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 高槻の言い方を借りるならば、俺は転生していたのだ。
 柔らかな曲線を描く体のライン、明らかに前とは異なる顔つき。正真正銘、俺は女だった。突拍子もないかもしれないが事実であったし、高槻の話を聞いていたから案外すんなりと受け入れることができている。

 萩原研二とは違って、別にそこまで長身なほうでもない。顔や体つきも違うし、髪の長さはなんとなく落ち着くので前と同じような長さをしていたが、女にしては短い。強いて言うなら、おっとりと垂れた目つきは前世を引きずっているかもしれない。前世が男であった身からすれば、なかなかの美人であることは事実だった。


 そうして新しい生を受け、俺なりにいくつか分かったことがある。


 前の世界とは似通っているようで、ほんの僅かに違う世界であること。

 東都ではなく東京都と表記され、記憶していた町名は地図上には存在しなかった。俺がいるからといって他の人間も同じようにいるわけではなく、彼是二十五年ほど経つが、俺が出逢ったのは幼馴染くらいだ。名前こそ違うが、そのうねった髪、眠たそうな態度、何より天才的な手先の器用さは、まぎれもなく松田だと分かる。――あちらは、そんなこと関係ないようだが。


 二つ、高槻が話す名探偵コナン≠ニいう作品が存在すること。

 前世では微塵も聞いたことはなかったが、こちらの世界では寧ろメジャーと言っても過言ではなかった。高校生探偵が薬を盛られて、中身はそのままに体だけ縮んでしまう――という内容の、少年雑誌に掲載されたミステリーコミックだ。
 そして、高槻の言う通り、その漫画には『安室透』という名前で降谷が存在していた。否、降谷だけではない。諸伏も、松田も、伊達も――俺も。調べれば調べるほど見覚えのある名前や顔ぶれが見つかった。
 更に驚くべきなのは、俺はあのマンションでの爆発で死んだ故人として描かれていたことだ。そして高槻の存在はいくらコマの隅を探しても見当たらず、彼女があの世界でよほどイレギュラーであったことを語っていた。


「まぁたあの漫画読んでんの」


 と、幼馴染の彼女は呆れたように、休憩中スマートフォンを眺めている俺に話しかけた。前世と同じく警察官を目指した俺は、幼馴染と同じ交番に勤めて二年になる。「見かけによらずオタク」と評されたことに苦笑いしながら、スマートフォンをしまった。

 ぐぐっと伸びをすると、装備を整えて「警ら行ってくる」と彼女に声を掛ける。早く車を運転したいものだが、交番勤務の最中、新人は基本的に車を運転しては行けないのだ。せっかくの女人生だ。ミニパトにでも乗って「逮捕しちゃうぞ」なんて洒落を言ってみたいものだ。



 いつものパトロールの道を回っていると、ふと見覚えのある姿を見かけた。
 ――前、野良猫に上着を掛けていった男だ。男は痩せ身で金色の頭に、耳に空いたいくつものピアスが特徴的だった。少し猫背な歩き方は、昔の不良を思わせる。どうやらこの近所に住んでいるのだろう、あれからも何度か姿だけは見かけた。
 
 なんとなく、彼のことが気になった。

 前世が男だったこともあり、男と恋愛――ということが生理的に受け付けなかった俺にとって、それは特殊な事例であった。幼馴染も「ついに処女卒業か」と目頭を押さえたもんだ。(少し――いや、かなり余計なお世話ではある)

 もしかしたら、その気まぐれな目つきが彼女を思わせるからかもしれない。
 出会ったときに、バスタオルを持って怪我をした猫を包んだ高槻と、重ねているのかもしれない。

 正直、それ以外は高槻と男に似通う部分はなく、高槻は同年代の子たちに比べやや大人びたミステリアスな雰囲気があったし、気さくだったが妙な部分で真面目なところがあった。他人を蔑ろにすることはないし、何より人の命というものを大切にしていた。

 対して男は、ありがちなそこらのチンピラ――といった感じで、喧嘩直前までになったところは見かけるし、近くで老人が困っていようが妊婦とぶつかろうが、知らん顔をしているばかりだ。


「子どもみたい」


 見た限り、自分より少し年上に見えるのだが、その行動は精神的な幼さそのものだった。以前だったら、警察官という職業でしか見れなかったかもしれない。でも、気になる。気になってしまう意識は、どれだけ追いやっても浮いて出てくる。


