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 普段通りの講習を終え、挨拶をしたのち――教官から、一枚の紙ペラを回される。なんだなんだとクラスがざわつく中、教官がいつもより少しラフな口調で話し始めた。

「えー、お前たちも知っての通り、入校から二か月――。今週末から、外泊が可能になる」

 外泊、がいはく、ガイハク――。あまりに聞き馴染みが消えた単語だったので、頭の中で一致するまでに数秒要した。それは同期たちも同じであったらしく、数秒置いてから、皆がパっと顔を明るくした。鬼塚教官も、ごほんと咳き込みながら、紙を掲げて説明を続けた。その表情は心なしか「よくやった」と言っているような、誇らしげな顔つきだ。
 地獄の二か月――警察学校でそう呼ばれる期間が終わったのだ。
 この二か月間は、在校のなかでも特に当たりが厳しく、携帯も自由時間も禄にない――もっとも自主退学の比率が多い期間だと聞く。鬼塚教官は、その間を無事越したこと、そして教場の誰一人欠けていないことを、自分のことのように褒めてくれた。
 
 このときばかりは、同期が拳を握っても嬉しそうに笑っても、教官は怒らなかった。用紙には外泊願いという文字と、外泊する機関、場所、注意事項が書かれている。教官は口を酸っぱくして、基本的には泊まるのは実家であることと、ハメを外しすぎないこと、日曜の規定の時間には帰ってくること等を説明した。
 そして、同じくして週末しか返ってこなかった携帯を返却される。これは大きい。私たちはまるで初めて携帯を買い与えられた子どものように、目を輝かせてそれを受け取るのだった。



「高槻さんは、実家に帰る?」


 授業を終え、教場自習へ向かう途中に萩原が話しかけてきた。松田は相変わらず、隣で気だるげにのろのろと歩いている。
「うーん、まあ、帰ろうかな。遠くないし、ちょっとでも外にいた〜い!」
「それは分かるけど……。じゃ、アレ聞いた?」
「……アレ」
 声を潜めた萩原に、私は耳を寄せた。もとより低い彼の声色は、密やかになるとやや色気を含む。隣にいたえくぼちゃんは、ほんのり耳を赤くしていた。彼はにこやかに「うん、アレ」と、思わせぶりな言葉を続ける。私が知らないと気づいて言っているだろう。
「なに、アレって」
 少し顔を近づけて、面長な顔つきを覗きこむと、萩原は嬉しそうに軽く口笛を鳴らした。そんなにされたら教えようかな、どうしようかなーなどと勿体ぶっているうちに、松田が欠伸をしながら横やりを入れた。

「週末に、教場仲間で飲むんだってよ。外泊申請してるやつらでな」
「え、行きたい!」

 松田の方をくるっと振り向きながら、私は表情を明るくした。萩原は口を尖らせながら「勿体ね〜、なんで言っちゃうの」と拗ねているが、知ったこっちゃない。そう話しているうちに術科棟に着く。ここからは、教場全体での自主復習となる。教官はいないため、降谷と伊達が中心となって指導をしていた。
 普段は真剣に取り組む同期たちだが、今日ばかりは浮かれた話題で持ちきりだ。飲みにいく人数をカウントして、どこあたりに集合が良いか、など話を浮つかせていた。萩原、松田、伊達、諸伏――つづいて降谷も、私のルームメイトたちもそれにこぞって手を挙げる。つられて私も手を挙げよう――として、少し踏みとどまる。

 こういったことに目敏い萩原は、不思議そうに私を呼んだ。
「あれ、高槻さん外泊組でしょ。行かないの?」
 さきほど嬉々として、行きたいと漏らしたからだろう。私は、少し言葉を詰まらせた。うーん、行きたいけど……など、煮え切らない返事をしていると松田が吐き捨てる。
「行きたくねーなら、別にいんじゃね」
 それは拒絶――というよりも、私が断りづらそうにしているのをフォローしているような態度だった。「じんぺー……」優しさに感動し、神に祈るように手を組む。松田は鬱陶しそうに、手を振って追い払うような仕草をした。

