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 私は気まずい想いのまま、ステンレスのマットを踏み越え店に足を踏み入れた。車ならまだし、バイクなんて縁がない。様々な形のヘルメットや、並ぶバイク、保険の案内などに目を通しながら、さほど広くない店内をぐるりと見回した。
 松田と諸伏は、レジに立つ店員と何やら話をしているようだ。込み入った表情をしているので、その話に入るような勇気もなく、気づけば萩原と並び立っていた。萩原は、また少し別の感情を隠すようにバイクを見下ろしていた。

 ――珍しく、無言であった。

 普段からあれほどおべんちゃらを並びたてるくせに、今日に限っては軽く微笑ませた口元を開こうとしない。それはまるで、先ほど彼の質問に一切とまともな返事を返せなかった私の鏡のようだった。――あてつけのようにも、見えた。これはさすがに、被害妄想が過ぎるだろうけれど。

 彼の長い前髪は、その視線をうまく覗かせてくれない。ふと、落下事故のあの日に必死の形相で私を案じてくれた彼の表情がひどく恋しくなった。そもそも、どうしてこうなったのだったか。松田のことが原因だったのか、その後の私の態度が原因になったのか、今ではよく分からないのだ。

「はァ!?」

 ただ並んだだけの二人の沈黙は、勢いのある声量によって引き裂かれた。
 ほとんど同時に振り返れば、松田が話をしていた店員に突っかかっている。――一瞬ひやりとした。あんな態度をとって大丈夫なのか、休憩時間とは言え、このバイクショップは警察学校から遠くはない。しかし、常連なのだろうか。店員は焦りを見せてはいたものの、そこまで気分を害したわけでもないようだ。萩原もその様子を見守っているだけで、咎める様子はない。

「そのゴブレットの刺青野郎は、この店の常連なんだろ?」
「だから何でその人を捜しているんスか?」

 ――ゴブレット?
 聞こえた単語に首を傾ぐ。どうやら、この店を訪れた理由は人捜しのようだ。――諸伏の。そう思ったのは、松田が諸伏へと話題を振りなおしたからである。

「……諸伏くん」

 普段は穏やかな好青年であるのに、縮こまったその背が妙に小さく見える。私が彼に駆け寄ろうとすると、松田と視線があった。彼が、小さく首を振る。足を止めれば、ふと癖毛がもう一度店員のほうを振り返った。

「だぁかぁらぁ……そのワケってやつを忘れちまったつってんだよ!」

 店員もさすがに個人情報は教えられないと困った表情を浮かべている。それを示し合わせたように、今度は傍らにいた男が「あー!」と大声を出した。私は萩原と松田達のほうを、首を忙しく動かして交互に見遣る。

 その一瞬、一瞬――視線が遭ったような気がする。しかしその視線がすぐに横に逸らされ、彼は今日の逮捕術で伊達が話していた事件を、幼いころ見たことがあるのだと説明した。松田と諸伏も一度顔を見合わせ、ひとまず店を出て状況を整理することになる。諸伏の背は、震えていなかった。




「えっと、つまり……?」
「班長の親父さんが強盗にボコられてたのは警察の応援があるまで被害を拡大させないためで、班長はそれに勘違いしてる――ってことか」
「そーいうこと」

 萩原が深く一度頷いた。伊達が逮捕術の授業で少し荒っぽくなっていたのは、彼の中にある地雷のようなものに片足が乗ってしまった所為なのだろう。――というのは、私ではなく彼らの憶測だが。実際目の当たりにしていない私にとっては、聞き及んだことでしかない。人からの伝え聞きで事を大きくするのも、気が進まなかった。

「って、ど、どうするの?」

 彼らが迷いなく歩みを進めるので、私もその後を追う。松田はあっけらかんとして、「どうするって」と不思議そうにこちらを見つめた。

「誤解を解くんだろ」
「……でも、私たち伊達くんのこと何も知らないのに」

 そんな、口を挟んで良いものだろうか。
 萩原が見たという出来事だって、少年のころの記憶だろう。伊達の父に関しては、たった一瞬の出来事よりも、伊達当人が一番よく知る男のはずだ。出会ってたかだか数か月。家庭事情に口を挟む権利はないように思うのだ。
 彼らの意見を真っ向から否定するのも気が引けて、視線を落としながらつぶやく。最初に口を開いたのは、やはりというか、松田であった。

