03
「はい、オールクリアっと」
セキュリティが厳しい組織の要塞というわけではない。ターゲットの部屋に辿り着くまでは容易いものだった。あらかじめ用意されていたダミーのカードキーを翳し、素早く部屋に入り込む。――靴はない。灯りもついておらず、今のところは動く気配も感じられなかった。
俺はイヤフォンの向こうに伝わらないほどの小さな息をつく。良かった。余計な気を揉まなくて済む。そう考えて、すぐにいやいやとかぶりを振った。そんな弱気でどうするんだ。しかし、念のために握りしめた睡眠剤は必要なさそうだった。
『どうかしたか?』
「いや、なんでも……」
と、無線に返事をした。その自分自身の声が、やけに附に落ちないような声色をしている。自覚はなく、降谷が怪訝そうに聞き返してくるのに答えることはできなかった。なんで、こんなにスっとしないのだろうか。
ターゲットはいない。今がチャンスだ。すぐに手に持った非常灯を点けるべきだと分かっていた。だけど、どこか背筋がゾワゾワとする。ティッシュで作ったこよりで、背筋をつつっとなぞられているような妙な感覚だった。
「……見られてる?」
『監視カメラは確認したんだろ』
「そうなんすけど、なーんか変な感じして……」
『分かっていると思うが、ターゲットの姿が見えたらおしまいだぞ』
念を押すように、固い声色が話した。皆まで言わずとも分かっている。今は絶好の機会で、このまま任務を進めることだけを考えれば良い。
あまりに真っ暗な部屋の中に、灯りは一つも見当たらない。一歩踏み出せば、自分の足元さえ見えないだろう。――どうして、こんなに見えないのだろう。このマンションは立地も良く、夜とは言え月明かりかビルの電灯が差し込んでも良い。カーテンを閉めているとはいえ、光一筋、それこそ電源のランプさえ見当たらないのはどうしてだ。
煮え切らない。つい、行動が遅くなってしまう。俺は後ろ手に鍵を閉めてから、手探りで部屋を進んだ。
「バーボン、そっちから部屋の中って見えないよな」
『ああ。カーテンが閉まってる』
「了解……」
自分の手足さえ見えないほどの暗闇。フローリングの感触を感じながら、足を滑らせるようにして歩く。
別に、夜目に自信があるわけじゃない。暗視スコープも持ってはいない。けれど、この闇の中を歩いて行ける確信はあった。このマンションのダミーキーを作るときに、隣室に入ったことがある。間取りは、恐らくそのまま鏡合わせになっているはずだ。
灯りを点ければ良い。
確かにそうなのだが――。このもやもやとした感覚を蔑ろにするよりも、自分の才能に身を任せることにした。そのほうが、俺もやりやすい。
俺が公安にスカウトされたのは、地方配属されてから一年経ったときのことだ。確かに警察学校内での成績は良かったし、他の能力もさして劣っているわけではない(少々、もの悪れは激しいが――)。けれど、上官の目に留まったのは成績ではない。
「――ここか」
リビングへつながる扉に手を掛けた。相変わらず暗闇が続くそこを、慎重に奥へと進んでいく。チップのようなものがあるのならば、パソコン機器の近くか、寝室か――。寝室への扉は、左に三歩。隠すなら、寝室にクローゼットかベッドの下が多い。
「ビンゴ!」
冷たく固い無機質なものが、コートが掛かっている奥にある。指先で感じると、俺はニヤリと笑った。あとは暗証コードだが――。こればっかりは暗闇ではどうにもならないか。確かに重たさはあるが、金庫ごと持つこともできる。コンパクトなもので、十キロほどの重さだろうか。
「回収したっす。中身は未確認ですが、一度戻りまーす」
『了解』
既に勝手知ったる誰かさんの家だ。俺は金庫を持ち上げると、丁寧に扉を閉め、やや踏みつぶしてしまった玄関の靴を直してから扉を出た。
外に出ると、後ろから軽くクラクションを鳴らされる。降谷の車だ。俺は再びその後部座席に乗り込むと、中にいる男に金庫を丸ごと手渡した。彼は真剣な表情で金庫をひょいと受け取ると、まるで知恵の輪かルービックキューブのようにくるくると見回した。十キロはあるって――。まあ、良い。
