04

 普段は一つに括られた癖毛のポニーテイルを、ゆるく纏めた。華奢なピンクゴールドのネックレスは、光沢あるロングドレスと色味を合わせている。職務上、警察手帳の携帯が義務付けられているので、あまりシルエットがはっきりとしていない物を選び、スリップには携帯ベルトで銃と手帳を括りつけていた。

「由衣さ〜ん、本当に変じゃないですか!?」
「あのねぇ……。別にパーティに参加しようってわけじゃないんだから」
「でも諸伏警部に見せるんですよ! ちょっとでも変なとこあったら死にたい……」

 何度もクルクルと回って、ドレスと髪形を上原に確認させている姿は、傍から見れば小動物がぴょこぴょこと飛び跳ねているようだ。上原は高槻とは対照的なネイビーのチャイナ風味なドレスを翻して、肩を揺らしながら苦笑いを浮かべた。

 上原が何度も不安そうにする高槻に対して苦笑いしか浮かべないのは、決して彼女が冷たい人間というわけではない。本部からずっと同じような会話を繰り広げているが、高槻は別段自信がない女ではないからだ。寧ろ、彼女は自分の容姿にも才能にもそれなりの自覚を持っている。諸伏に出会う以前は、その自信過剰さが際立つことを心配されていたほどだ。
 つまり、彼女は別に今の服装を「似合ってない」「可愛くない」と思ってはいない。心底「まあイケている」くらいには思っているだろう。警察官に復職するまでのブランクがあるとはいえ、高槻が新人の頃から知っている上原にはそれが分かっていたのだ。

 そして、彼女が自信があるにも関わらず先ほどから落ち着かないのは、ひとえにこの後合流する男のせいだと言うことも――。

『おい、浮かれてんじゃねえぞ!』
「ちょっと、急に大声出したら耳痛いって」

 無線から聞こえた幼馴染兼上官の怒鳴り声に、上原はトップコートで艶やかに彩った指先で、耳元を押さえた。
『高明にはもう場内で待機してもらってる』
「え〜……」
『お、ま、え、が……! ンな態度だから先に入らせてんだよ!』
「分かったから……。私たちも行くわね」
 はぁ、と大きなため息を混ぜて、上原は高槻に「行きましょう」と微笑んだ。元より垢抜けた美人ではあるが、普段はひっ詰めている髪がゆるやかに巻かれていて、レースの手袋でテーブルの上にあるシャンパングラスを取ると傍の男が息を零した。

 二人は横目にターゲットの男を見つけると、その周囲のゲストたちと会話を交わしながら距離を詰める。強盗殺人の容疑が掛かった男が、情報を流したと自白した情報元である。宝石商を営んでいる豪気なタイプの男で、金遣いは荒いが、どうにもその金遣いが彼の宝石店との売上と比べても可笑しな金額なのだ。
 もし裏商売のようなものをやっているなら、その足がかりが掴めたら万々歳。そうでなければ、多少の情報を得られればというのが今回の目的であり、決して逮捕することが目的ではない。

 ――諸伏警部、見当たらないなあ……。

 ターゲットの男の会話に耳を澄ませながら、高槻の視線はパーティ会場に向かっていた。高槻からすれば、あんなにも綺麗な男がこの会場内にいて気づかないわけがないと確信していた。どんな背広を着ているのだろうと期待を膨らませていたのだが、白、ネイビー、黒、ボルドー、様々なパーティスーツを見送ったけれど、諸伏らしき男は見当たらなかった。

「……まさか、私がやらかした所為で外担当になったとか」

 考え込みながらぶつぶつと独り言を零していると、高槻の前にすっとワイングラスが差し出された。女性の好みそうな、渋みのない軽めの赤色。シャンデリアの灯りがキラっと宝石のように反射して、私は顔を上げた。

「お嬢さん、こんな楽しい場所で何かお悩みかな」

 目の前にあったのは、書類で見た通りの恰幅の良い男だ。ブランドもののジャケットを眺めて、高槻はニコっとグロスの乗った唇を微笑ませた。
「ごめんなさい。こういう場所慣れてないから、緊張しちゃって」
「まあまだ若い、稼ぎはこれからだよ」
 差し出されたグラスを受け取って、飲む素振りをしながら上原にアイコンタクトを送った。上原はすぐに大和へと無線を仰いでくれたらしい、小さく相槌が返ってくるのを確認すると、高槻は歯切れ悪く「でも……」と言葉を続けた。

「あ、何でもないんです。こんなところで言うことじゃないですから……」
「何かあったのかな、良かったら話だけでもどうだい」
「……そうですか? でもこんな場所じゃちょっと」

