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 松田と萩原と、三人で会うことが増えて、少し経つ。先日、新年を迎えた空の空気は清々しく、私は大きく伸びをしながらカーテンを開けた。実家には帰っていない。帰ったところで、別に誰がいるわけでもないし、仮に会ったとして何か会話をすることもないだろう。
 それよりも、今日は初詣に行く予定があるのだ。二人を近くの駅で拾う予定があるので、準備をしよう。私はテーブルに鏡を出し、前髪を留めて身支度に取り掛かった。

 二人と歩くので、なるべく露出のない、下心のなさそうな服装で。テーパードパンツとブルーのニット、Iラインの綺麗なグレーのコート。少しだけ伸びた髪は後れ毛を残して耳に掛けた。いつもより少し濃い色のリップをつけて、ヒールのないフラットなパンプスを履く。
 携帯を開けば、彼らもちょうど家を出たところらしい。(曰く、新年会で松田宅にて一晩飲み明かしていたという。)もしかしたら、車の揺れはキツいだろうか。私は行きの途中で二日酔いの薬を買い、駅のロータリーへ車を走らせた。



「おはよ……あれ、珍しい」

 駅に着くと、松田に肩を担がれた萩原がロータリーに立っていた。いつもは酔っ払いの介護をしている姿しか見ないので、よほど羽目を外したのだろう。そういえば、松田は後に引かない性質だと言っていた気がする。
 重たそうな体を引きずって後部座席に乗り込んだ萩原を、押し込むようにして後から松田が乗り込む。萩原は「おはよう。ごめん……」と死んだようにつぶやいて、窓のほうへ頭を押し当てていた。
「良かったら、そこに薬と水買ってあるから飲んで」
「え……? うわ、本当だ。助かる〜……」
 のろのろとビニール袋を漁る萩原に、どうぞどうぞと笑った。いつも介助側に回ってくれているのだ、新年くらい飲みに飲んだって、誰も恨みやしないだろう。彼は拝むようにペットボトルにお辞儀をして、小さな袋の切り口を切った。

「ごめん。なるべく安全運転で行くけど」
「オッケ〜。大丈夫、吐く時は絶対外に出すから……」
「心配しなくても俺がほっぽりだしとく」
「いや、心配なのは君らの体だって……」

 二人でグっと親指を立てる姿に、私は苦笑いを浮かべた。まあ、心配せずとも初詣の周りの駐車場なんて混みに混んでいるだろう。ゆっくり走れば良い。私がアクセルを踏み込むと、後ろで萩原が「おえっ」と嗚咽を漏らすものだから、少し冷や冷やとしたドライブが始まった。


「昨日は、大学のお友達?」
「いや、地元の……中学ん時の奴」
「へえ、同窓会みたいなかんじかあ」

 良いな、と私も友人を思い返しながらほんのり口角を上げた。そういえば、幼馴染だと言っていたけれど、いつからの友人なのだろうか。二人の間柄を見ていると、ずいぶんと長い付き合いのように窺えた。
 そんな私の好奇心を読み取ったのか――はたまた、話の流れから自然にそうなったのか。松田はぽつぽつと昔のことを語り始めた。

「コイツとは小学生の時からの付き合いで。ほら、実家が修理工場だろ、よく部品とか現場とか見に行ったモンだ」
「松田くんも、そういうの好きなんだ?」
「まあな。車だけでいったら、萩には劣るかもしれねえが……」

 彼は懐かしむように視線を窓の外に向かわせながら、煙草を取り出した。そしてはたと止まって、私のほうへ視線を向けたのが、ミラー越しに見えた。
「良いよ、窓開けてね」
 と言えば、松田は後部座席の窓を開け、煙草に火を点ける。よく見えないが、萩原のものとは銘柄が異なった。彼が車の外に煙を吐くと、その煙が後ろへと流れていくのが分かる。くせ毛が、風を受けてふわっと揺れた。萩原とは反対の、狭い額だ。

「松田くんも、警察官になるんだよね? 一緒に目指してたってこと?」
「いや。萩が警察官目指すなんざ、これっぽっちも知らなかった。俺はガキん時からだがよ……。だって、想像できねえだろ」
「そうかな。二人ともよく似合うと思うけど」
「お前、コイツに幻想抱いてねえか? 案外いい加減な奴だぜ」

