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君が夏を連れてきた
 チャイムが響くと、生徒たちも一斉に机に出していた用具を片付け始めた。教師が号令を促し、私たちも緩く腰を持ち上げて頭を下げる。ようやく昼休憩、今日はやけに一日が長く感じる。――それも、このうだるような暑さのせいであろう。午前の体育はバスケだった。いくら室内といえど、体育館の中は扇風機(しかも小さい――あんなもので冷えるわけがない、とは体育教師も漏らしていた)が二台虚しく首を振っているだけだ。

「あっつー……」

 すっかり夏服に切り替わった襟元を扇ぐ。朝買ったパンとパックジュースの入ったビニール袋を、机のフックから持ち上げる。ひょこり、定番のように長い髪が目の前を過ぎった。

「よ、メシ食おうぜ」
「あ、うん。ちょっと待って」

 私は桜を手招いて、萩原たちが入れるよう机と椅子を軽く動かした。彼らと昼食を取るようになったのは、陣平と付き合いだしてすぐ、まだ今ほどは暑さがひどくなっていないころだった。
 元々萩原と陣平は一緒に昼休憩を過ごすことが多かったらしく、曰く「コイツがうぜえから一緒でも良いか」とのことだった。私は萩原のことを人間的に好いていたし、何よりあの日陣平のもとへと送り出してくれた大きな恩がある。断る理由はない。
 萩原を誘うのだから、もちろん私の親友を誘わないわけにいかない。
 結果、こうして四人で昼食を取るのが日課になっていた。陣平と付き合ったからといって彼らとの距離がギクシャクするわけでもなく、心地の良い関係だ。

 萩原が提案したのか、陣平がそうと決めたのか――決まって彼らのほうが私たちの教室に迎えに来る。当然ながら萩原の姿が見えると、クラスの女生徒たちが色めくのが分かった。彼は何とも罪づくりなにこやかさで「机貸してー」と近くのクラスメイトたちに声を掛けている。

「おー、すげえ。今日の桜ちゃんの弁当力作〜」
「本当だ。すごい綺麗!」

 二人して覗き込むと、桜は照れたように眉を下げた。私と陣平はいつも買い食いが多い。対照的に萩原と桜はほぼ毎日弁当だ。桜の弁当の中身が可愛らしいのはいつものことだが、萩原の弁当が思いの外男らしいのは意外でもある。

「お母さんが作ってるの?」
「そうそう。俺も姉ちゃんもよく食べるからね〜」
「お姉ちゃんって……千速さん⁉ 嘘、あんなに細かったのに!」

 驚いて声を上げると、太い眉が下がった。それから「ねえ」と陣平のほうを見て笑う。彼は口の端を歪めて萩原の視線を追い払うように手を振った。

「俺に聞くんじゃねえよ」
「あ、でたよコレ。姉ちゃんに言っといてやろうかな……」
「コレって何?」

 可愛らしい花型の卵焼きを口に放って、桜が首を傾ぐ。萩原はよくぞ聞いてくれたと言いたそうに、大げさに説明をはじめた。

「実は前ひなちゃんに誤解されてからさ、姉ちゃんのことに触れるのタブーになったみたいで」
「ちげーだろ。別に俺に聞かなくて良いからそう言っただけで……」
「またまた。またあんなすれ違いしたくないんだろぉ、正直に言えよ」
「もう気にしてないよ。陣平の初恋が千速さんだったことも聞いたし」

 ストローを咥えてあっけらかんと言えば、陣平が「ハ⁉」と勢いよく私を振り向く。あっちこっちと首を回して、つらないと良いのだが。彼の顔がみるみるうちに真っ赤にそまっていくのを、心の奥で笑いと可愛いという感情を精一杯にかみ殺した。萩原も笑いを堪えているのだろう、肩を震わしているのが分かる。桜だけが「えー、そうなの!」と目を丸くしていた。

「ふ、くく……」
「ひなちゃ〜ん。顔、顔」
「ご、ごめん。だって陣平くんの顔真っ赤で……か、かわ……ふふ……」

 肩を震わせて堪えていたら、陣平は口元を拗ねさせてパック牛乳をじゅうと音を立てて吸った。さすがに揶揄いすぎたという反省もあったので、話題を変えることにする。スクールバッグを漁って、昨日買ったものを机の上に取り出すと三人の視線がそこに集中する。見た瞬間に萩原の顔色が輝くのが分かった。陣平はストローを咥えたまま不明瞭な発音で雑誌のタイトルを読み上げた。行儀が悪いと桜は苦笑いしている。

