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 ――目の前にいる男は、特徴的な目つきをパチクリと瞬かせて私を見つめた。
 夜の繁華街、チラチラとネオンが路地を照らしている。もう片側にいる目つきの悪い女が、露骨に私のことを殺意を持った視線で睨んでいた。私は一度、ギュっと手のひらを握ってから、このために染めた茶髪をグシャグシャとかき乱す。





 あの日――高明と会った日。
 私は前世で観た名探偵コナン≠フことを、幼いころから見る夢だ≠ニ、二人に話した。萩原に至っては案外すんなりと信じてくれたものの、高明はそうもいかなかった。いくら弟の同僚とはいえ、それを根拠に身を隠している彼に接することは理にかなわないと。
 ――私も、もし前世というものがないのなら、意見はそちらだったかもしれない。萩原や松田のように、リスクを承知で諸伏や降谷を探そうとは、思えなかったかもしれない。
 ただ、高明のように、彼がもし殉職しても、立派なことだ≠ニも割り切れなかった。彼が薄情なわけじゃない。諸伏の意思を大切にしているのは、寧ろ高明のほうだ。

 それでも、彼に生きてほしかった。
 私のエゴだったとしてもなんでも良いから、生きてほしい。孤独に震えずにいてほしい、正義と命を天秤にかけることに、一人今にも死にたいと言いたげな、そんな目をしないでほしい。

 情報は確かじゃない。諸伏がスコッチという男なのかも、あの映画の降谷零と私の知る降谷が同一人物なのかも分からない。でも、それが本当だったらと考えると、恐ろしくてたまらない。今度こそ、後悔ばかりのろくでもない人生なんで、送りたくない。

 私は高明になんとか食い下がった。
 一人でも多く、信頼できる協力者が欲しかった。諸伏を、引っ張り上げるその為に。それが、彼が信じてくれた――言葉にするのは恥ずかしいが、私なりの正義なのだと思った。
 高明は困ったように、整った眉を下げていた。毅然とした態度の中に、どこか感じる優しさが、彼を諸伏の兄だと感じさせる。

「……死ぬことより、自分の意思を貫けないことが、辛いこともあります」

 私はその言葉に、つい眉が吊り上がるのを感じた。感情のままに吐き出した最初の言葉は、やや大きく部屋に響く。

「そんなこと! ……そんなこと、ない。どんな人だろうと、命より大切なものがあっちゃ駄目だ」

 周りに美談として語られようとも。立派な人だと崇められても。
 死ぬのは、辛くて、苦しくて、痛いことだ。自分自身も、大切な人も。私が告げると、彼は少し驚いたようにして、しかし静かに視線をこちらへぶつけた。

「……少なくとも、私は自分の正義に反する捜査をするくらいなら、死んだ方がマシだと――そう思いました。きっと、弟も同じでしょう」
「諸伏くんが、どう思っていようと、私は嫌だ。……嫌なんです。夢かもしれない、妄想かもしれない。でも、死ぬかもしれないなんて思いながら、諸伏くんを放ってはおけないんです」

 ――お願いできないでしょうか。見据えた視線から逃げないように目を合わせて、私は言い切った。しばらく見つめあってはいたが、少しすると高明は小さくため息をつく。そして呆れたように笑った。

「あの子から聞いていたとおり、頑固さの目立つ子だ」

 ふ、と冷たそうな顔が破顔する様子は、やっぱり諸伏に似ていると思った。高明は、ネクタイを締めなおしながら肩を小さく落とす。


「しかし、どちらにせよ安易に接触するのは得策ではありません。私は言うまでもなく、同期である貴方達の接触を辿られれば、景光自身に危害が及ぶでしょう。私たちがするのはあくまで、彼がもし――君の言うように正体を勘付かれてしまい、助けを求めたときに逃げ場となることです」


 私は、そのセリフにしっかりと頷いた。彼も諸伏たちと同様、よく頭の切れる男のようだった。諸伏に似た口元へ指を滑らせながら、彼は視線をついと逸らす。何かを深く思案するように。