 松田はハっとあざ笑うように鼻を鳴らすが、その表情は満更でもないように柔らかい。萩原は、確かに一見ヘラヘラとしていて、悪く言えば適当に見えるかもしれないが、その実誰よりも人を思いやることを私は知っていた。例えば、雨の日に、初対面の人へ自分の傘を譲れるくらいに。そりゃあ、心理テストで尋ねれば大抵の人間は傘を譲るだろうが、それを実際に行動できる人がどれほどいるだろう。彼のすごい所は、そういう所だ。

「だぁれがいい加減な奴よ〜……。人がグロッキーなのを良いことに……」
「一日中ねんねしてな。ハンバーグは食っておいてやる」
「じ〜ん〜ぺ〜い〜ちゃあん?」

 ぬっと起き上がった大きな図体は、ひょいっと彼の手にあった煙草を手に取った。そして自分のライターで火を点けて、彼に近いほうの窓を開け大きく煙を吐く。松田は怒ったように「てめえ、貴重な一本!」と萩原の肩を殴った。

「後部座席で暴れないで……」
「俺が節約してんの知ってんだろーが、このクソスケコマシ野郎!」
「まあまあ、俺の一本やるから許せよ」
「んな女々しい煙草で満足できるか」

 この野郎、ツラかせ、臨むところだ――。ありふれた喧嘩の常とう句を繰り広げ、さして広くない車体ががたがたと揺れる。私は最初こそ穏やかに見守っていたが、子どものような喧嘩が十分強続いた辺りで、ブレーキを踏みぐるっと後部座席を振り向いた。

「松田くん、萩原くん!!」

 いつもよりもやや強くなってしまった口調に、二人はギギギ、と揃って首をこちらに向ける。二人に向けて、目つきが悪いとよく言われる視線を更にジットリとさせれば、悪戯のバレた子どもたちのようにその肩が竦められた。

 意外にも、先に謝罪をしたのは松田のほうで、それに続いて萩原も「ごめんね」と申し訳なさそうに眉を下げる。それが、あまりにも二十歳を超えた男には見えなくて――なんだか、体は大人で頭脳は子どもみたい。

「ふっ」

 しゅんとした様子の二人に、私は笑いが零れるのを押さえることはできなかった。
 私が笑うと、二人が目を丸くして、「なんで笑ってるんだ」という表情で此方を見つめるので、ますます肩が震えてしまう。

「ご、ごめんっ! そんな叱ったつもりじゃ……あは、待って、おかしっ……あはは!」

 耐え切れなくて、お腹を押さえながら笑った。
 失礼かとも思ったのだけど、一度笑いだしたらなかなかツボが収まらない。垂れた大人びた瞳と、子どもっぽく悪戯な瞳。どちらもジっとこちらを見てくるから、余計に駄目だった。ハンドルを叩きながら笑いを収めようと額を着いたら、鼓膜を破るような音がパーッ、と大きく劈いた。
 ――誤って、クラクションを鳴らしてしまったのだ。
 私は慌てて上体を起き上がらせ、周りの車にぺこぺこと頭を下げる。すると、後部座席から噴き出すような声が聞こえた。

「あはっ、いやいや、笑いすぎでしょ!!」
「一人でツボって自爆すんなよ、く、くはっ」

 今度は彼らが腹を抱えてゲラゲラと笑い出したのだ。
 私は、それを恥ずかしいと感じながらも、別に嫌な感じはしなかった。馬鹿にされている――というよりは、砕けた笑顔を見せてくれたことが嬉しいと思えた。私の居場所を、許してくれているような気がした。

 でもやっぱり恥ずかしいので、私は顔を僅かに赤く染めながら、咳ばらいをして真面目にハンドルを握りなおす。相変わらず道は平日とは比べ物にならない混みようだったが、目当ての神社まではあと少しだ。腹を捩っていた萩原が、急に「うっ」と口元を押さえ始めたので、横にいた松田が「捨てるか!?」と慌てて尋ねたのが、また危うくツボに入りかけた。