「なら、知ってても放っておけっつうのか」
「そういうわけじゃ……。ただ、もっと仲良くなってからとか……タイミングとか、そういうのを見ても良いんじゃないかなって」
「フーン……。ま、それならお前はそうすりゃ良いだろ」
「……そう、なんだけど」

 彼は苛立たし気に頭を掻いて「煮え切らねーなぁ」とぼやく。その言葉に、体が小さくなるような感覚を覚えた。

 ――お前はそうすりゃ良いだろ。

 それは許容であるのか、それとも諦めであるのか。
 それ以降は言葉にできなかった。口を噤み、無言で彼らの後ろを歩く。松田は私の態度に、一つ息をついた。

「でもよ。ソイツにとって迷惑かどうかって、お前が決めるモンか?」

 決して怒っているわけではない。いつもと同じ、淡々とした声色だった。別に抑揚がないわけではないのだが、そう聞こえるのは口の動きが小さな所為だろうか。
 ――違う、と思う。
 だけれど、そこへ無遠慮に踏み込むのも、納得はできない。それこそ、土足で心を踏み荒らすようなものだ。仮に伊達がそれを許したとして、どの人間にも通用するわけではないだろう。

「別に、それこそ突っかかる気はねーよ。ただ、知ってどうにかなるモンなら、知らないほうが損ってだけの話だ」
「……うん」
「ま、だから、なんだ。諸伏のことだって、俺のしょーもない一言が手助けになるかも……」
「諸伏くんの……?」

 私は松田と共に諸伏のほうに視線を遣った。そういえば、彼らは人捜しに来ていたのだったっけか。諸伏の様子は、私から見ても異常だった。諸伏が気づかわし気に笑った。その表情を見る限り、松田は事情を知らないらしい。

 仲間想いなのだろう。松田が悪い男ではないことは知っていた。しかし同時に、彼が憎まれ口を叩きながらも、どこか憎めない男であることも知っている。私が同じように踏み込んで良いという話にもならない。

 考える傍ら、それすら私の言い訳なのではと思う節もあった。
 ひとえに、うまく言葉にできない己を誤魔化しているのかもしれない。考えれば考えるほど、言葉は空気を震わせず腹のうちに溜まっていく。


「……たす、けて」


 低い声が、沈黙を裂いた。
 一瞬、口から言葉が零れてしまったかと思って、ぱっと口元を覆った。しかし、萩原も松田も、諸伏のほうを見て驚いた様子を見せている。

「ホラ、奥の通りのコンビニの……看板の明かり。まるでモールス信号みたいに点滅して……」

 諸伏が、指を路地の奥へと向けた。その指の先には、見慣れたコンビニの看板が、確かに諸伏の指摘通りチカチカと定期的に点滅している。私はそれを見た瞬間、悩んでいたこともすべて吹き飛ばして目を丸くした。


「あ、あーっ!!!!」


 ――そうだ、コンビニ!!
 重苦しい空気に大事なことを忘れてしまっていた。私の大声が、路地に反響していく。思わず、そばにいる誰かの袖を引いた。

「そ、そう! 私、さっきコンビニですれ違った人たちが、コンビニに下見だとかいうからおかしいって思ってて、それで……っ」

 しどろもどろに先ほどの出来事を伝えようとする。そうだ、そうだった。しかも、あの看板のモールス信号。つい先日授業で習ったばかりのSOSだ。顔中から血が引いた。こんな、私の個人的なことで悩んでいる場合ではなかった。あの時は思い過ごしかと思ったが、やはり何かあったのだ。早く相談しなければいけなかったのに、私は、私が――!

「小林ちゃん」

 頭上から、柔く声が降りかかった。泳いだ視線を持ち上げると、萩原が幼い子へと向けるように目をゆっくりと細め、瞬く。私は泣き出しそうになる内心を押さえ込み、袖を離した手をもう片手で包むように握った。そして、ゆっくりと先ほどの情報を整理しはじめたのだ。



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