 そして、私のことをまじまじと見つめた。「木を隠すなら森、ですかね」――と、彼は呟く。私と萩原は、何の話かと二人で顔を見合わせた。高明は得意そうに口元に一つ笑みを浮かべると、咳払いをした。

「いえ、こちらの話です。まあ、このことは追々――私がかかわるのは先ほどの理由からも良くないでしょうから、誰か信頼できる者に言伝でも頼みましょう。……ところで、高槻さん」
「は、はい!」
「景光とは、両想いでしたか」

 ぼっ、と顔に一気に血が上ったのが自分でもよく分かった。
 高明は、その表情を見てクスリと上品に一笑を零す。「あの子は、分かりやすいから」と。自分でも驚いた。初恋とは、思い出すだけでこんな青い反応をしてしまうものか。

「いえ、えーっと……今は萩原と」
「良いよ、無理しなくて。諸伏ちゃんにベタ惚れだったのなんて、俺が一番よく知ってるし」
「ホォー、ベタ惚れでしたか」
「そりゃあもう、妬けちゃうくらい」

 と、クスクス笑い始めたいじめっ子たちを諫める術がなく、私はコイツら、と内心拳を握りながら冷め切った膳に箸をつけ始めた。まあ、さすがに高明は上官なので――。これが松田だったら、その頭をひっぱたいてやったところだった。





 それから、暫く。私と高明は、彼の言う信用できる人物を介してやり取りをした。長野県警の、大和と名乗る厳つい警部だ。(だから、どうしてこう強面ガチャに強いのだろうか、私は――。)
 恐らく高明と初めて会ったときに見た男と同じだと思うのだけど、何か事件に巻き込まれたらしく、片足をびっこひき、片目にも大きく傷跡が残っている。高明に遣わされたと東都に来た時、それはもう不服そうに警視庁の前に立っていて、思わず佐々木に『ヤクザが来た』と相談しに行ったくらいだ。

 高明曰く、「高槻さんに警告をしにきたということは、暫くは活動場所は東都内であるはず。なら、前のターゲットの関係者かもしれない。前のクラブの系列店付近を中心的に観察しなさい」――。まさか、そんな上手くいくだろうか。半信半疑に、プライベート時間はなるべく目立たない格好でその周辺をうろついた。
 見つけたのは諸伏ではなく、あのセキュリティの男だ。彼はひどく目を引く容姿をしていたので、遠目でもよく分かる。前のクラブよりも少し年齢層の高い繁華街で、あたりはキャバクラやらソープやらで溢れていた。しつこい客引きを視線だけで睨むその隣に、フードを被った姿を見つけた。

 高明からきつく「尾行や注視はしないように」と言われていたので、いつもドリンクを飲みながら遠くから一瞥するだけ。確認したら引き下がり、確認したら引き下がり。大体、彼らの現れる時間帯を予測できてきたころ、大和が私に一枚の写真を見せた。

「……? 奥さんですか?」
「ばあか、次の指示だよ。こういう見た目になれだと」

 大和のばの発音は、殆ど「ぶゎあ」だ。そこまで言わなくても良いだろ、私は少しムっと口をとがらせながら、写真を見る。一言でいえば出勤中のキャバ嬢。派手なコートや、しなやかに伸びる足を色っぽく隠すストッキング、高いハイヒール、掻き上げた明るい色の前髪。

「ウィッグは怪しく見えやすいから使うなよ」
「えぇ、これで怒られたら大和警部弁明してくれます?」
「お前らのためにわざわざ長野から来てんだよ! 釣りがいくらあっても足りねえ」

 私は彼の支持通り、伸ばした髪を明るく染め、なるべく派手なメイクをしてその日を迎える。彼に、SOSのたった一つの合図を伝えるための、その日を。

 久しぶりに握ったその手のひらは、やっぱり冷たくて、少しだけ、震えていたように思う。


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Shhh...