そしてナンバーの書かれた部位を見つめると、躊躇いなく番号を押す。カチっと扉が開いた。彼は車の中から金庫を外のゴミ捨て場へ放る。アイスグレーの瞳が入手したチップを眺めた。
その一連の動作を呆然と見つめて、俺は再びかぶりを振った。
「な、なんで番号分かったの」
「大切な物だろう。何回も金庫の中にあるか確認したかったはずだ。ほら、ここの番号の場所にだけ指の油がついている。四桁が分かれば組み合わせは限られているから――、一発で当たったのはただの運だよ」
「はあ〜……。すごい、さすがっすね」
惚けてその横顔を見つめれば、彼は何てことないように鼻を鳴らした。そういうところが、食えないのだ。降谷は振り返ると、俺の行動を見透かしていたように「お前、灯りをつけなかったろ」と言った。
「あー、まあ。何で?」
「金庫の中に感光センサーがついていた。今頃顔を真っ青にしてこっちに向かってるはずだ」
「成程。道理で部屋が真っ暗だったわけ」
あの調子だと、金庫意外にも仕掛けられていたかもしれない。思い返しながら、自分の勘はやはり正しかったと確信する。良い予感は当たらないが悪い予感だけはよく当たるものなのだ。
「特技、レゴブロック?」
降谷は、ふっと鼻から抜けた笑いと共に尋ねた。それは、確かに警察官を受けた時、俺の履歴書に書かれたものだ。俺はやや気恥ずかしく、小さく頷いた。俺の最大の強みであり切り札を、まさかあちらから切り出されるとは。さすが今までに類を見ないほどの成績と洞察力を誇る総代だ。
――そう、俺が上官の目に留まったのは、昔から人よりも空間に関する能力が人より頭一つ抜けて優れていた所為だ。
地図を見れば目の前に立体が思い浮かぶ。一度認識した部屋の間取りは、目隠しをしていてもどこに何があるか分かる。特段何かを勉強していたわけでもなく、強いて言うなら幼い頃からレゴブロックが大好きだった。
目の前に自分だけの城ができていく感覚。細かな立方体を幾つも重ねて、別の形を作っていく楽しさ。学校、滑り台、犬の小屋、車――。目に付いたものは、自分でも真似てみたくてしょうがなかった。
まだ交番の駐在としてパトロールしている時――。馴染みの店で、火事があった。人が諫める中、絵に描いたように我が子の名前を叫ぶ店主の姿を見たのだ。それを見たとき、俺の頭にある選択肢はたった一つだった。
頭の中で、店の構造がレゴブロックとして蘇る。子ども部屋までの道を思い浮かべて、俺は水を被り煙の中に飛び込んだ。小さな手を取るために、前が殆ど見えない階段をのぼった。
無事に子どもを助けることはできたけれど、もちろんそのあと先輩にはすこぶる叱られた。しかし、その一部始終を誰か上官が見ていたらしいのだ。その能力は公安に必要だと、俺も顔の知らない上官が推薦したらしい。
「まあ、そういうこと。こういうお仕事には丁度良いでしょ」
俺はニっと得意げに笑う。初めての任務にしては、我ながらスムーズにできたのではないか。少しだけ、心は得意げだった。よくやった――なんて、褒められることを想像して先走ってこっぱずかしくなったくらいだ。
降谷は一度頷いてから――ニッコリ。そんな効果音がつきそうな笑顔を浮かべた。そして金庫の中に入っていたチップを軽く爪で弾き、アスファルトの上に落とす。
「えっ」
ぎょっとして窓の外を覗き込む俺をよそに、降谷はぐっとアクセルを踏んだ。
――ごりっ
あまりにも小さなチップだったから、そんな音が聞こえたのは気のせいだったかもしれない。寧ろ、俺の精神の何かが潰れたのかも。
降谷はもう一度、トドメと言わんがばかりに車をバックさせて、もう一度ゴリっと音を鳴らす。
「ああ、すみません。バーボンってこういうキャラなので」
彼は先ほどとは異なる、やや馬鹿にしたような嘲笑を浮かべ、肩を竦めた。なに、どういうことだ。俺の言葉を根に持っているっていうのか。にしたって、あんまりではないだろうか!
恐る恐ると降谷を見上げれば、彼は特に気に掛ける様子もなく再び前を向いてハンドルを握った。再びピンポイントでチップの上を走ると、彼はそのままホテルへとアクセルを踏むのだった。
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Shhh...