にんぎょひめ
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「もしかして、「にんぎょひめ」ですか?」
人気のない海辺で、誰にも内緒で海に入った。別に死のうなんて考えていなかったけれど、セーラー服を海水で水浸しにしてしまう程度には、自棄になっていた。
浅瀬に座り込んでぼうっとしていると、不意に、緩やかな声が聞こえてきたのだ。こんなところに人が来るなんて思っていなくて、つい大袈裟に体を硬直させてしまう。
「……っだ、だれ?」
「ぼくは、「にんげん」です…… ♪ 「かなた」って、よんでください」
「……私もただの人間だよ……。ほら、脚あるし」
ぱちゃ、と脚で水を打ってみせると、彼は少し残念そうな顔をして、私の隣に腰を下ろした。……夢ノ咲の制服だ。もうびちょびちょだけど。
「じゃあ、「なまえ」がありますね。おしえてください」
「なまえだよ」
「ふぅん……かわいい「なまえ」です。ここでぷかぷかするのが「すき」ですか?」
「ぷかぷか……別に……でも、こうしていると私の輪郭が溶けて、海の一部になって消えてしまえそうだから、心地は良いかな。かなたくんは、どうしてこんなところにいるの?」
穏やかに話す彼の横顔は、確かにアイドルと言われても納得するほど美しい。水色の髪がふわりと潮風に揺られた。
「ぼくは、「うみ」でぷかぷか、するのが「すき」なので……♪ 「おさなかさん」も、「すき」ですよ」
「……そっか。かなたくん、なんだか海みたいだもんね」
「そう……ですか?なまえは、「にんぎょひめ」みたいです」
「海にいたからってだけでしょ?ふふ」
軽く笑うと、かなたくんは正面からじぃっと私を見つめてきた。翡翠の瞳に惹き込まれる。目が逸らせない。
「なまえは、「きれい」だから……「おひめさま」かとおもいました」
「あ、……ありがと……」
「ぼくが「うみ」なら、なまえとずっと「いっしょ」ですね」
「……ふふ、変な人。でも私もかなたくんも、人間だから、陸で生きていかなくちゃ」
よいしょ、と立ち上がると、濡れた制服に風が通ってひやりと肌を冷やす。夏も終わるころ、もう夕方から夜にかけては肌寒い季節だ。
「「りく」は……おもくて、いきづらい、ですね」
「うん……とっても。でも歩かなきゃ……脚があるんだから」
自分に言い聞かせるようにそう言って、座ったままのかなたくんに手を差し伸べる。かなたくんは私の手をとり、すんなり立ち上がってくれた。
「またここで、あえますか?」
「……会いたいの?」
「はい……♪ 」
「じゃあ、また明日も来ようかな」
ほんとうですか、とかなたくんはやや大袈裟に喜ぶ。初対面なのに、こんなふうに無邪気に打ち解けてしまうなんて、やっぱり不思議な人だ。
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