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女子寮の談話室へと駆けこむと、数グループの生徒たちがそれぞれの時間を過ごしていた。互いに勉学を教えあう者、テレビを見て娯楽に興じる者、会話に花を咲かせる者――。私と同じ教場の生徒だけでなく、恐らく一類・三類、初総科も混ざっている。私は息を切らして階段を駆け上がると、その呼吸を整えながら顔を見渡した。
「……」
先ほどまで意気揚々としていたはずの心がやや臆病になったのは、知っている顔がほとんど見当たらない所為だ。私は一つ息を吸って、鼓動を落ち着けるように呼吸を落とす。
――落ち着いて。
あの三人も自分たちにできることをしてくれているのだ。私も私にできることをしないと、恥ずかしくて顔向けもできない。よし、と視線を持ち上げて口を開いた。
「あのっ……」
驚くほどに、己の声がその空間に響き渡ったのが分かる。
今まで各々の場所へ向けられていた視線がぐるっと同時にこちらを向いた。「あ……」、思わずか細い声だけを残して、息をのんでしまう。別に彼女らに敵意があったわけではない。彼女らはただ『注目』しているだけだ。以前、行きずりで見上げられた時とは異なる。私が自らの意思で注目されている。
――なんと、言うのだったっけ。
頭が白く染まった。何を、喋れば良いのだったっけ。ああ、ダメだ。こうなると、いつもと同じ。いつも、こうやって曖昧に笑って「なんでもいいよ」と。駄目なのに――それじゃ、駄目なのに。
「――……何かあるなら早くしてくれない?」
とある生徒が、うっとうしそうにぼやいた。声の持ち主のほうへと視線を遣る。覚えていた――いつだったか、トイレ掃除のときにすれ違った女生徒だ。ハァ、と長い息をつきながら、手元にあるペンでテーブルを打った。かつん。無機質な音が響く。
それは、プレッシャーの音。
私が昔からよく知る音だった。この音がすると、自分の考えなどどうでも良いように思えてしまう。考えていないわけではない。けれど、どうせ上手くいかないから。能力は至って平々凡々。しかも人よりも運がない。何を言っても、上手くはいかないから――。
「……近くのコンビニで、不審な動きがあります! たぶん、相手は四人以上。外から中は伺えず、通報しても時間がかかるので、みんなに協力をお願いしにきました!」
――そんなことは、ない。
何をしても上手くいかないのは、上手くやろうとしていないから。どうせ駄目だと、口を結んだままだから。臆病風に吹かれて、全部自分の運の所為にするから。彼らと話をしたではないか。私が連れてくると言ったのではないか!
「その……信じてもらえないかも、しれないけれど。でも、お願いします。力を貸してもらえませんか……」
女生徒たちの視線が泳いだ。
聞かなかったことにして、テキストへと目を落とす者。友人と目配せをする者。ため息を零して自室へ戻る者。分かっている。私の言葉を信じるか否かというのもあるが、まずもって自分たちで解決しようとすることについては、私にも疑問が残るからだ。もし声を掛けられた側だとしても、はたして快く頷いたかどうかは分からない。
「――……良いよ。どこに行けばいい?」
その中に一人、私の視線を逃さない生徒がいた。
彼女は小さく微笑むと、こちらに歩みを進める。どくん、鼓動が鳴った。決して、軋むような嫌な音ではない。何かが始まるときの、高揚した鼓動だ。同じ教場の生徒だった。確か――柵木と一緒にいるのを見たことがある。
「ていうか、ほかにも人いる? 私声かけてこようか」
「そんなに沢山いても指示が回らないんじゃない。どのくらい必要なのか教えて」
私はその声にこたえるように「はい」と返事を返す。彼女らは苦く笑いながら「大きな返事」とぼやいたのだ。
◇
私はその場にいた女生徒と、彼女らの友人の十名ほどを連れて、先ほど萩原たちと約束した門の前へ向かった。まだ集団の姿は見えない。焦りもあり、ヤキモキとした気持ちで周囲を見渡していると、ポンと肩に手が乗った。
「ごめん、お待たせ〜」
「萩原……く……」
パっと顔を明るくして彼らを見上げ、私は表情を固まらせる。
確かに、萩原たちだ。それに間違いはない。サングラスやら色眼鏡から覗く特徴も、声色も彼ら自身のものである。恐らく、彼らから見ても露骨に分かるほどに表情が歪んだ。その身に纏っているのは普段着でもジャージでも制服でもない。
「…………」
――ふ、ふざけているの?
どう見ても柄が良いとは言えない、派手なシャツとジャケット。歌舞伎町を歩く若者のような格好に、困惑の次に怒りが沸いた。隠せていなかったのだろう、顔色を見た萩原がパっとサングラスを外した。
「いやいや! 言っただろ、気を引けるモンを持ってくるって……」
「間違っても、中にいる奴らを助けにきたと思われちゃいけねーからな。チャラチャラした輩っぽくなっとけば、向こうさんも警察だとは思わないだろ」
「なるほど……」
確かに、急に大勢の生徒が押しかけ、先に警戒されてはいけない。
――とはいっても。私は彼らの服装を足先から頭まで見回した。どこからどう見ても、遊びにでるチャラけた男である。その素晴らしいほどの擬態には舌を巻く。素直に感心して頷くと、松田がふざけて「何見てんだよ」とメンチを切った。
「……本当に、作戦だけなんだよね? いつもこうなわけではなくて?」
「あのなあ……」
萩原が太い眉を下げて苦く笑った。その言葉を遮るようにして、諸伏が遅れて駆けてくる。
「ごめん。お待たせ……」
と、いつもの穏やかな声が転がり込む。私も、横にいた女生徒も振り返り――そして同時に噴き出した。ぶふっと堪えきれない笑いが、私たちの肩を震わせる。萩原と松田は、確かにこんな柄の悪い服装をしていたが、まだ似合っていた。むしろ妙にしっくりきたというか。だが、諸伏に限っては――。
「わ、笑うなよ」
否、もしかすると似合ってはいたのかもしれない。
確かにツンと吊り上がったクールな顔をしていたが、目元さえ隠れれば彼は凡庸的な風貌をしていたから、どんな服装でも似合わないことはなかったろう。だが、普段この学校内でしか姿を知らないものだから。そして、学校内の諸伏景光という男は、降谷のストッパー的存在であり、知的で穏やかで、恐らく私服においてもチャラのチャの字も見当たらないような好青年なのだ。
それが、どうだ。
タイダイ柄のシャツを鎖骨が見えるほどに開けて、細いネクタイは意味があるのかと思うほどにゆるゆる。上下色の異なるジャケットとスラックスを履きこなし、目元を隠すサングラスは妙に厳ついというのに、頭は普段のまん丸なまんまだ。
「あは、あははは……!! ごめん、笑ってる場合じゃないのは分かってるんだけど」
「ハァー……。こんなに似合わんもんかねぇ」
「しょうがねー。勢いで肩組んでいきゃバレねーよ」
諸伏が恥ずかしそうにサングラスの位置を直すのをひとしきり笑い終えると、松田が声を掛けたという男生徒たちが姿を見せた。やはり、降谷と伊達の姿はなかった。私たちは視線を交わし、頷き、その一歩を踏み出す。皆が、それぞれにキラリとした眼差しを携えているのが分かった。
――まあ、遅れてきた男生徒が諸伏の姿を再び凝視し、噴き出すものだから、緊張感があったかと言われればそうではないのだが。その空気さえ、どこか心地いいような――。胸が熱く燃えるような、そんな心地であったのだ。