「そう。どうかな、四人でさ……。足がないからあんまり遠くにはいけないけど」
「良いじゃん。折角夏休みだもんなあ」
「いや、なんで四人なんだよ」

 間髪ためらわず片眉を吊り上げて突っ込んだ陣平に、私は少し頬を赤くしながら「だって楽しいじゃん」と告げた。萩原が私の顔を見て察したようにニヤリと意地悪そうに笑う。

「そりゃあ、陣平ちゃんは二人きりが良いよな。ラブラブ旅行にお邪魔してすみませんね」
「んなこと言ってねーだろ」
「じゃあ決まりな。桜ちゃんも行くだろ?」
「えっ、うん。私も行っていいなら……」

 ヨシ、と内心ガッツポーズを作る。陣平と旅行に行きたいのは勿論だが、桜が想いを叶える切っ掛けにもなれば良いと思った。余計なお節介かもしれない。それでも、私はいつか見た彼女の美しい笑顔を忘れることができないのだ。無理くりにくっつけたいわけではないが、好きな人には奥手になってしまう彼女への後押しがしたいとも思う。

「夏っていうなら、山? それとも海?」

 萩原が雑誌のページを捲りながら尋ねる。迷った末に、私は海だと答えた。萩原も海、陣平と桜は山だと言う。バラバラじゃんと笑うと、陣平は頬杖をついて気だるそうに話す。

「んでだよ、ぜってー山で火焚いたりしたほうが楽しいだろ」
「うーん、私も山で星とか見たいな。空気も美味しいし、何より涼しいよ」

 彼らの山への価値観は大分異なっているようにも思えたが、二人は雑誌の中の滝や魚釣りの項目を開いて和気あいあいと語り始めた。萩原はしばらくそれを眺めて、ウーン、と頭の後ろで腕を組む。どうやら彼には特段こだわりはないのだろう。私も海とは言ったが、二人がそういうのなら固執するつもりもなかった。

 車がないとキャンプ用品を運ぶことはできないので、皆でコテージを借りて過ごすのも良い。二人の輪に入ろうとしたとき、萩原がコソコソと陣平のほうへ顔を寄せた。そして何か耳打ちすると、彼の顔がハっと私を見る。そして頬をカっと赤くして萩原を睨みつけた。萩原は相変わらず飄々と笑っている。

「で、どーすんの」
「…………海」

 ぽつと零した陣平に、私と桜はそろって「ええ」と声を上げてしまった。一体何を吹き込んだのか分からないが、萩原はニコニコとご機嫌に笑いながら「よしきた」なんてガッツポーズを決めていた。

「な、なんで急に」
「るせー、いきなり泳ぎたくなったんだよ」
「そんなことある? 絶対なんか言われたでしょ」

 尋ねたものの陣平は一向に答えることなく、行き先は海に決まった。桜に謝ると、彼女は手を振って「海も好きだから大丈夫」と笑った。そんな会話を繰り広げていたあたりで、昼休みを終える予鈴が鳴る。彼らは残りの食事を慌てて詰め込むと、嵐のように教室を去っていった。

 残った机や椅子を元に戻しながら、雑誌に掲載された海水浴場を思い浮かべていた。どうせなら綺麗な場所が良いなあと考える。桜が思い出したように私の肩を叩いた。彼女は少し恥ずかしそうに、しかし嬉しそうにしながら次の休日の予定を尋ねる。

「空いてるよ、どこ行く? カラオケ?」
「ううん。買い物行こうよ。海久しぶりだから水着買わなきゃ」
「あー、そういえば私も買わなきゃな……」

 海に泳ぎに行くのなんて、中学以来だ。地元は海に面していなかったので、水着を着る機会も少なかった。どういうのにしようね、なんて話しながら、私は先ほどのニヤニヤとした萩原の顔を思い出す。

「……まさかね」

 と独りごちては見たが、もしかすると、そのまさかなのかもしれない。案外そういうところは思春期男子なのだなあと感じながら、腰周りに乗った贅肉をどう落とそうか、私は今から思考していた。緑の葉が、生ぬるい風に揺れて窓の外でキラキラと光を跳ねていた。





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