを済ませておこう。のったりと気だるい体を起こして、クローゼットからTシャツとデニムを取り出した。伸びた前髪も一緒にして後ろにひっつめ、眉毛を描き日焼け止めを塗った。日が暮れると少し肌寒いので、三池から貰った薄手のカーディガンを手に持つ。

 昨日散らかしたまま眠ってしまった部屋の物を軽く片付けてゴミ袋を縛り上げていると、三池が戻ってきた。私の姿を目にとめると、「どこかに出かけるんだっけ」と首を傾げた。今日はバイトは休みだと言っていたからだろう。

「ちょっとネットカフェに行きたくて……。調べたいこととかいっぱいあるんです」
「お弁当買ってきたから、これ食べてからね」
「はーい、ありがとうございます!」

 今日の弁当はすき焼き弁当だ。いつもはもっと安い弁当を買ってくるけれど、恐らく私が元気がないと見越したのだろう。彼女の優しさは純粋に嬉しく、私は昨日までの怒りからほんの少し解放された気持ちだった。

 警視庁の交通課に勤めているという彼女だが、普段過ごしているときは良くも悪くも警官らしくはない。優しいけれどおっちょこちょいだし、ちょっと大雑把だし、酔っ払いやすいし。だが優しく、正義感溢れる女性だとも思う。
 そんな彼女には意中の相手がいるらしく、時折恋煩いの表情を覗かせる。携帯を見てはため息をついたり、今日の髪がやけに艶々としているのは何かイベントでもあるのだろうか。ニヤっとして箸を咥えながら彼女を見つめていると、パっと顔を赤くしながら毛先を弄った。

「今日はデートですか?」
「ち、ちがっ……。今日は、その、たまたまね。たまたま。同期の人たちとご飯食べにいくから……」
「なるほど〜。その中に気になる人がいるわけですね」

 猫のような目が丸くなって、プシュっと湯気がたつように顔が赤らんだ。
 白い肌が血色づき、潤む瞳が私ではない誰かを映す。恐らく彼女の頭は、その誰かの姿でいっぱいなのだ。綺麗だと思った。赤井に恋をしていた時、私もあんな表情をしていただろうか。

「じゃあ焼肉弁当食べたら匂いません?」
「良いの。どうせグロス塗ったって天ぷら油と間違えるんだもん。ちょっと焼肉の匂いしたほうが良い匂い〜って言うかも」
「何それ。三池さんそんな人が好きなんですか!?」
「いや、でもでも! いつもは真っすぐで格好いいし、確かにちょっぴりだらしないけどそんな体型も可愛いし……」

 えへへ、と鼻の下が伸びた表情を微笑ましく思いながら、割り箸を半分に折る。ゴミ箱にそれを片付けると、荷物を持った。恐らく彼女もそろそろ出かける時間だろう。
 戸締りをして、また明日様子を見に来るという三池に手を振りながら踵を返した。ネットカフェは駅の近くにあるから、必然的に先日と同じ道を歩くことになる。まあ、まさかまた出会いはしないだろうと――小さく息をつきながら、私は目的の場所へ向かった。




「うわあ〜本当に有名人なんだ……」

 ドリンクバーで注いだウーロン茶を片手に、検索欄に入れたのは【工藤新一】というワードだ。沖矢が、彼の探偵業のことを話していたから、もしかしたら事務所のような電話番号が乗っていないかと調べてみたのだ。
 私は当時ニュースや新聞など殆ど見ることもなかったので知識が曖昧であったが、彼のことを調べれば大きな顔の切り抜きが画像で表示されるくらいだった。高校生探偵またもお手柄、なんて文言と並んで、気障っぽい笑顔がこちらを向いていた。

 ――確かに、落ち着いたほうなのかも。

 見た目はそれほど変わっていたわけではないが、こう、大げさに役者くさい表情というか、言葉を包まなくても良いのなら偉そうな態度の青年だと思った。確かに思春期まっさかり、周囲から持ち上げられ囃されていれば調子に乗るのは分かるが。

 スクロールしながら彼の記事や情報を調べていく。電話番号までは知れなかったが、彼の両親が偉大な作家と有名な元女優であることや、関西にも同じように高校生探偵と呼ばれる青年がいるということが分かった。少し遠いので最終手段ではあるが、もう少し探して見つからなければ訪ねてみようと思う。

 そして、意外にもこの東都周辺には探偵事務所がいくつか存在していることを知る。
 縁がなかったので意識したことはないが、名探偵と呼ばれる存在が何人かピックアップされた記事なんかもあるくらいだ。

 いっそストレートに、赤井のことを探してほしいと頼んでみるか――?

 FBIに問い合わせても信じてもらえないだろうし、警察も相手にしないだろうが、金銭で契約する探偵ならば、あるいは理由を聞かずに請け負ってくれるのではないか。赤井はアメリカ人なので、国外にいれば難しいかもしれないが――それでも、一度相談してみても良いのかもしれない。

 そうと決まれば、私は赤井に関する覚えている限りの情報を書き出して、このあたりで最も名が知れている探偵事務所へ赴くことにした。日本にいるかいないかも分からないと言うと、小さな事務所では断られてしまうだろうと思ったからだ。

「毛利探偵事務所……か。うん、聞いたことあるかも」

 きっとそれほど高名な探偵なのだと思う。
 テレビでも薄っすら見たような記憶がある。中年の男性であったような。電話を先にしたほうが良いかと思い、何度か掛けたのだが留守電にも繋がらない。ホームページもなんだか不穏だし、本当に高名な探偵なのか――と首を傾げながら、今はとにかく実行するしかないと、住所をメモに取ってウィンドウを閉じた。

 この世界の赤井秀一が私のことを知っているという確信はなかった。

 寧ろ、知らないという可能性のほうが高い。この世界が何かはわからないが、少なくとも私が過ごしていた時間よりは過去なのだ。私と赤井が出会う前の時間――仮に彼もまた私と同じように戻っていれば話は別だが。
 
 これがただの過去ではなくて、彼という存在がいない世界だったらと――考えたことがある。

 つまり、これがタイムスリップではなく、異世界へのトリップだとしたら、という話だ。私が自分自身を探せない理由の一つには、それを恐れているというのもある。勿論、過去であれば自分や父と会ってはいけないと思ったが、顔写真くらい調べれば良いのに。その写真の小山内スズが、私とはまったく違う少女であったら。

 ――もしくは、タイムスリップでも異世界トリップでもなく、本当に私の頭がおかしくなっただけだったら。

 そう思うと、堪らなく恐ろしい。
 早く赤井の顔が見たい。私のことを知らなくても良いのだ。彼のいる世界だと思わせてほしい。本当であれば知るはずのない彼の姿を見れば、私の記憶は正しいのだと――そう、自分に言い聞かせることができるような気がする。