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「あ、安室さん」

 ランチセットを食べ終わって、食後のコーヒーを楽しんでいる時にカウンターに見慣れた人影が見えた。彼もまた私の姿を見ると軽く微笑み会釈する。今日はカフェタイムのシフトなのだろうか。

「本当はランチからだったんです。梓さん、忙しそうだったでしょう?」
「だからアタフタしてたんですね……。何かあったんですか?」
「はい。少し……」

 どこか含んだような言い方だとは思ったが、私は「へえ」と軽く頷いておいた。話したくないことを聞きほじるほど、親しい間柄でもないだろう。――いや、そうなりたいのは山々だが、あまり欲張って不審者扱いされては、私の心のオアシスがなくなってしまう。空になったカップを置いて、手をあわせる。

「ごちそうさまでした」
「いつもありがとうございます」
「こちらこそ! 今日も美味しかったです」

 にこやかに礼を述べて席を立とうとしたとき、入口から新しく家族連れが入店する。その客人を見て、降谷が「あっ」と声を漏らした。はてとその扉を見遣れば、慣れた風に席につくスーツ姿の中年男性と、学生服の女子、それから十歳にも満たないだろう少年がいる。

「ほら、二階の探偵事務所の」
「あ、ああ〜……。なるほど、探偵さんなんですね」
「以前用があるとか言ってませんでしたか」
「あはは、まあ駄目元だったんですが……。よく考えたら依頼するようなことでもないかなって」

 しまった、まさか降谷がいたから依頼の必要はなくなったなどとは言えない。
 苦笑いを浮かべながらその探偵らしき男へ視線を向ける。名前は確か――毛利小五郎、だったか。工藤新一とまではいかないが、それとなく聞いたことはある(――かもしれない。正直、その程度の認識だ)。

 口の上にあるチョビ髭が印象的な、恰幅の良い男だった。探偵と言われれば、確かに探偵らしいような感じもある。眠りの小五郎なんて呼ばれていたから、もっとミステリアスな雰囲気かと思ったが、思いの外感情豊かな男だった。

「今からでも話してみては? 依頼とまでは行かずとも、相談なら乗ってくれると思いますよ」
「えぇ? 良いですよ、ご迷惑になりますから」
「そういわず。とても良い先生なので……」

 いつになく強気な降谷が、少し離れた場所にいる毛利たちに声を掛けた。私は慌てて食い下がろうとしたけれど、彼の手早い行動には間に合わず、思わず「ああ……」と声が漏れ出す。

「いやあ、ドーモドーモ」
「あっ、えっと……その、お手数おかけしてすみません……」
「何、可愛い弟子の頼みですから。この眠りの小五郎にお任せください!」

 ほくほくと、どこかご機嫌な花をまとわせながら男は私の隣に腰かけた。傍に座ると尚更その体の大きさがよく分かる。赤井と同じくらいあるだろうか。そうは言ってもとたじたじになっていると、後ろから慌てたように男を追いかけてきた女子高生が頭を下げた。

「すみません、父が……。ちょっと、安室さんにおだてられたからって調子乗っちゃダメよ。怖がらせちゃってるじゃない」
「こ、怖がってなんて! ただ、その、申し訳ないというか……」
「なんのなんの! この! 泣く子も黙る名探偵に解決できない謎なんて……」
「違うんです。本当に、ただの人探しですから……」

 ぶんぶんと首を振って告げると、毛利は明らかに意気消沈させて、小さくため息をついた。その態度に、女子高生が「お父さん!」と声を荒げる。

「良いんです。その、お金に余裕もありませんし……自分でちょっと探してみようと思ってて」

 愛想よく笑うと、小五郎がポリポリと後頭部を掻きながら私を見る。明らかに未成年だと分かったからだろう、念のためだと名刺を渡されて、彼は大きな背をしょぼくれさせながら店を後にしてしまった。

「も、毛利さん!」
「良いんです、良いんです。ああいう人だから気にしないでください、あとでケーキでも差し入れたら機嫌直るので……」
「そうですか……? すみません、妙に期待させちゃったみたいで」

 ため息交じりに謝罪すれば、代わりに私の隣に腰かけた女子高生が「気にしないで」ともう一度笑った。私はパっと彼女へ顔を向けて――どこかで見たことのある顔だと思った。どこだっただろうか、首を捻りながらなんとか思い出そうとしているときに、連れられていた少年が「蘭姉ちゃん」と彼女の袖を引く。

 ――蘭、蘭!

