26
まずは、派手な服を着こんだ三人が犯人たち(――仮定だが)の目を引く。恐らくATMを開くまで手荒な真似に出ようとはしないだろう。そこを、残りの生徒たちで制圧する――。はらはらとした胸の中の動悸を隠せないまま、私は萩原たちが先頭を切ってコンビニの様子を覗くのを見守った。
もしかしたら相手が凶器を持っていることもある。いくら一般人を装ったとは言え、たった三人で大丈夫だろうか。今更考え込んでもどうしようもないことなのだが、無性に心配だ。それが表情にも浮かんでいたのだろう。萩原が小さく笑いながら「心配?」と私に尋ねる。
「……それは、まあ」
「まあ、見てなさいよ……。小林ちゃん、コレ持ってて」
「なに?」
言うなり、萩原は己の携帯電話を私に放り投げた。目を丸くして、手の中におさまったそれを見下ろす。萩原は何ということもなく、「今持ってないでしょ」と一言。
「それは、そうだけど。だからって何で?」
「もしものことがあったら、松田の携帯から着信入れるから。だから外で待っててくれよ」
思わず目を瞬く。「いや、でも」、食い下がってしまった。しかし、話を聞いていたらしい諸伏まで揃って頷かれる。
「怪我が悪化するかもしれないし、連絡役にいてもらったほうが良いよ」
「……」
「警察が駆けつけてくれた時は、ちゃんと誘導して。それが君の役割」
長い指先を向けられて、押し黙る。てっきり、私も彼らとともに行くものだと決心していた。まるで置いてけぼりを食らうみたいで、なんだか空しい。手の中にある萩原の携帯を見下ろして、唇を軽く引き締めた。――その時だ、松田が「行くぞ」と号令を掛けた。
「――あ……」
三人がコンビニに向けて駆けていく。その背中を見守った。煌々としたコンビニの看板に照らされて、普段よりも大きく、しかし遠く見える。周囲の生徒たちがぐっと腰を低くしタイミングを伺っていた。私の手元にある携帯電話は重たくて、体をその場に縛り付ける。
せっかく、彼らの仲間になったと思ったのに――。
仲直りだって、できたと思ったのに。
何とも言えない感情になって、思わず視線を落とした。
頭では理解している。何も、手足となって動くことだけが仲間というわけではない。外を見張る役割がいることも、今の私が前に出ることがかえって足手まといになることも分かっていた。
ただ、拍子抜けた――というのが正しいだろうか。
それとも、置いていかれたという寂しさが強いのだろうか。教場の仲間たちがその背に続くのを、ぽつんと携帯を握りしめて見つめていた。萩原の携帯をふと見下ろす。案外無骨で素っ気ない携帯電話には、着信履歴が一件だけ。余計に胸がぎゅうとした。
「……最低だなあ」
ひとりごちる。もっと、あるだろう。彼らが危険な場所へと赴くのだから、無事を祈るとか、心配するとか。そうでないとしても、今できることをすれば良いのに。――自分のことばかりである。嫌気が差す。それを振り払うように、明るいコンビニの向こうを見遣った。
ちょうどその時だ。遠くからサイレンの音が聞こえた。はたと振り返る。恐らくこちらに向かってきている車両なのだろう。台数は少ない――やはり松田の見込み通り、犯罪が起きているか定かでない状況であるからかもしれない。手に持った携帯を大きく翳して、遠くから近づく赤色灯に手を振った。
「……気づかないかな」
画面の灯りといっても、周囲の街頭に紛れる程度だ。遠くから見ればほんの小さな煌めきであっただろう。もう少し近くに寄った方が――いや、でもまずコンビニの場所は伝えてあるわけだし、下手に動かずとも。
――私の悪い癖が出た。
時間にすれば然程長い時間ではなかったかもしれない。だが頭がそれで一杯になり、つい足を止め、手を下ろしかけた。その手がぐっと掴まれた瞬間、背筋がピクと固まるのが分かる。
