02


 ――長野県警捜査会議室。
 殺人事件が起きれば本部が設立され、捜査の結果をもとに役割や現状把握などの会議が進められる。いくら日本が法国家で、他国より治安が良いといえど、警察官たちに中々暇な時間は与えられないのだ。
 今日とて、通常業務の後――夜の十時を回る時間から、会議室には警官たちの厳格な声が響いていた。

「では、今日の捜査結果を――高槻巡査部長」
「はい。長野県警捜査第一課三係、高槻です。被害者は黒山幸雄、五十二歳、男性。不動産会社の経営者です。殺害されたのは――」

 マイクを持った女性が一人、壇上に立つ。くるりとした巻き毛を高くひっ詰めて、どちらかといえば幼い顔立ちの、クリっとした丸い目が前を見据えた。綺麗に巻かれた前髪や場を弁えた化粧、皺のないブラウス、少し光沢をもったストッキング――。一目で、身だしなみに気を遣う女性だというのは見て取れるほどだ。
 彼女は淡々と資料を読み上げ、現在捜査をしている事件の段階をしっかりと纏め、発言すると、隣に立つ大柄の男を一瞥した。
「――ですので、裏で暴力団との絡みがあると見て、組織四課との連携を取っていく必要を考えています。詳しくは大和警部、お願いします」
「ああ」
 男は片足をわずかに引きずりながら、女性に代わってマイクを取った。入れ替わりで女性は席に着き、ふうと息をついた。

「上手にできてたわよ」

 こそりと、隣に座ったもう一人の女性警官が声を掛けた。「本当ですか、由衣さん」――由衣と呼ばれた女性は、上原由衣。彼女の一つ上の上司である。少し気の強そうな目つきをしているが、伸びた背筋が美しい垢抜けた美人だった。

 そしてその後ろ、彼女たちが二人並ぶ席を眺める男が数人。二人して髪をアップにしているので、その白い項やら、横顔からのぞく長い睫毛やらにため息をついていた。
「いやあ、良いよな。高槻さんも上原さんも……」 
「うんうん。キュートとクールって感じでさあ」
「どっちもマジで仕事できるしな」
「俺は上原さんかな〜、既婚者だったんだろ? なんかエロくて良いよな」
 じゃあ俺は高槻さん、だなんてくだらない世間話が繰り広げられるなか、スクリーンに表示される文面が変わっていく。
「いや、高槻さんはなー……」
「え、なんで。可愛いじゃないですか」
「見てりゃ分かる」
 言われた新人警官は、はてと首を傾げた。丸い目つきに長い睫毛、小ぶりだが閉じても僅かに口角が上がる唇、やや丸っこい輪郭。絶世の美人というわけではないが、人を選ばなそうな、十人中九人が「まあ可愛い」と言うだろう風貌をしていた。加えて、常に小綺麗にしているので、尚更働きづめの男たちには女らしく映ることだろう。
 ――可愛いと思うけどなあ。と思いながら、大和の鋭い隻眼がこちらを睨んできたので、彼は慌てて背筋を伸ばした。

 捜査方向が纏まろうかとしていた会議室に、すっと波紋が広がるような声が響いた。ゆったりと低い声色は、マイクを通さずとも部屋中に聞こえたことだろう。その声に対し、大和は露骨に顔を顰めながら、しかしガシガシと後頭部を掻き「諸伏警部」と名指しした。

 新人の男は、先ほど傾げた首を反対に向けた。男は確かに「捜査第一課、諸伏です」と名乗ったが、彼には見覚えのない顔だったからだ。ずいぶんと立ち姿がピンとしていて、やや猫背気味な大和とは真反対だった。
「お言葉ですが、捜査方針に少々不満が残ります。暴力団絡みと分かった時点で、周囲への捜索は切り上げるべきではないでしょうか」
「まだ捜査中だ。誰かの怨恨という点も捨てきれない」
「兵は神速を尊ぶ――そうやって尻尾を逃すのは賢明ではない」
 大和が、そう冷静に告げた諸伏を睨みつけた。男は驚いた。大和は、泣く子も黙るどころが火がついたように泣き叫ぶだろう強面だ。元の面構えにプラスして数年前についたらしい顔の傷がその貫録を増している。大抵の者は、彼にギロリと睨まれると蛙のように縮こまってしまうものだ。

「あの二人、昔からあんな感じだよ」

 上司が横から耳打ちしてきて、新人は成程と頷く。大和がああいえば諸伏がこういうし、大和がこういえば諸伏がああいう。いつまで続くのかと思われるやり取りに、会議室がざわつきはじめた。前にいる上原や高槻もくるりと後ろを振り向いていて、ばっちりと目が合ってしまう。新人は、僅かに頬を赤らめた。他の女性と比べても大き目の瞳が、ぱちぱちと瞬くのが可愛くて、つい視線を逸らす。