 青いブレザーを纏った少女を見つめる。丸くぱちくりと瞬く目つき、長く艶やかな髪――降谷とは異なり際立った特徴があるわけでもないので(というか、人間はたいていそうなのだ)暫く自分の記憶を疑ってしまった。

 あまりに凝視しすぎたのだろう。蘭が「あの」と控えめに声を掛けてきた。
 私はイチかバチかと、彼女に直接尋ねかけてみることにする。もし彼女が私の知る蘭なのであれば、工藤新一とのコンタクトがとれるのではと思った。降谷にも聞くつもりはあるが、彼が今現在赤井と知り合いかどうかは定かじゃない。道はなるべく多ければ多いだけ良いだろう。


「あのっ、もしかして、工藤蘭さん……ですか」


 自信がなくて言葉尻が小さくなってしまったが、なんとか彼女に問いかけると、蘭は飲んでいた紅茶を「ぶふっ」と噴き出してしまった。同時になぜか横にいた少年まで噎せ返っていて、やっぱり違ったかと謝った。

「ごめんなさい、てっきり工藤新一くんと知り合いじゃないかと……」
「た、確かに新一とは幼馴染ですけど……! 苗字まで一緒じゃないですから! 毛利です。毛利蘭……」
「あ、そうか」

 あの時も赤井が新婚だと言っていたか。
 学生時代に苗字が工藤でないのは当たり前なのだ。私はあははと笑ってごまかしながら、自分の名前を名乗った。怪しい人間だと思われるのは避けたかったからだ。

「新一くんの知り合いが、私の探している人かもしれなくて……」
「探している人?」
「――うん。いっちばん会いたい人なんです」

 ペンダントをなぞりながら告げると、蘭は視線で私の指先を追った。そして柔らかく微笑み、「わあ」と息を零した。

「綺麗。その人から貰ったんですか?」
「そうなの。本当は、早く会えたら良いんだけど」
「……私手伝いますよ。新一なら、連絡取れますから。聞いてみましょうか」
「でも知らない人かもしれなくて、情報も曖昧っていうか……」

 この世界で同じ名前なのかも分からない。降谷がそうであるように、もしかすると名前や職業が違うのかもしれない。新一とも親交があるとは聞いていたが、どのくらい前の付き合いなのか聞いたことはなかった。

 迷って視線を落とすと、蘭が落とした先にある私の左手をハシっと両手で掴んだ。丸っこい瞳の中に、キラキラと輝く光が幾重にも重なっている。真っすぐな瞳が私の心の奥まで見透かすように視線を送ってきた。

「大丈夫。何事も最初から! ですから!」
「ら、蘭さん」
「蘭で良いよ。私もスズちゃんって呼んで良い?」
「うん……。でも、本当に良いの」

 無駄足になってしまうかもしれないと確認すると、彼女は「モチロン」と明るく笑った。それから降谷と少年の姿を一瞥してから、私のほうにコソコソと口元を寄せる。トーンを落とした、密やかな声が告げた。


「それに、その人って……もしかして、好きな人とか?」


 久しぶりにそう言われて、つい頬がポっと赤らんでしまう。顔の熱を冷ましたくて両手で頬を押さえながら小さく頷くと、蘭は気合を入れたように唇を引き結び「ゼッタイ見つけよう」と私の手を強く握った。
 少年がどこか呆れたように空笑いしているのは――なんだか、妙な感じだったが。