泣かないで、雪うさぎ

−闇より出でて闇より黒く

その穢れを禊ぎ祓え−


伊地知がそういうと英集院全体を包み込むように黒い膜が空から下りてくる

「いじちー。夜になった」

「ええ、これは虎杖くんたちを外から隠す結界、帳というものです。さ、すみれさん。濡れますから車に戻りましょう」

帳を下ろしクイッと眼鏡を上げた伊地知はすみれの手を取ると車へと足を運ぶ

「はーい。オリヴァーもいこ」

「今はおりゔぁーではないぞ。小娘、濡れる。抱っことやらをしろ」

「だっこ?いーよ」

すみれさんの呪骸、オリヴァー(中身は呪いの王の呪力の端くれ)はポテポテと歩くと思いきやすみれさんに向かって手を伸ばしていた

…あの両面宿儺が抱っこをせがんでいるっ!

その事実に衝撃が走った

ひとまずすみれさんと車内に戻ると私はいつものように運転席、すみれさんは助手席に腰をおろした。ちなみに呪骸はすみれさんの太ももの上に大人しく座っている

「ねーねー。いじち。すみれもトバリ?下ろせるようになる?」

「帳ですか?」

「うん。すみれもトバリ下ろせるようになりたい」

「小娘なら望めばなんでも出来るぞ。そういうチカラがあるからな」

「なんでも?」

「なんでも、だ」

呪骸の中に入り込んでいる宿儺がすみれの太ももの上で答える

「どうやるの?」

「まず手の形はこうです」

伊地知は帳を下ろす印を組んですみれに見せる

「こ?」

すみれは伊地知の指の形を真似するように小さな手で印を組む

「次に詠唱ですが」

「うん」

「闇より出てて闇より黒く」

「やみよりいでてやみよりくろく…」

「その穢れを禊ぎ祓え…になります」

「そのけがれをみそぎはらえ」

すみれが伊地知の真似をして詠唱を唱えると本当に小さな白いドーム状の薄い膜がオリヴァーに被さるように下りた

「ん?いじちのと違う…」

「白い帳でしょうか…初めてみますね」

「ほう…」

オリヴァーの中に入った宿儺が感嘆の声を上げながらすみれが下ろした帳に触れた瞬間の事だった

ビリビリっと布が破ける音がしてオリヴァーの左手首の辺りから一気に千切れ綿が舞った

「え?」

「…小僧か」

「オリヴァーの手、無くなっちゃった」

「どういうことですか?」

宿儺が呟いた"小僧"という言葉を拾った伊地知の耳

つまり必然的に分かったのは虎杖の身にナニカが起きたということだった

「そのままの意味だ。小僧の左手首から先が無くなったのだ」

「ゆーじのおてて無くなっちゃったの?すみれが…いじちの真似してトバリ下ろしちゃったから?」

すみれの声が震える

「泣くでない、これは小娘のせいではない。小僧が特級に手を出したからだ」

「虫…ですか?」

「貴様も言っていたであろう。あの呪胎が特級とやらに成ったのだ。よもやあんな虫が俺と同じ特級とはな」

「ま、まさか…」

「嘘をついてどうする。ケヒッ楽しくなってきたな。必死な小僧の声が聞こえるぞ」

少し短くなった左腕をすみれと伊地知に見せびらかすようにヒラヒラと振るオリヴァー宿儺

「すくな、ゆーじのこと助けて」

「断る。これは小僧の試練だ」

そう言うと饒舌に語っていたオリヴァーがカクンと力をなくしたように崩れ落ちた

「すくな!すくなってば!…どうしよ…いじち」

「すみれさんは此処に居てください!」

伊地知はそういうと車から飛び出した

すみれが車を出た伊地知を視線で追うと英集院から出てくる伏黒と玉犬黒、そして蛙の口の中にいる釘崎の姿だった

伏黒の式神である蛙の口から釘崎を出すと肩を貸しながら車に戻ってくる伊地知

伊地知は釘崎を後部座席に座らせると手際よく釘崎の目元に包帯を巻いた

「のばら!のばらっ!」

「…だいじょーぶよ。すみれ、レディが泣く時は嬉しい時だけにしておきなさい」

そういうと釘崎は体力を回復するために眠りについた

改めて運転席に乗り込んだ伊地知は窓を開けて伏黒と会話を始めた

「避難区域を10キロまで広げてください」

「伏黒くんは?」

「残ります。もしもの時俺にはアイツを始末する責任があります」

伏黒の脳裏に過るのは虎杖が両面宿儺の指特級呪物を飲み込んだあの日のことだった

特級呪物を仕方なくとはいえ飲み込んだ虎杖は呪術規定に基づけば死刑対象である

それでも伏黒には虎杖と過ごした日常がある。アイツは根っからの善人だ

…虎杖を死なせたくありません

…それは私情?

