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エルドの言葉の意味を、向日葵は反芻していた。
(強すぎる、薬?)
セレスが自分を避けているのは、もう間違いなかった。 そして、その理由が彼自身にあることも、彼自身の口から語られた。
(セレスさんの『問題』って、なんだろう)
(私じゃ、だめなのかな)

彼女の好奇心は、いつしか、ただの「知りたい」から、「放っておけない」という別の感情に変わりつつあった。それは、彼女の神パトスが最も好む「感情の萌芽」だったが、向日葵自身はまだそれに気づいていない。

彼女は待つのが得意ではなかった。 その日の夜、彼女は再び薬草室の扉の前に立っていた。フクロウたちは自室で眠らせてきた。今度は、彼女一人だった。

コン、コン。 控えめなノックに、室内は一瞬しん、と静まり返る。
(……いる。匂いがする)
薬草の、いつも通りの静かで理性的な匂い。
「セレスさん。私です、向日葵です」
返事はない。
「……入りますね」

彼女が遠慮がちに扉を開けると、セレスは机に向かい、背中を向けたまま液体の調合に集中していた。その背中が、来訪者が誰であるかを正確に認識し、全身で拒絶しているのが分かった。

「……何の用だ。もう夜も遅い」
声は冷たく、平坦だった。
「この前は、すみませんでした。フクロウが、驚かせちゃって」
「それなら、もういい。分かっている」
「そうじゃなくて」

向日葵は、彼の背中に向かってまっすぐに言った。
「セレスさん、どうして私を避けるんですか?」
ピタリ、と乳鉢を動かすセレスの手が止まった。

彼はゆっくりと、本当にゆっくりと椅子を回し、向日葵に向き直った。 その顔に浮かんでいたのは、あの夜のような戸惑いでも、昼間の焦燥でもない。 完璧に磨き上げられた、冷ややかな「仮面」だった。

「……避ける、か。随分と自意識過剰だな、子猫」
薄紫の瞳が、品定めするように彼女を上から下まで眺める。
「俺は忙しい。君の神様のように、退屈しのぎの『物語』に付き合っている暇はないんだ」

それは、あからさまな侮辱だった。パトスに仕える彼女の存在意義そのものを、軽くあしらう言葉。 普通なら、彼女も傷ついたかもしれない。 だが、今の向日葵には、彼の言葉がまったく別のものに聞こえていた。

(……あ、まただ)
(そうやって、わざと意地悪を言う)
(私が傷ついて、逃げ出すのを待ってる)

「……セレスさん」
「何だ」
「私、セレスさんのこと、もっと知りたいです」

セレスの完璧な仮面に、初めて予測不能な亀裂が走った。 彼は、彼女が怒るか、泣くか、あるいは恥じらって逃げ出すと思っていた。だが、彼女は、その「拒絶」さえも好奇心の対象として、まっすぐに受け止めてしまった。

「……ほう?」
セレスは立ち上がり、ゆっくりと彼女に歩み寄った。その動きは、獲物を値踏みする肉食獣のようにしなやかで、色気に満ちている。
「俺を知りたい、か。……それは、どういう意味で言っているんだ?」

彼は向日葵の目の前で止まると、そっと彼女の顎に指をかけた。無理やりではなく、しかし逃れられない優雅さで、上を向かせる。
「君のような無垢な小鳥は、知らない方がいいことも多い。俺の『本性』を知れば、君はその綺麗な瞳を、恐怖で歪ませることになるかもしれない」

彼の瞳が、妖しく細められる。
「それでも……知りたいと?」

それは、彼が今まで幾度となく使ってきた「手口」だった。 恋愛を遊びとしてしか扱えない彼の、最終防衛ライン。相手を官能で煙に巻き、その反応を楽しみ、本心には決して触れさせないための、洗練された「演技」。

だが。 向日葵は、その妖艶な瞳を、ただ純粋な好奇心で見つめ返した。 怖がるでもなく、ときめくでもなく、ただ、じっと。

「……こわくないです」
「……何?」
「だって、セレスさんの瞳、全然怖くない。……なんだか、迷子みたい」

「―――ッ!」

セレスは、まるで火傷でもしたかのように、彼女から手を引いた。 彼の仮面が、音を立てて砕け散る。

「迷子」――その一言は、彼の最も深い場所にある矛盾を、正確に撃ち抜いていた。 愛を与え、癒やすことはできるのに、受け入れ方が分からない。 他人を救うことに価値を見出しながら、自分自身は救われる価値がないと思っている。 自由を求めながら、居場所を探しているエルドとは違う。セレスは、自分の居場所が「ここではない」ことだけを知っている、永遠の放浪者だった。

「……出ていけ」
声は、絞り出すようだった。
「君は……君だけは、俺をそんな目で見るな」

「でも、」
「出ていけ!!」

今度の拒絶は、昼間の談話室の比ではなかった。 それは、理性と官能の仮面を剥ぎ取られた男の、むき出しの叫びだった。 薬草室の空気が、彼の激した感情にビリビリと震える。

向日葵は、その痛々しいほどの拒絶に、今度こそ一歩後ずさった。 彼女は、自分が何か決定的なものに触れてしまったことを、本能で理解した。

「……ごめんなさい」
彼女はそれだけ言うと、逃げるように薬草室を飛び出した。

一人残されたセレスは、荒い息を繰り返しながら、自分が彼女に触れた指先を見つめた。 そこには、彼女の体温と、彼女の無垢な視線が、焼き付いたように残っていた。

「……迷子、だと……?」
彼は自嘲の笑みを浮かべ、その手で強く顔を覆った。 「まったく……厄介な小鳥だ……」

その声が、わずかに震えていることに、彼自身だけが気づいていた。