13



 順繰りに、弾の入っていない拳銃と射撃用イヤーマフを配布される。弾が入っていないと理解はしていながら、それを手にすると心がそわつく。周囲の生徒たちも、どこかそわそわと落ち着きなく辺りを見渡していた。
 別段会話があったわけではない。しかし、確実に空気が乱れている。ざわざわと、視線が泳いでいた。よくフィクションの映画で、『本物の銃は重い』なんて聞くものだ。確かに、重たかった。偽物を手にしたことはないが、それでもそれが重いということは理解できる。

「良いか、お前らが手にしているのはSAKURA――!」

 鬼塚の怒声に、ビクっと背筋がしなる。
 大きな体躯が、私たちに一人ひとり釘を刺すように徘徊した。サクラ、と声も出ないままに復唱した。

「一般的に所属する警察官にはまず配布される。配属場所によっては他モデルが渡されることもあるだろうが、訓練ではコイツを使用する」

 彼の無骨な手元には、私たちが手にしているものと同じモデルの拳銃が握られていた。一つひとつの部品や役割を解説しながら、私たちにも同じように部品を見てみるよう指示する。ハラハラしながらその細部に触れる。当たり前だが、固く冷たい。胸が嫌な高鳴りを響かせた。

「五連発のリボルバー式だ。今から弾を配るから、装填から行う。間違ってもセーフティには触らないように!」
「は、はい!」

 私と数人の、強張った顔が叫んだ。
 それに対しては、珍しく叱咤も飛ばない。きっと緊張しているのが見てとれたのだろう。配られた弾をそっと手のひらに転がすと、なんだか頭がクラクラしてきた。というか、お腹が痛いかもしれない。

 ――こ、これ、本当に私が撃つやつかあ……。

 一度意識してしまうと、ギュルルと下腹部が悲鳴を上げる。ウ、と腹を押さえた。何とか鬼塚の説明を追い装填を済ませると、指定された列に並ぶことになった。的は十メートルほど離れていた。私はトップバッターでもなかったので、ひとまず銃を前方に預ける。

 ダンッ――

 訓練場に銃声が響く。それが銃声だと分かっていなければ、大きな破裂音だと思ったろう。空気を裂いて鼓膜を震わせるような音だ。最初に的を射抜いたのは、見慣れたブロンドの持ち主だった。

「……うッ」

 鬼塚が射撃検定がどうだとか、なんだとか言っているが最早そんな心の余裕はなかった。体の底を震わせるような銃声と、先ほど手にした鉄の冷たさが私の血の気を引かせる。――あと、単純にひたすら腹が痛い。しかしこれは乗り越えなければいけない壁なのだから、トイレに逃げ込むべきではない。その自負もあった。

 いや、でも此処で万が一に漏れたらそれはそれで惨事ではないか。

 うまく回らない頭で考える。だが、訓練は大切で――。ただ教場でもしものことがあれば、この先卒業するまで、否、配属されても「射撃訓練で漏らした女」だと言われるだろう。ただでさえ同期の女生徒たちからは何故か距離を取られているのだ。それは避けたい。

 ――一瞬、一瞬だけトイレ行かせてもらおう。

 そう思ったは良いが、鬼塚は忙しなく銃の使い方や撃ち方へ目を光らせ指導を続けている。他の助教官も同じだ。それはそうだろう、警察官とは言えまだ半人前。銃の携帯許可はこの射撃検定を終えてからでないと与えられない。そんな未熟な生徒たちに、今まさに殺人の道具ともなりえる物を持たせているのだ。――そう考えたら益々目の前が眩んだ。

 ――ああ〜……本当に痛い……!

 どうする、言うか。言うにしたってどうやって!
 他の生徒が弾を撃つ音が、痛みに響く。いっそこのまま駆けだすか。腹を軽く押さえながらふらつく頭を耐えていると、トントン、と軽く肩を叩かれた。


「大丈夫?」


 ――視線を持ち上げることも辛くて、誰だったかは分からない。聞き覚えのある声だったから、恐らく話したことはある男だ。覇気なく「うん」と頷いた。ここで頷いたのは本意ではなく、大丈夫かと聞かれてノーと答えられた経験などないだけだ。しかし顔色が悪かったのか、男は怒ったように「大丈夫じゃないだろ」と言う。

「医務室連れてこうか」
「あ、いや……。医務室っていうか……」
「っていうか……?」

 彼が不思議そうに尋ねる。一瞬戸惑った。彼は男だ。そして、同じ教場の。間違いなくこの先暫く顔を合わせる相手である。一介の女子として、恥ずかしさは持ち合わせているのだ。視線を落とし、歯切れ悪く「あの」「その」と繰り返した。