 声を顰めて、高槻は悩ましくため息をついた。男はすぐに場所を改め、ちょうど大広間を出てすぐの廊下にあるソファへと足を促す。
「実は、父の経営が芳しくないんです」
「ホー、なるほど。良かったら、力にならせてほしいものだが」
「でも初めてあった人に、悪いわ」
「何、気にしなくても良いんだ。そういう人の力になるのが好きだという、お人好しを知っていてね」
 にこやかに話を進める男の言葉を聞いて、高槻は僅かに視線を揺らした。
 ――この男が取り締まりじゃないってこと……?
 彼が紹介制を取るのは、その正体を隠すためか、それとも単に更に上の人間がいるせいか。迷ったが、確かに彼が頭取だとして、その割には男の警戒心の薄さが高槻には気に掛かった。もしも彼が一番上に立つ男だとしたら、こんなにもすぐに姿を現すだろうか。それよりは、更に利益を広げたくて無力な人間に集るような、そんな雰囲気を感じたのだ。

「ありがとう。嬉しい」

 高槻はパチンと両手を合わせ、大きな瞳をにこやかに細めて男の顔を見上げた。彼女には、自信がある。自分の才能や容姿に関して、その優秀な頭脳を活かし、十分な自己分析ができていた。どの角度が一番愛らしく見えるのか、その薄く幅の広い唇がどのくらい微笑むのが一番魅力的か、よく知っていた。

「ま、まあ。ほら、良かったらこの会合に来ると良い」

 そう手渡された名刺をニコニコと受け取り、高槻はもう一度愛想良くお礼を言った。今日はこれ以上踏み込まなくても良いだろうと、踵を返そうとした時だった。ずんぐりとした手が、それを引き留める。高槻は不快感を顔に出すのを堪えながら、なるべく上目遣いに「あのお」と首を傾いだ。

「なんだ、まさかタダでそんな上手い話しないだろう……」
「た、タダじゃないって?」
「そんな難しい話じゃないさ。ほら、もう一杯付き合ってくれよ」

 一滴も口をつけずに持ったままのグラスに、男の視線が向いているのが分かった。高槻はぎくりと肩を強張らせて、しかしここで無線を使うのは得策じゃない。折角掴んだ手がかりだ。できれば無事に持ち帰りたいところだが――。

「……それとも、何か怪しいものがあると思っているのか?」

 ――流石に、疑わないほどマヌケじゃないわけか。
 高槻は「えぇ〜」とカマトトぶりながら悩んだ。それもそうか。下っ端というよりは、その何か組織じみたものと下っ端との仲介役だ。どうしたものかと視線を逸らした時、足元にパシャっと冷たいものが跳ねた。


「ああっ、すみません!」


 情けなく震えた声は、駆け寄ったウェイターの物だった。どうやらトレイから一つワイングラスを滑り落としてしまったようだ。ぱっと足を退けた拍子に、細かいガラス片をヒールが踏んだ。ちり、と耳障りな音がする。
 冴えない男だった。分厚い眼鏡も、ぼさぼさで長い前髪も、とてもじゃないが一流ホテルのスタッフとは思えないほどだ。

 男は何やら興が醒めたように、肩を竦めて「ではまた」と踵を返した。高槻は微笑んで、それから床の処理をするウェイターに手を貸した。
「いえ、どうぞ会場にお戻りください! ドレスは汚れてはいませんか?」
「……ええ、大丈夫よ。それより、ちょっと気分が悪いんだけど……、外まで連れて行ってくれない?」
「私で良ければ、勿論」
 高槻の光沢あるベージュのドレスは、裾を赤いワインで汚しながらくるりと外に向かう。高槻はご機嫌にウェイターの腕にぎゅうと巻き付いて、鼻歌を口ずさむ。ようやく外に出たころ、隣に立つ男は肩を竦めた。

「もう良いんじゃないですか、警部」
「……バレていましたか」
「ふわ……。かっこいいです……、てっきり燕尾かと思ってたけど、ベスト姿も素敵……」

 最高、と目を蕩けさせて、高槻はウェイターの顔を見上げた。分厚い眼鏡が外されると、切れ長な目つきが呆れたように細められた。細い猫毛は、彼が撫でつければ簡単に元に戻る。

「首尾は?」
「次の会合場所は押さえました。ハァ……ちょっと腰触っても良いですか……」

 そう伸ばした手は、彼の長い指先にペシリと遮られた。高槻はちょっとくらい、と口を尖らせて見せる。

「それより君、ああいった囮は程々になさい」

 ふう、とため息混じりに叱咤した声色は、後ろ手を組みいつものように偉そうな態度を見せると「馬鹿そうに見えるので」と付け足した。高槻は顔を赤くして、折角の化粧を施した顔も両手で覆いながら、静かに「はい」と返事を返す他できなかったのだ。