15


「大丈夫!?」

 バクバクと鼓動が体中に鳴り響いている。一瞬、何が起こったかも分からないまま、ただ呼吸を荒くした。銃声が聞こえてから、ポッカリとその部分だけ記憶が抜け落ちたように、どうして自分の足が地面に着いているのかよく分からない。

「え、あ……」

 ――ただ、目の間の男が大丈夫かと尋ねるから。
 私は曖昧な意識のまま小さく何度も頷いた。それを見て、男はどこか真剣そうに眉を垂れさせた。その指先が肩に触れそうになると、ほぼ本能的に身を捩る。先ほどまで散々痛みを伴っていた場所だ。触れたら痛いに決まっている。

「――いてぇの?」

 不安そうな声だった。
 私を抱きとめた体が、そのままひょいと私を抱える。驚いていろいろと口から零れそうになったものの、その驚くほど真摯な姿が意外で、口を噤んだ。いつもは、こちらの不幸などニヤニヤと調子良く揶揄ってくるのに。下から見ると、ずいぶんと長い睫毛をしているのだと思った。確かにいつも頬に影ができるほどだと感心していたが、上向きでないから長さまでは分からなかった。

「ちょっと揺れるぜ、ごめんな」
「は、萩原くん」
「もう救急車は呼んであっから。アッチは担架じゃなきゃ無理だけど、小林ちゃんは早く行った方が良いっしょ」
「でも私別に足の怪我とかはしてな……いぃっ!」

 返事も待たずに彼が大股で走り出すから、私の声は途中で裏返ってしまった。
 別に揺れようが、彼がしっかりと腕まで固定してくれているのでちっとも痛くはなかったが、これ以上口は挟めまい。触れた手が、ひどく冷たかった。珍しいと――そう、思った。




「……で、ひとまず訓練以外は受けて良いって」

 病院に運び込まれてから数時間。レントゲンの結果骨にも異常はなく、肩が外れかけ炎症が起きているということだった。手のひらも裂傷がひどかったので、一週間は体を使う訓練は見学するようにと言われた。私が帰ってくるのを神妙な表情で待ち続けていた萩原に報告に行けば、彼はようやく険しい顔を戻し、いつものような甘ったるい眼差しを見せた。

「良かった〜……。手ぇグルグル巻きじゃん、重傷かと思ったって」
「なんか固定用だって。笑わないでよ、恥ずかしいから」
「や、これは安心して笑えてるだけ。てか何で上から落ちてくんのよ、ビビったぁ〜……」

 彼はヘロっと笑いながらその場に軽く腰を落とした。
 その姿に、チクリと胸を刺された。それほどまでに心配してくれていたのかと、申し訳なくなったのだ。私も彼の横に軽く腰を落とし、視線を彷徨わせてから「ありがとう」と一言告げた。

「そりゃ、俺じゃなくて、言う人がいるだろぉ」
「……だよねぇ」

 ハハ、と軽く笑う。萩原もまた、つられたように苦く笑った。気まずく一つ息をつけば、彼はその大きな手でポン、と軽く頭を撫ぜる。手のひらは温かい。その体温に、肩の力が抜けた。

「……小林さん?」

 第三者の声に立ち上がった。振り返ると、見覚えのある三人組がこちらに駆け寄った。そして萩原と顔を見合わせたのち、降谷と置き去りに「じゃ」と立ち去ってしまう。私は何があったのか分からないまま、去ってしまった方角と降谷を見比べる。降谷は少し居づらそうに視線を彷徨わせる。私も、同じように視線を彷徨わせた。

 ――せめて萩原か諸伏でもいてくれれば、この沈黙を破ってくれたのだろうが。

 二人して何も言わないまま、寮の前に立ち尽くしていた。
 時折過ぎ去る生徒が、私のボロボロな姿を視線にとめていく。いや、もしかすると降谷の容姿に見惚れたのかもしれない。気まずそうにしていようが、銀幕のワンシーンにも見える彼のことだ。

