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 降谷と別れ、指定された駅に向かうと、萩原が軽く手を振って私を呼んだ。
 どうやら私が一番最後のようだ。珍しく時間通りに来た松田が「おせぇ」というものだから、どの口が言うのだかと眉と鼻の間に犬のように皺を寄せて威嚇しておいた。こうして傍目から見ると、警察学校の男たちはガタイの良い者が多く、周囲から見ると何の集団だかと思うほどだ。
 その中でも際立って体格のしっかりとした伊達が、私を見ると軽く頭を押さえて、ぐしゃりと髪を撫でる。彼女が――と言っていたが、大丈夫なのだろうか。私は顔を上げながら「彼女は」と尋ねた。

「ちゃんと会えたよ。この間は悪かったな」
「ううん。寧ろ尊敬したッス。さすが伊達教官〜」
「教官じゃねーっつの。写真見るか?」

 と、見せてくれた写真には、一目で外国の血が入っていると分かるほどツンとした鼻立ちと、色素の薄い髪の女性が幸せそうに微笑んでいた。日本人とは異なる真っ白な肌が、ほんのり赤くなっているのは、画質の良くない携帯の写真でも分かる。
「ぎゃ、可愛い……」
 ブロンドのショートヘアに負けない小さな顔をすっぽりと包むように、伊達の大きな手がその頬を軽く摘まんでいる。

「だろ。お前なら分かると思った」
「ただの自慢じゃん。良いな〜金髪美女……私にも分けて……」

 自慢げにニっと笑う伊達に縋るように、太い腕を掴む。彼女がいるなら怒るかな、と触れてから一瞬不安になったが、彼は微塵も気にした様子はなく、まるで父親のように腕に捕まった私をヒョイと持ち上げた。二の腕の筋肉が盛り上がっているのが、手の先から伝わる。「オオ〜」と感嘆の声を漏らしたのは私だけではなかった。

「すげー、伊達班長!」
「俺も混ぜて〜」

 何故か目を輝かせた松田や萩原まで寄ってきて、その二の腕にしがみつこうとしたので、伊達は彼らをベシっと平手で追い払った。私は伊達の腕で懸垂するように足を上げながら、彼らに勝ち誇った顔を送っておく。ぐぬぬ、と悔しそうにする様子がまるで本当の子どものようで面白かった。なんで本気で悔しがってんだ。

「――にしても」
「ん? ごめん、重かった?」
「いや、お前は諸伏だと思ってたよ」

 ――ずるっ
 伊達があまりに当然のように言うものだから、私は慌てて手を滑らせた。着地してから、伊達のほうを見上げると彼は軽く首を傾げて「違ったか」と言った。ここまで色々な人間に指摘されるのは、私が分かりやすいのだろうか。それとも、彼らが優秀な警察官なのだろうか。

「……ねー、んなに分かりやすい?」
「あー、違う。分かりやすいのは……」

 伊達が話しを続けているときに、周りから「早く行くぞー」と急かされた。私たちはハっとそちらを振り向いて、二人で分かったと声を張った。





 個室に入ると、テーブルを挟んで男女分かれて座ったので、誰かが合コンみたいだとか言いだして、すっかり合コンもどきのような茶番が始まった。萩原が「じゃあ女子サイドから」と幹事をし、みんな思い思いに合コンあるある≠口にする。鈴奈が「趣味は映画鑑賞です。優しい人が好きかな」と首を傾げた。優しい人になろう。

「高槻百花です、百花って呼んでくださ〜い。趣味は、家でのお菓子作りです」

 ティントを塗った唇をぷに、と人差し指で押し上げて言うと、「百花ちゃ〜ん」「俺と付き合って〜」とふざけた野次が飛んでくる。にこにこ笑いながら「好みの人は年収一千万のイケメンです」、肩を竦めれば手のひらを返したように「帰れー!」「男の敵ー!」と叫ばれた。

「萩原研二です。好みは、機械いじりが好きな癖毛の人でーす」
「うわ、なんか厳ついのいる」
「ひでぇ〜、ちゃんと女の子だもん。ねー」

 萩原が笑顔を向けると、女子たちは皆で「ね〜♡」と返した。
 この絵面にもだいぶ見慣れたものである。萩原が気を取り直して、と男の席に戻る。諸伏が腹を抱えて俯いているのが見えて、私はついニヤっとしてしまった。彼の笑いのツボは浅い。ヒイヒイと苦しそうに目じりから涙を拭うのが、なんだか可愛いのだ。

