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向日葵の肩先に額を預けたまま、セレスは長く、震える息を吐き出した。 それは、彼が何年もの間、その完璧な仮面の下に閉じ込めてきた弱さの呼気だった。理性と官能の鎧が崩れ落ち、むき出しになった魂が、かろうじて目の前の小さな温もりに寄りかかって均衡を保っている。

暗くよどんだ薬草室。無数の薬瓶が、主の混乱を映すかのように静まり返っている。

「……なぜ、君なんだ……」
セレスが呟いた声は、質問ではなく、運命そのものへの呪詛に近かった。 なぜ、他の誰でもない、この最も無防備で、最も境界線を理解しない少女なのか。

向日葵は、彼の言葉の深い意味をまだ測りかねていた。だが、目の前の男が今、ひどく傷つき、凍えていることだけは痛いほど分かった。彼女はためらいながらも、そっと彼の背中に腕を回した。 壊れやすい硝子細工に触れるように、優しく、しかし確かに、彼を支える。

その温もりに、セレスの肩が微かに強張る。 だが、彼はもう振り払わなかった。突き放すだけの気力も、そして、突き放すだけの「理由」も、もはや彼の中には残っていなかった。彼は、抵抗を諦めたように、その小さな体にゆっくりと体重を預けていく。

「俺の手は、……冷たいだろう」
掠れた声が、向日葵の耳元で響く。
「何度も……何度もだ。命が、指の間からこぼれ落ちていった。どんな薬を使っても、どんな知識を尽くしても、救えないものがあった」

それは、彼が誰にも明かしたことのない、本質の告白だった。 「救えなかった命」の記憶。それが彼の仮面の核だった。

「だから、価値がないと思っていた」
彼は、まるで夢うつつに語るように続けた。
「この手には、資格がない。温かいものに触れる資格も、……愛される資格も、愛する資格もない、と」

向日葵は何も言わなかった。 ただ、彼の背中を、あやすように、ゆっくりと撫で続けた。彼女の純粋な「受容」が、彼の固く閉ざされた記憶の扉を、さらに開いていく。

「……だから遊んだ。揶揄い、手に入れ、そして本気になられる前に手放す。そうすれば、誰も俺のこの空っぽな中身に気づかない。……俺自身も、これ以上傷つかずに済むと思っていた」

「……痛かったんですね、セレスさん」

向日葵が、ぽつりと呟いた。 その、あまりにも真っ直ぐな共感の言葉に、セレスの肩が大きく震えた。 「痛み」を「痛み」として他人に認められたのは、彼にとって初めての経験だった。

セレスは、ゆっくりと顔を上げた。 暗闇に慣れた瞳が、至近距離で向日葵を捉える。 その薄紫の瞳は、もう妖艶な色も、冷たい拒絶も浮かべていない。ただ、長年溜め込んだ疲労と、どうしようもない戸惑いに濡れている。

「君は……本当に、最悪だ」
セレスは、もう一度そう言った。その声は、非難ではなく、むしろ泣き出しそうに歪んでいた。
「俺が……何年もかけて完璧に作り上げたこの仮面を……こんなにも、簡単に……」

「仮面、いらないです」
向日葵は、きっぱりと言った。
「セレスさんは、セレスさんだから。……私、その『迷子』のセレスさんの方が、好きですよ」

「―――っ!」
セレスは息をのんだ。 「好き」という言葉。 彼女がそれを恋愛として理解しているかは、定かではない。だが、それはセレスの心の最後の防壁を撃ち抜くには、十分すぎる威力を持っていた。

彼は、吸い寄せられるように、彼女の頬に手を伸ばした。 あの夜、拒絶した手で。 あの夜、振り払った手で。 指先が、彼女の柔らかな肌の温かさを確かめる。

彼はためらった。 これが「遊び」ではないと、どう証明すればいい? この温もりを受け入れた瞬間、自分は本当に「救われて」しまうのではないか? その資格が、この手にあるのか?

だが、向日葵は逃げなかった。 怖がるでもなく、ただ、彼女自身の中にも芽生え始めた新しい感情のままに、彼をじっと見つめ返している。

セレスは、まるで祈るかのように、そっと目を閉じた。 そして、ためらいがちに、自らの唇を彼女の唇に重ねた。

それは、彼が今までしてきたどんな官能的な駆け引きとも違う、ただ互いの温もりを確かめるだけの、不器用で、ひどく臆病なキスだった。 薬草の苦さと、彼の微かな酒の匂い。そして、ただひたすらに温かい、彼女の息遣い。

唇がゆっくりと離れた後、セレスは彼女の額に、自分の額をこつん、と当てた。 もう、仮面で隠す必要もなかった。

「……君を、どう扱えばいいのか……分からない」

それは、理性と官能の騎士の、完全な降伏宣言だった。

「私も、分かりません」
向日葵は、暗闇の中ではっきりと分かるほど顔を赤らめながらも、それでも真っ直ぐに答えた。
「でも、……一緒に、探したいです」

よどんだ薬草室の暗闇に、二人の静かな呼吸だけが響いていた。 それは、神々の「ゲーム」さえも置き去りにする、二人だけの世界の始まりだった。