…私情です。なんとかしてください

…先生に任せなさい

伏黒の言葉に納得は出来ないものの釘崎を早く病院へ運ばなくてはならない伊地知は伏黒の元に戻ってくると告げるも…

「釘崎さんを病院へ送り届けたら私もなるべく早く戻ります」

「いや…もう伊地知さんはいてもあんまり意味ないので戻ってくる時は一級以上の術師と一緒にお願いします。…いないと思うけど」

伏黒の言葉が容赦なく伊地知の胸を貫いた

「…善処します」

伊地知と伏黒が話を続ける中、助手席に乗っていたすみれはそっとその車を降りるとパタパタと英集院の近くに駆け寄った

「ゆーじ」

すみれの呼びかけに応える人物はそこにはいない

「すみれ」

「!ゆー…めぐみ」

「なんで此処にいるんだよ。伊地知さんと行ったのかと思ってたのに」

「ゆーじ、心配」

ぎゅうっと抱きしめているオリヴァーの腕が千切れていることに気づいた恵

「オリヴァーの腕、どうした」

「すくながゆーじが怪我したからだって言ってた」

「そうか…!」

不意に伏黒が何かを感じ取り振り返った

「めぐみ?」

「生得領域が消えた…特級が死んだのか」

…あとは虎杖が戻ってくれば

伏黒の細やかな願いを打ち消すように現れたのは紋様が顔に刻まれた虎杖だった

「小僧なら戻らんぞ。なんの縛りもなく俺を使ったツケだ。戻るのに手間取っているようだな。しかしまあそれも時間の問題だろう。そこで俺に今できることを考えた」

そう言って宿儺は着ていた制服をビリビリと破ると右腕を自身の胸に突き刺してあろうことか虎杖の心臓を取り出した

虎杖こぞうを人質にする。俺は心臓なしでも生きていられるが小僧はそうもいかん。俺と代わることは死を意味する」

「虎杖は戻ってくる。その結果自分が死ぬことになったとしても。そういう奴だ」

「買い被りすぎだな。コイツは他の人間より多少頑丈で鈍いだけだ。断言する。奴に自死する度胸などない!」

「すみれ、離れてろ…。」

「でも…」

「離れててくれ」

伏黒にそう言われてすみれは木の影に身を隠すように蹲った

「さとる、すぐる、しょーこぉ!。ゆーじが死んじゃうよ。どうしよう…さとる…」

オリヴァーを抱きしめながらガタガタと震えるすみれを背に伏黒と宿儺が激しい戦いを繰り広げていた

ビリビリとすみれでも分かるほどに伏黒の呪力が跳ね上がる。隠れた木の影からそっと顔を出したすみれは虎杖の異変を感じ取り飛び出した

「いい、いいぞ。命を燃やすのはこれからだったわけだ。魅せてみろ!伏黒恵!」

「布瑠部由良由良…八握…」

「ゆーじ!」

虎杖に駆け寄ろうとしたすみれを伏黒が手を出して静止させる

「…めぐみ?」

「…俺はオマエを助けた理由に論理的な思考を持ち合わせていない。危険だとしてもオマエのような善人が死ぬのは見たくなかった。それなりに迷いはした。結局は我儘な感情論、でもそれでもいい。俺は呪術師であって正義の味方じゃない」

伏黒のその言葉に呼応するように虎杖の顔や身体から紋様が消えていく

「だからオマエを助けたことを一度だって後悔したことはない」

虎杖の顔をから最後の紋様が消えたとき虎杖が宿儺から身体の支配権を取り戻して戻ってきた

「…そっか。伏黒は頭がいいからな。俺より色々考えてんだろ、オマエの真実は正しいも思う。でも俺が間違ってるとも思わん」

ボタボタと宿儺が開けた穴から血がこぼれ落ち、口の端にも血が伝い虎杖の身体がふらつく

「あー、悪い。そろそろだわ。すみれ、俺、すみれにまた会えてよかったよ。俺の初恋だったんだ…。へへ。恥ずかしいな。伏黒、釘崎も、五条先生…は心配いらねぇか。長生き…しろよ」

地面に倒れ伏した虎杖の身体を無情にも冷たい雨が打ち付けていた。

泣かないで、雪うさぎ
「ゆーじ!やだ!ゆーじ!死んじゃやだよ!」
「伏黒くん!すみれさん!虎杖くん!」
「伊地知さん」
「いた…どり…くん」
「伊地知さん、やっぱりキツイッスね」
「高専に帰りましょう。みんなで」

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