 そわついたまま、十分ほど。
 前にもこうして、渡り廊下で気まずい想いをしたなあ。ずいぶん前のことのように思い返していたら、目の前の唇が震えて開いた。

「――ありがとう、僕の言葉を信じてくれて」

 彼は、ポツリとそう呟いた。何のことだか分からず、一瞬瞬く。降谷は軽く項を掻き、それからぽつぽつと今までのことを謝罪した。誤って殴りつけてしまったこと、そのあと何かと視線を送ってしまったこと、そして松田らと寮を抜け出したあの日、巻き込むような形をとってしまったこと。

「そ、それは私たちが悪かったし……」
「けれど、僕だって寮を出たんだ。君たちばかり責めるべきじゃなかった」

 そう視線を落とされて、初めてそうかと気が付いた。
 そういえば、そうなのだ。彼もまた寮を抜け出さなければ、あの場所には辿り着かなかったはずなのだから。当然の事実ではあったが、その後の喧嘩騒ぎが大きく気が付かなかった。思わず、「なんで」と尋ねてしまった。アイスグレーの瞳がスっと私の姿を捉える。身構えた。

「あ、その……」

 途端に次の言葉が思いつかなくなり、しどろもどろに不明瞭な言葉を紡ぐ。別に悪いことを聞こうとしているわけではないのに――。眉間に皺が寄った。私ではなく、目の前の男の顔にだ。それが益々言葉の居所を失わせて、いよいよ口は一文字に閉ざされてしまう。また、沈黙が続いてしまった。

「――……っだ! 良いから言えよ!!」
「あ、馬鹿。今声出したら駄目だって……」

 ――私でも降谷のものでもない声に、パっと声のほうを振り向く。
 柱からヒョコリと覗いた見覚えのある癖毛に、苦笑した。去っていった方角とは別側にいるので、わざわざ寮を一周してきたのだろうか。一世一代の告白を目の前にするのでもないのだから、大げさな。降谷は益々顔を顰めたが、小さくため息をついて私を見据えた。

「――し」
「し?」

 声色がピタリと止まる。
 思わず私も降谷のほうを見上げた。し、から始まる言葉を考えてみたが、頭には浮かばない。彼が一度呼吸を整えて、意地の張った眉を僅かに和らげた。


「心配、だったんだ。男二人に女が一人なんて、何されるか分からないだろ」


 ――心配。
 目を丸くして、だが彼の姿にどうにも納得した。きっと、私個人がどうとか、男が松田や萩原だからどう、というわけではないのだろう。暗がりで男二人、女一人で出歩く姿があったから――降谷零という男には、放ってはおけなかったのだ。

 同時に、何故彼の伸びた背筋や落ち着いた声色を聞くと、妙な気持ちになるのかも分かった気がする。その誰よりも真っすぐな正義感は、警察官を一度目指した者ならば欠片でも抱いたことのあるものだからだ。それを彼が体現してくれている気がして――だから、降谷の言葉には説得力があるのだ。

「あ……ありがとう」
「結局、余計な節介だった」
「で、でも! 心配してくれたのは、そうなわけだし……」

 もう一度礼を述べると、降谷が小さく笑った。
 微笑みというには、少し呆れたような表情。彼は肩の力を軽く抜いて、ふと先ほどまで強張っていた口角を柔く持ち上げ、眉を下げた。元より美形であったその表情に甘やかな雰囲気がプラスされて、通り過ぎた女生徒たちの目をくぎ付けにした。笑うとほんのりと子どもらしく頬が持ち上がるのも、恐らくその要因であったに違いない。

「礼を言う相手が違うよ」
「……ぁ、そ、そ」

 そうだね、ほとんど消え入りそうな声で呟く。
 顔から湯気が立つのではというほどに血の気が上がって、怪我の痛みなど消え去るくらいに体が痺れた。私が数分そのままであったから、暫くすると「小林ちゃんって本当にイケメン好きだよなあ」なんて己を過大評価(でもないか――)した萩原と松田が、硬直した私を回収しにきたのだった。



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