 ――今日の彼は、いつもと少しだけ雰囲気が違った。
 常に周りに喧嘩を売るような態度を取っていたが、今日だけはその表情が朗らかに見える。彼の視線の先には、中学生くらいだろうか、少女がニコニコと手を繋いでいる。親しそうにしているし、もしかしたら妹かもしれない。

 ふ、と自然に頬が緩んでいた。
 そうしていれば、可愛いのになあと、その横顔を見つめていた。

 ちょうどその時だ。彼らの背後を追うようなトラックのタイヤの向きが可笑しいと思ったのは。金切声のようなブレーキ音がその場に響いて、次の瞬間にはトラックがすぐそばのシャッターにめり込んでいた。

 その場に自転車を投げ捨てて、慌てて駆け寄る。
 男は、そこに座り込んでいた。無線で応援と救護を要請し、現場を確認する。赤く血液が引きずられた後を視線で辿り――つい、目線を逸らしてしまった。それほどに、少女は無残な死にざまであった。一目見て、「ああ、これは助からない」と諦めてしまうほど、ハッキリと死んだと分かってしまった。

 それは、きっと男もそうだったのだろう。
 痩せた頬にボロボロと涙を零して、ひたすらに少女の名前を呼んでいた。救急隊が到着しても、サイレンを鳴らしたパトカーが何台到着しても、彼はその場から動かず泣いていた。

 救急隊から受け取った毛布を、その体に掛ける。
 何度か、声は掛けたのだが、まるで耳に入っていないようだった。見た限り怪我はしていないようだ。ホ、と息をついて、彼の肩を叩く。高槻さん≠ニ呼び掛けて、慌てて息を呑みこんだ。


「大丈夫ですか、もしもし、大丈夫ですか」

 
 と、その肩を揺するようにしていると、ようやくこちらの声が耳に入ったらしい男がゆっくりと此方を振り向いた。怒りと悲しみ染まった瞳から、とめどなく涙が零れている。彼は殆ど無表情で、やるせない声でを落とした。

「大丈夫に、見えんのか」
「……すみません」
「うるさい! 黙れ、黙れよ。あの子が、あの子が……」

 ぐっと、制服の襟首をつかまれる。
 恐怖はなかった。ただその表情を見ていたら、こちらまで泣きそうになってきた。しかし、ここで泣くのは彼に対する冒とくな気がしたのだ。力なく震える指先を見つめて、ひたすらに彼の姿を見つめた。


「――これ、救急隊員から。妹さんの、ポケットに入ってたって……」


 彼は――この男は、高槻な気がした。彼女が、前世の記憶として語ってくれた出来事と、あまりに一致しすぎている。手渡した紙の内容も、彼女が話したものとそのままだった。
 
 そう気づいてからは、見かける彼の背中を追うようにして街を見回った。明らかに覇気をなくしたような背中に、声を掛けようと何度も思った。何と言えば良いのか、俺には分からなかった。
 それと同時に、少し躊躇があった。
 この後、彼女の話通りであったら、彼は確か――トラックに轢かれて亡くなるはずだ。それを止めて良いのだろうか。止めたら、彼女はあちらの世界には行かないことになってしまうのではないだろうか。それが、怖かった。

 だけども放ってはおけなくて、目が、体が彼を追っていた。
 彼が日に日に荒んでいき、まるで生き急ぐように違法薬物やギャンブルに走るのを見ていた。――止めなくては駄目だ。本当に? 本当に、止めるべきか。俺の人生のためには、彼女の存在が必要なのに。


 違う。
 俺のためではない、彼を――彼を、助けなくては。トラックの金切声、俺は彼に向って飛び込んだ。彼の――彼女の涙は、世界が違っても、どんなものより俺の心を締め付けるのだ。泣かないでくれよ、笑ってくれ。

 全身が痛むなかに薄っすらと瞼を持ち上げると、彼は俺のほうを見て驚いたように目を見開いていた。どうして、と描かれた表情が閉じる瞬間。彼は掠れた声で言った。「ありがとう」と。

 だから、俺も殆ど掠れた声で笑った。「良かった」――そう、笑った。




  
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Shhh...