「でもねー、うん……みんなと一緒に行きたいんだけどさ」

 ごにょ、と口ごもらせる私に、真っ先に気づいたのは諸伏だった。隣にいたのもあったが、はっと気づいたように「そっか」と切り出す。
「そういえば、高槻さん、まだ未成年だっけ」
「未成年……?」
「いや、ここT類の教場だぜ」
「だって、受験の時女子高生の制服着てただろ。今いくつ?」
 尋ねられた声に、口元をごにょらせながら「十八、今年で十九」と答えた。その瞬間の松田と萩原の「ハァ?」の表情はそっくりで、できたら写真に収めておきたいくらいだ。別に隠しているつもりはなかったが、特段言うのもどうかと思ったのだ。しかし、このままだんまりを決め込むのも厭味な気がする。

「だから、高卒なの。高卒でT類受けたんだってば……」

 高卒だもん、まだ未成年だし。拗ねたように言葉を続ける。私だって、皆と一緒にお酒が飲みたい。今の教場の人たちを好いているし、きっと楽しいだろうと想像もつく。

「……T類、受けたんだ」
「教官の当たりがキツいのその所為か」
「それは違くね……絶対私怨だよ」
「なんの怨みだよ、それ」

 彼らの言う通り、警察学校の受験にはT類、U類、V類と受験の種類がある。T類は大学卒以上の見込み、U類は短期大学、V類は高校となっている。しかしそれは受験資格ではなく、それ相応の知識があるかを調べるためのものだ。試験の難易度が変わるだけで、高卒がT類を受けれないわけではないのだ。
 私がT類を受けた理由は一つ、T類がもっとも早く警察として就職できるからだった。T類は六か月、V類になると十か月、そこには四か月もラグがあるのだ。

 ――まあ、それを前提にして昔から勉強してたからなあ。
 いくら頭が悪かったといえど、生まれつき中卒程度の知能はあったのだ。正直知能を測られても然して優秀とは思えないが、他の人が可愛らしい幼少期を過ごしている期間、吸収できた知識は大きい。

「童顔なだけかと思ってたわ」

 よく見りゃ、大人には見えねーなあ、と松田は口角をニヤっと上げて、ぽんぽんと頭を叩いた。露骨なガキ扱いに「陣平よりは大人だよ」と怒りを込めて言い返しておいた。

「まあ、一応十八なら居酒屋には入れるし……。飲まなきゃ大丈夫じゃない?」
「うーん、それで皆が良いなら……」

 気の良い同期たちは、快く頷いてくれる。チクショ〜、本当は酒が飲みたい。ウィスキーのロックでも、日本酒のお湯割りでも、どんとこいである。しかし、一緒に行く成人たちに迷惑をかけるわけにもいかないので、最年少らしく身を引いておくことにする。(――中身は最年長だけど)


 伊達が、ぱんっとよく響く手を鳴らす。
「おい、自習始めるぞ!」
 道場によく響く声に、私たちはハっと意識を戻した。同期だというのに、彼にはどこか教官と同じような空気がある。見た目とかそういう問題でなく――責任感というのか、私たちには欠けているものだ。
「はい!」
 私はつい、教官にするように大きく返事を返す。聞いた伊達がくっと笑いを堪えて肩を揺らした。


 
 夜時間、私は嬉々として外出願いに詳細を記入する。久しぶりの外出、久しぶりの居酒屋だ。
 週末に向けて心を躍らせながら、机のライトをつけて今日のぶんの課題に向き合った。今日の課題は、指紋採取の復習。指紋の形状を丸暗記で覚え、明日の小テストに備えなければならない。自分の指紋と見比べる姿は、傍から見ると滑稽だ。ルームメイトの姿を横目で微笑ましく眺めながら、私も自分の左手を凝視した。夜が、更ける。

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Shhh...