「お、じゃあニヤニヤしている百花ちゃん、トップバッターどうぞ〜」
「え、私!? あんま歌得意じゃないんだけど」
「大丈夫。みんなで歌えるヤツとかにして、分かんなくなったら隣に回しな」

 なるほど、その手があったか。萩原の提案に感心しながら、私は機械の履歴を探る。音楽を聴くのは好きなのだけど、いざ皆が知っているもの――と言われると、どうなのだろう。高校の子たちとは、やはり流行りのアイドルが違うだろうか。悩んだ挙句、子どものときに流れた国民的なヒーローの主題歌にした。茶色のマントをつけて踊る、丸い頭のキャラクターがテレビの中で踊っている。

 他の子たちもドっと笑ってくれたので、まあこれで良しということにしよう。歌っているとだんだん不安だったメロディーを思い出してきて、肩を揺らしながらノリノリで歌っておいた。ヒーローはきみだとか、やさしいヒーローだとか、勇気を出してだとか。そういった歌詞を最後まで歌いきると、気の良い同期たちは盛大な拍手を送ってくれた。――たぶん、そう褒められた歌声ではない。

 そのあとは、私が選曲を迷ったのが馬鹿らしいくらい、大人たちの独壇場だった。
 正直見ているだけで楽しい。思いもしなかった子が激しいバンドが好きだったり、厳つい男がバラードを歌い上げたりするのだ。伊達が渋く演歌を歌い上げたときなど、もう部屋中がワァっと湧いて、コンサート会場のようだった。


 気だるげな割に、歌が上手かったのは松田だ。
 男にしてはハイトーンな声が出る彼は、爽やかな邦ロックを二番の途中まで歌って、「こっから分かんねえわ」と切ってしまった。これは、降谷はカラオケに来なくても正解かもしれない。
 萩原はその低くゆったりした声で、女ものの恋愛ソングを歌った。
 先ほどの自己紹介のせいもあって、選曲のときは野次が凄かったけれど、ふざけながらもサラっと音程をとってきたのはスマートな彼らしい。


 画面にタイトルが表示される。英語の、知らない歌手名だった。萩原がマイクを持って「誰〜?」と皆のほうを振り向けば、照れ臭そうに諸伏が手を挙げた。
 私はつい、ブっと噴き出した。
 決して笑ったわけじゃあない。フェスに行くと言っていたから、てっきりロックバンドだと思っていたのだ。良い意味で予想外に裏切られて、一言でいえば悶えた≠フだ。
 しかし、どうやら笑われたと思ったらしい諸伏は、此方を見て恥ずかしそうに「笑うなよ」と拗ねたようにぼやいた。可愛いことを言うな! と独り頭を抱える。


 彼は手慣れたようにマイクを持ち、腹あたりに片手を置いて息を吸い込んだ。
 諸伏らしい歌声だった。松田のようにハイトーンボイスが軽々出るわけでもなく、萩原のようにビブラートが綺麗なわけでもないが、誠実な歌い方。それに、何よりその甘くセクシーな声色が魅力的だ。――現に、今まで歌ったどの男よりも女性陣がウットリとしており、それがすべてを物語っているのではないだろうか。

「ね、諸伏くん良いよね」
「うん。かっこいいって思ってたけど、今日はちょっと色っぽいっていうか……」


 という会話に、ムっと腹が立った。
 ――腹が立った? 確かに、今諸伏を褒めた女の子たちに。女の子たちに褒められた、諸伏に対してではなくて――?
 
 私が空っぽになったドリンクの底を、ストローでずずずと吸っていると、歌い終わった諸伏と目が合った。「すごい」「英語上手〜」「歌うまいんだね」という言葉たちを掻き分けるように、私に向かってニコっと笑ったその顔に、嬉しいと感じた。ドキリと言う高鳴りが、人格にヒビを入れるハンマーの一撃だと思った。

相手に恋人がいて、本心から喜べるかどうか、とか

 萩原の言った言葉に、私はストローの先を噛む。私が見て見ぬフリをしているうちに、大きくなりすぎた感情を、どうするべきなのか分からなかった。恋に落ちるというのは、怖い。二度目の人生で、初めて気づいた結論だ。

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Shhh...