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「コンビニの下見、看板のモールス信号……か。ただ事じゃなさそうだね」

 宥められながらの説明を親身に聞いてくれた諸伏が、軽く顎を擦って呟いた。私たちはひとまず、コンビニの状況を確認しようと、道端を通りすがるフリをして横目に店の状況を見遣る。店の明かりはついているが、入り口には張り紙が貼られている。

「……改装中、だって」
「お前、よく今の一瞬で読めたな」
「あはは。そういうのは得意で……でも可笑しいよな」

 視線も遣さなかった一瞬のことだったが、諸伏が通り過ぎたコンビニを視線だけで振り返りながら目つきを鋭くする。私も、その言葉に頷いた。

「改装中なのに、車や自転車は停まっていたし……」
「休止中のコンビニが看板にライトをつけるワケもねぇよなあ」

 萩原が、決して不真面目ではない笑みを浮かべながらぼやく。そうすると、やはりあのコンビニの中で何かが起こっているのだ。――「どうする?」、尋ねたのは萩原だった。私に対して、ではなく、私たちに対して、そう問いかけている。

「……通報して、パトカーの到着まで十五分くらいかな」
「中で犯罪が起きてるか見たって証拠もねーんだ。パトロールだけなら、もっと掛かる」
「ま、待ってよ。まさか行く気じゃないよね」

 慌てて松田の言葉に口を挟む。松田は私を見ると、「じゃあ、どうすんだ」と軽く首を傾いだ。――分かっている。彼は責め立てているのではなく、純粋に私にどうするべきかと聞いているのだ。

「……あ」

 言葉に詰まった。頭の中がいっぱいで、うまく喉元を通り抜けることができない。
 ――通報するべきだ。そう思う。私たちだけで手に負えるかどうかが分かったものではない。少しのいさかいなら良いが、本当に犯罪組織が紛れていたとして。そうしたら――。

『――なれるよ!』

 ――そうしたら、何だ。
 例えば犯罪者が相手なのならば、どうして私は逃げようと思う。『警察官』になるというのに。助けを求めている人がいて、その手を取れるようになろうと思ったのに。学生でも、何でもない。私は、既に警察官だ。

「……一度学校に戻るべきだと思う」

 思いのほかすんなりと、閉じた口が僅かに開いて、擦れた声が零れ落ちた。

「助けを待つってことか?」
「……どっちにしても、警察官の半人前四人で解決することじゃないよ」
「もし殺人犯が紛れてたら、その間に誰かが死ぬかもしれねー」
「し、死ぬって……」

 確かに、そうだけれども。どうやら松田は今すぐに助けに向かうべきだと思っているのだ。普段の退屈そうな態度からは考えられないような、食ってかかるような目つきをしていた。

 彼の言葉をすべて否定したいわけではない。だが、現実的でもない。事を荒立てたことで、逆上した犯人が振り上げた手を、すべて守り切れる自信もなかった。通報に時間がかかるのなら、せめて上官に話をするべきだ。私の意思はそこにある。

 昔から、己の意思がないわけではない。それを形にする、僅かな勇気がなかっただけだった。それを克服しようと言ったろう。自身で誓ったのだろう。竦む心に言い聞かせて、私は震える眼差しで松田を見据えた。

「で、でも! 少なくとも、コンビニですれ違った時の集団は四人以上だったもん。もっと良いやり方があるはずじゃない」

 告げると、彼は静かに押し黙った。どこか考えるように視線を落とし、力を抜くように息をつけば、「だな」と一言。

「俺も、小林ちゃんに賛成」
「……萩原くん」
「や、女の子だから贔屓とかじゃなくてね。教官がこの話を信じてくれるかは分かんないけど……、でも、俺たちには頼れる仲間ってヤツがいるでしょ。さっき諸伏ちゃんに言ったみたいにさ……違う?」

 萩原が、ちらりと諸伏のほうに目配せをする。諸伏のツンとした目つきが開かれて、彼は「ゼロ!」と軽く手を叩いた。萩原も機嫌良さそうに「だろ」と目元を柔らかくする。

「……よし。と決まりゃあ……走んぞ!」
「おうとも」
「行こう、小林さん!」
「え、あ、うん!!」

 松田はパっと、その頼りがいのあるような、幼いような子どものような表情を持ち上げると、踵を返し先頭を取り始めた。機嫌よく長い足を踏み出した萩原と、私を呼ぶ諸伏の後ろ姿に、どこか喜び――のような感情があったと思うのだ。




 
 この時ばかりは、日々無駄に走った甲斐があったというものだ。松田の足の速いことといったら、もしかしたら教場一かもしれない。普段の集団走で慣れたと思っていたのに、すっかり肩を弾ませてしまっている。萩原が苦笑いしながら「陣平ちゃん、高校までボクシングやってたからねぇ」と私の背を軽く擦った。私からすれば、余裕綽々に笑っている萩原も同罪である。

 呼吸を整えているところに、松田が寮から戻ってきた。どれだけの全力疾走が続くのだかと軽くシャツを扇いでいると、松田はその吊り上がった眉を顰める。

「駄目だ、降谷も伊達も部屋にいねー」
「え……」
「もしかして、昼間ちっと揉めた所為か? ……あちゃあ」

 萩原が苦そうに呟いた。どうするべきか、考えていたのだろう。萩原も松田も口を閉ざして、数秒。否、数十秒。口を開いたのは諸伏だった。

「……あのさ、コンビニでモールス信号送ってたのって、誰だと思う?」

 その発言に、私たちは同時に諸伏へと視線を向ける。諸伏は確信を持ったような、温厚ではあるのに自信をたっぷりとつけた落ち着いた声のまま続けた。

「看板の電気を操作できるってことは、きっとバックヤードとかに閉じ込められているんだよな。まさか集団の犯人が自由のきく人間を野放しにしているとは思えないし……きっと、拘束されたか見張りがいたはずだ。それをすり抜けて、誰が電気盤でモールス信号を送っているんだ?」

 私たちは顔を見合わせる。諸伏が言わんとすることは分かる。――だが、まさかそんな偶然が続くだろうか。だが、確かに降谷と伊達がいるのならば、先ほど諸伏がいったようなこともできるだろうと思う。

 【あの看板のモールス信号。つい先日授業で習ったばかりのSOSだ。】

 確かに、そうだ。つい先日授業で履修したばかりであった。だとすると――。四人の視線がかち合う。恐らくだが、まったく同じことを思いついたのだと確信できた。それは、先ほど萩原から聞いた伊達の話が、まだ頭にこびりついていたせいだ。

「……わ、私、女子寮の残ってる子に声かけに行く!」
「俺は男子寮……」
「俺は気を引けるモン探してくる」
「オレはひとまず教官に報告……」

 私たちは互いに頷きあい、自らの目的へと踵を返した。声をあげるのは、今でも怖い。気心
知れた相手でも恐ろしいというのに、大勢の――初対面同様の子もいれば猶更だ。しかし、今は不思議と恐怖心が和らいでいる。
 目的のために夢中であった所為なのか、それとも。

「……うん、待っててね」

 私は一度両手を見下ろし、力強く、今度は己自身へ向けて頷いた。
 前、天井からの落下事故で――松田に名前を呼ばれたときと同じ感覚。降谷に、信じろと言われたときと同じ。誰よりも警察官らしく、まっすぐな男たちの姿に。その仲間なのだと言われているようで、信用していると言われているようで、自分が誇らしかったのかもしれない。いつもの弱虫で意気地ない私から、少しだけ前に進めている――そんな感覚が、背を押すのだ。



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