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「はぁ……」

 私は肩を落とし、机に突っ伏した。ろくすっぽ寝つけていないせいで、眠気に頭が項垂れる。あれから気まずくなった空気に耐え切れないまま、萩原の静止も振り切って寮まで走りかえってしまった。明らかに動揺した態度は、何かあったと明言しているようなものではないか。やってしまった――ひたすらにそう思った。

 一晩、ベッドの中で考えた。
 だが、別に松田のことを好いている――恋愛的に――わけではないのだ。あの時に思いがけずフリーズしてしまったのは、前日の己の失態を思い返したことと、女生徒たちと交わした恋愛まっさかりな会話が脳裏を過ってしまったせいだ。何にしろ、火のないところに煙は立たず。少しばかり意識してしまったことも間違いではないが、これを恋愛感情と呼ぶにはあまりに薄っぺらである。
 良き友人になれたら、とは思っている。彼が友人のような態度をとってくれると認められたようで嬉しい。軽口を叩けるようになったのも初対面のころと比べれば親しくなった証拠だ。

 だから、私は昨夜の出来事を萩原に弁明しなければならないだろう。
 隠さず、正直ありのままに話せば、萩原のことだもの。いつものようにニヤニヤしながら茶化してくるはずだ。一人納得しながら頷いていると、背後から声が掛かる。覚えのある声色に、ビクっと体が跳ねた。

「おはよ、朝早いね」
「おっ……おはよ……」
「なになに、その態度。俺傷ついちゃうよ」

 ぎくしゃくと振り向くと、萩原はいつもの調子で後部座席に着席した。まるで昨夜のことなどなかったことにしたような、あっけらかんとした態度だ。その態度が逆に不気味で、不安を煽った。だって、いつもならば聞いてくるはずだ。それこそニヤニヤと、「結局どうなの〜」、なんて肘でつついてきそうなものなのに。

 結局、そのまま切り出すこともできずに座学が始まった。振り向けばすぐそこに見慣れた顔があるというのに、午前の間振り返ることもなく、黙々とテキストに目を通していたのだ。


 ――いや、このままじゃダメじゃない?
 焦りに駆られる想いとは裏腹に、いっそ彼が小突いてこないのならばそれでも良いのではとも思い始める。きっと人の恋愛沙汰を他言するような男ではない。私にデメリットなど一つもないではないか。もしかすると、萩原もさして重たく受け止めていないかもしれない。
 しかし、こう、嘘をついたままというのも。別に嘘ではないのだが――。悶々と考えたまま、逮捕術用の道着に着替える。更衣室で着替えを済ませていると、ふと同じ教場の生徒に呼び止められた。

「小林さん、さっき教官が呼んでたよ」
「教官が?」
「うん。見かけたら伝えてくれって」
「あ、ありがとう」

 にこやかに送り出されたものの、道着のまま教官室はまずいのではないだろうか。しょうがなく制服に着替えようと踵を返した。着替える前に呼んでくれれば良かったのにと決して表には出せない文句を内心でぼやきつつ教官室に向かえば、ちょうど部屋を出た鬼塚と鉢合わせになる。

「小林、ちょうど良かった。お前、昨日の診断書にサイン貰うの忘れてるぞ」
「え!?」
「次、逮捕術だろう。どのみち見学しかできないなら、今のうちに貰ってこい」
「す、すみません……」

 私は返却された書類を見る。確かに、病院の診断書とは別に、提出用のプリントには病院のサインが入っていなかった。そういえばプリントを受けとった時に説明をされたような気もする。送り出されて、私は一昨日と同じ道を歩き病院へ向かうことになったのだ。

 必然的に、松田と手を繋いだ道のりを歩くことになる。
 やはり思い返すのは昨夜のことで、私は改めて萩原にしっかりと説明をしようかと思い直した。一部始終を知っている私だってこれほどに悶々としているのだ。断片だけを見せられて、萩原とて(気にはしないかもしれないが――)、そのまま放っておかれたらいい気はしないだろう。

 それから、通りかかったコンビニを一瞥する。
 
『勘違いしたうえにフっちまったら、かわいそうだろ』

 悪戯っぽく笑う男の顔を思い出した。手を繋いだ――というには、あまりにロマンのない接触をした。彼は私が重ねた手を繋ぎ止めるように、ほんの僅かな力で離れるのを留めただけ。ドキドキと鼓動が早くなったり手が汗ばんだり――ということはなく、その体温に触れて妙に安堵したのを覚えている。時間が時間のままに流れている感じだ。父に手を引いてもらった時と、同じような。

 過ぎる風は爽やかで、空模様も悪くない。
 なのに心が穏やかでないのは、きっと彼らに対する私の想いが少しずつ大きくなっているからだ。大切な同期であり、友人でありたいと、そう願っているからだろう。帰ったら萩原のもとへ話をしに行こう。病院に香る消毒のにおいが鼻を擽る。私は一人、浅く頷いた。




 病院の待合でも、結局頭のなかは帰寮後のことでいっぱいだった。どうやって切り出そうかとか、なんて話をしようかとか。やましいことでもないのだから、思うままに話せば良いと思うのに、どこか後ろめたい気持ちなってしまうのは何故だろう。

「うぅ〜ん……」

 無事にサインを貰った書類を鞄にしまいこみ、帰路につく。ちょうど午後の講義が終わるころだろうか。また緊張しながら教官室に行くことになると思うとそれだけで胃が痛んだ。そのあと萩原のところへも向かおうと思うと、猶更だ。途中コンビニが目に入ったが、今日は何かを買おうという気にもならなかった。

 ふらふらと考え事を繰り返していると、肩に何かがぶつかった。ぼうっとしていた思考を戻して顔を上げれば、見知らぬ男が肩を擦ってこちらを睨んだ。

「ってぇな……」
「あ……ごめんなさい」
「ちゃんと前見ろ、ボケ」

 吐き捨てるように言い捨てた男は、連れらしき集団へ「ったく」と愚痴を零しながら戻っていく。意外にも傷つかなかったのは、凄んできた松田のほうがよっぽどか恐ろしかったからだ。

「あんま目立つなよ、下見に来てんのに」

 それよりも、男らの一人がぼやいた言葉のほうが妙に気にかかった。彼らはそう言いながら、コンビニのほうへと足を向ける。私は眉を顰めた。コンビニの下見――とは、なんとも妙な表現だと思ったのだ。男が複数人、というだけで疑うのもどうかと思うが、それにしても。少し見守っていると、男たちは酒とツマミをいくつか買って自動ドアから姿を現した。

「……なんだろう」

 顔を顰めて眺めるものの、男たちがこちらを睨みつけるので視線を逸らしてしまった。そんなに気にすることでもないか、軽く頬を掻いて踵を返す。気にすることでもないと思い込みたかっただけかもしれない。どこかそわつく心を無理くりに抑え込み、視線を落とした。

 ――一応、寮に戻ったら誰かに相談してみようか。

 頭がぐちゃぐちゃと散乱してきた。まずは教官に報告をしにいって、そのあとは――。萩原に話しにいくより、先ほどのコンビニの一件を相談するほうが先か。もしか――もしか、の話だが、事件の切っ掛けになる可能性もあるわけだ。だとしたら、誰に話すの良いだろう。そこまで大事にはしなそうな人で、しかし受け流すことのない人物が良い。私は頭に思い浮かべた人物たちのなかから一人目星をつけ、話しかけるシュミレーションを繰り返しながら教官室へと向かった。

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