 しかし、ギュウ、と腹が捻るような痛みを覚え、観念した。
 私は何とか口を小さく開き、消え入るような声で呟いたのだ。

「……と、トイレ」

 幼稚園児か小学生の台詞である。私がそわつきながら呟けば、男は「アッ」と驚いたような声を零した。罪悪感だけが重たく背に圧し掛かり、少し猫背になった。

「……オレ、教官に伝えてくる。ちょっと待ってて」

 彼はそういうや否や、列から抜け駆けていった。そして暫くすると心配そうに「小林さん」と私に呼びかける。


「抜けて良いらしいから、行っておいで。手、貸さないほうが良い?」


 ――その一言に、彼の優しさを感じた。
 私が先ほど大丈夫かと尋ねられたときのことを、男は気づいていたのだろう。だからこそ、きっと「貸そうか」ではなく「貸さないほうが良い」と尋ねたのだ。あとでしっかり礼を言おうと、今はその心遣いに甘えて頷いた。

「階段を昇って右だそうだ、気を付けて」

 コクコクと涙目になりながら何度も頷く。
 頭は痛むし吐き気もあるが、最優先はとにかくトイレに駆け込むことだ。言うことを聞かない体を叱咤し、なるべく早足に階段を昇った。

「っと、すみません」
「……あ? あ、いえ……」

 狭い階段だったから、降りてくる誰かと鉢合わせた。
 警察学校の制服ではない。教官らしくもない――作業服を着た男だ。点検か何かだろうか。サっと階段の手すりを空けて避けてくれたので、先にのぼらせて貰うことにした。すれ違い様に、会釈をしておく。

 扉を押し開けると、室内ではなかった。外の空気が吹き込み、扉は重たい。しかし今すぐにでも吐き出しそうな心地悪さは、少し軽減された。

「ハァ……」

 重たくため息をつく。
 自分に対して、だ。確かに昔からグロテスクなものや物騒なものが得意ではなかったが、まさか此処までメンタルが弱いとは予想外だ。射撃訓練があることも、ある程度の現場を見ることがあることも、覚悟はしていたつもりなのに。

「結局、つもりってことかなあ」

 他の生徒は、違ったではないか。降谷の凛と立つ背中は、瞼の裏に焼き付いている。先ほども銃に臆することもなく、先頭に立ち手本のようなフォームを見せていた。

 ――怖く、ないのかな。

 だって、その手に持っているものを少しズラせば、それは人を守る道具ではなく命を奪う道具となるのだ。恐ろしくはないのだろうか。もしも、自分が誰かを傷つけてしまったらと――考えはしないのだろうか。

「いやいや、分かっててもやらなきゃ駄目でしょ」

 ブンブンとかぶりを振り、一人自問自答を繰り返す。
 降谷とて、何も考えずに撃っているわけでもあるまい。私自身の弱さの言い訳に使うのは良くないことだ。手洗い場で軽く頬を打つ。濡れた手がピシャリと頬の皮膚を弾いた。道具の使い方を間違えなければ良い話なのだもの。外の爽やかな空気をスゥと大きく吸い込み、肩の力を抜きながら一人頷いた。

「うん、良し、良し……」
「おおい、そっちは良いかあ?」
「ん? ああ。ぶつかって傷ついたのは良いが、雨が振り込んだのがなあ……」
「内側からもやらなきゃあいかんか」

 私以外の誰かの会話に、目を瞬かせた。声は上から聞こえる――その声に、先ほどの作業着を思い出した。そういえば、先日の強風で近くにある病院の看板が飛んできたと言っていたっけか。成程、その補修工事というわけだ。


「――うわっ!!」


 ――明らかに会話ではない叫びが耳をつんざいた。
 私はパっと屋根の上を見上げる。姿は見えないが、どうやら近くにいるらしい同僚が「おい」と慌てるように呼びかけるのを聞いた。

「こっち掴まれ、大丈夫か!」

 切羽詰まった声色だ。私は一度視線を泳がせたが――近くにある手すりを足掛かりに、屋根を覗いた。そうだ。今さっき、逃げないと決心したばかりだ。私の心を裏切ってはいけない。

「だ、大丈夫ですか」
「あ、ああ、生徒さんか? 悪いが教官の誰かを呼んできてくれ、足がはまっちまったみたいで……」

 足を持ち上げて屋根にのぼれば、確かに一人の作業員の上半身だけが屋根から飛び出ている。周囲が脆いのだろう。他の作業員も少し遠巻きにどうするべきか悩んでいるようだった。安易に近づくと、余計に穴が広がってしまうかもしれないと懸念しているのだ。
 
 やっぱり、教官を呼ぶべきだ。私一人手を伸ばしたところで、脆くなった屋根が崩れてしまう。そうは思ったのだが――。

 嫌な音がする。ミシ、ミシという警鐘音。背筋を嫌な汗が一筋伝う。

 ひょっとかすると、もう手遅れなのではないか。私が教官を呼びに行く時間など、ないのではないか。いつもそうだ。いつも、一歩が踏み出せなかった。たった一歩だ。分かってはいるのに、今目の前にいる男が、このあとどうなるか――分かっては、いるのに!

 
『――なれるよ!』


 頭の中であの子が笑う。私はギュウと下唇を噛みしめて、屋根の上を踏み出した。

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