「テメー、あのガキどもの連れか」
特別低い声ではない。しかし、妙に恐怖を煽る声色だった。もしかすると声の持ち主である男本人も、何かを恐れていた所為か。慌てて手を引こうとするが、ぐっと手首を後ろ手に捻られる。
――まずい。
項を冷汗が伝い、顔が青ざめるのが分かる。しかし、こんな所まで恐らく犯人の集団の一部が逃げてきたのだ。店内はまず上々にいったと思って良いだろう。その後私が、捕まらなければ。
人質だといって、彼らの動きを止めてしまったら――それこそ、最悪な事態である。良いのか、私は、それで。自問した問いにはすぐ答えが反復した。
「――いいわけ、ない!!」
思い切り、後ろ手のまま足を踵で踏みつける。その拍子に組まれた腕を勢いよく上に払いのけ、手に持っていた携帯電話を顔面へと投げつけた。男が後ずさるのを見計らって、とにかく走った。パトカーの灯りはすぐそこだ。
息を切らして走る中、先ほどまで胸を占めていた靄が晴れるような気がした。
どうしてああも寂しく空しい想いをしたのか、分かる気がする。置いて行かれるその感覚は、寂しい――というより、悔しかったのだ! 足を引っ張りたくない、私だって、彼らと同じように正義に胸を張れる警察官でありたい。それができないことが、悔しくて、悔しくて、仕方がない!
ならばまず出来ることをしよう。今の私に出来ることは、足を引っ張らないこと。そして、彼らを現行犯で逮捕できるよう、上官たちのもとへ向かうこと。不格好であっても、悔やむ暇があれば走るしかない。彼らの成し遂げたことを、邪魔してはいけない。
赤色灯がずいぶんと遠くに見える。
すぐそこだと思っていたのに、どれだけ足を伸ばしても辿りつく気がしなかった。一瞬、足がぐにと側面を向いた気がする。その痛みに顔が歪んだが、それでも踏み出そうとした。ふと、視界が傾く。すぐに立て直したが、真後ろで誰かの足音がする。奥歯をぐと噛みしめた。
「――頭ァ!」
路上に響く声に、恐らくその場にいた誰より先に体が動いた。頭を下げるのと同時に、激しい衝突音がする。頭を抱えて暫く、私を呼ぶ声がする。息を切らして、頭上から呼ばれた名前におずおずと頭を持ち上げた。
「大丈夫?」
ふわりと、甘いにおいがした――気がする。砂糖というよりは、もっとムスクのような香り。ヘアワックスのにおいだと、彼が髪をかき上げる仕草で気が付いた。視線の先で、凛々しい眉が安堵したように柔らかな山を描く。傍らに転がる傘立ては、先ほどまで後ろを追っていた男にぶつかったようだ。ぶつかった本人は、その衝撃で伸びてしまっている。
「あ、ありがとう」
「……んーん」
彼は――萩原は、一度視線を落としてから何やら曖昧に笑った。
私がジっと見つめていることに気づけば、すぐに軽く首を振り、ぐしゃぐしゃになった髪をそうっと整えてくれる。しゃがみこんだ萩原が、肩を落とす。ぺたん、と尻をアスファルトに着けて大きく息を吐いた。
「目、離すと怪我するの。カンベンしてほしいんだけどなあ」
「し、したくてしてるわけじゃ」
「まあねぇ。怒っちゃねえよ」
一拍置いて、萩原は大きな口元に笑みを浮かべ「安心しただけ」と歯を見せた。それを追いかけて来たらしい松田が、「二人で何くっちゃべってンだ」と眉を吊り上げた。私たちは二人して顔を見合わせ、軽く笑う。
「陣平ちゃんにはナイショ」
「なんだそれ」
「あはは……さ、いきますか」
サイレンの音が近くで停まった。腰を上げようとすると、萩原は少しだけ照れ臭そうに大きな手を差し出してくる。ずいぶんと冷え込んだ手のひらを、私も気恥ずかしさを隠せないままに握る。ほんの小さな脈の上下が、肌を通して伝わった。