「や、やっぱり俺、高槻さん狙いたいです」
「ハァ〜……絶対、後悔するぞ。それ」
「でも……」
「まあ止めないけどさあ」

 上司がため息をつくのを、新人は気まずく、しかし首筋を掻きながら頷いた。ちょうどそのくらいの頃合いだ。ピンっと糸が張ったように、場が固まった。どうしたものかと彼が視線をうろつかせると、諸伏がそのツンと吊った目つきで、周囲を見下ろしていた。それがあまりにもひどく冷たい視線で、体育会系で生きてきたノンキャリアの警官も、済ましたキャリア組も、ギクリとしたように固まっている。


「――静粛になさい」


 決して乱雑な口調ではなかったが、その低い声が敵意をむき出して放った一言に、周囲は静まり返った。散々、上司や教官に怒鳴られ続けた彼らだからこそ分かる。諸伏は怒らせてはいけない男≠セということが――。大和の、声を大きくして怒鳴るのとはまた違うピリピリとした緊張感が部屋の中を埋め尽くしていた。
 新人の男もハラハラとして様子をうかがっている時、ハァーと長い溜息のような音がすぐ背後から聞こえた。自分の前の席には高槻が座っていることを知っていたので、彼もふと振り向いたのだ。


「エッロ……エスっぽい警部もセクシーすぎます……」
「百花ちゃん、静かに」
「ええ〜でもでも、あんなゴミ見るような目で見ちゃってぇ……やっぱ警部って夜もサドっぽいのかな? とか考えちゃいませんか?」
「いや、あのね……」


 あろうことか、高槻はうっとりと、男たちが可愛いと形容した目を蕩けさせて諸伏のことを見つめている。必死に黙らせようと上原が掛け合っているが、その視線は諸伏に釘付けで、聞く耳を持たないとはこのことである。先ほどまで冷静にマイクを握っていた表情は何処へやら、今や知的のチの字も持たない、完全なアホ面だ。
 
 諸伏は、さらに冷たくため息をつき、ジトっと高槻のほうに睨みを効かせた。
「そこ、関係のない話を持ち込まないように」
「そこ、じゃなくて百花、って呼んでください」
「今は大切な会議中ですよ」
「いや、諸伏警部の提案で良いですよ。全部」
 にこっと満面の笑みが、管理官たちに「ですよね」と振り向いた。彼らもすっかり頭を抱えてしまっている。聞き捨てならないと言葉を返したのは、大和ただ一人だった。
「おい、お前俺の班員だろうが!」
「諸伏警部がそういうんですもん……」
「こじくれてんじゃねえ!」
 ぶう、と子どもっぽく口を尖らせた高槻は、ちらっと上目遣いに諸伏のほうを見上げる。諸伏はといえばすっかり呆れて言葉を失っているようで、暫くしてから「もう結構」とマイクを置いた。
「ね、聞きました由衣さん。結構、ですって! かーわいい〜」
「良いから。わかったから、今は落ち着いて」
 どうどうと立ち上がった高槻の細い肩を、上原がぐっと押さえつける。珈琲党で有名な県警の管理官は、嘆かわしく眉間を押さえてから、情けない声色で「では、そういう方針で……」と、残りのすべてを大和に投げ遣った。

 全員で敬礼をし、会議を終えたのが夜十二時。高槻は嬉々としながら諸伏のもとへ駆け寄ると、当然のように「ごはん何食べますか」と尋ねている。新人の男は肩を落とし、「あそこまでゾッコンなんて、教えてくれても」と内心愚痴をこぼす。彼は知らない、この好意がまったくの一方通行であり、彼らはカップルでも何でもないことを。

「やっぱり、最近ハマってる焼き鯖寿司とかにしときます?」
「なんで知ってるんです、君は……」

 ため息をついた諸伏と、ゆらゆら揺れるポニーテイル。諸伏高明のあだ名である『コウメイ』をなぞらえて、水魚の仲――だのと呼ばれている。しかし、捜査一課の面々は知っている。水を得た魚どころか、彼が絡むと高槻が油に浮いた魚が如くポンコツになってしまうのを。

「だあ、帰らせて堪るか!」

 ――大和が、片手で高槻の襟根っこを引っ張り出した。後ろを追う上原の手には、どっさりとした資料が持たされていた。片手しか使えない大和のかわりに、大きい荷物を持っているのはよく見る構図だった。
「お前のおかげで余計な仕事が増えたんだよ、高明、お前も手伝え」
「ハァ……まあ、女性にこんな役目をさせるわけにはいきませんね」
 諸伏はひょい、と上原の抱えた資料を持ち上げて、彼女に向かって軽く口角を緩めた。上原がすみませんと謝る横で、「じゃあ、私持ちます」と高槻が跳ねる。諸伏はといえば、遠慮なしに差し出された高槻の手に資料をパスしたのである。
「おもっ!」
「二階まで運べたら、帰り送って差し上げますよ」
「東都タワーでも登ります!」
 ――大和は思う。諸伏が何だかんだと、紳士的な面を幼馴染である彼は知っていた。どうせ最初から送り届けるつもりだっただろうに、相性が良いのだか悪いのだか――。と、察しよく感づいたが、同時にこれを告げれば益々仕事が捗らなくなることにも気づいたので、口を噤んだ。
 そう、長野県警の刑事は、優秀なのだ。