・ミーナとヴァルカンの話
・本編前
・ヴァルカンのキャラ設定とか過去とかすべてを捏造しました
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知らないうちに上官のお気に入りだった女に手を出してしまったらしい。いや、正確に言えば手を出したその先で、その女に"本気にされた"わけだが。
左遷を言い渡されたのは、それに気付いた翌日の話だった。
「肝が小せえよなぁ。俺はただ彼女の愛に応えただけなのに」
「おい、腕を退けろ」
がやがやと喧騒の途切れない食堂内の一角。鬱陶しそうに、しかしこちらには一瞥もくれない彼女に、ヴァルカンは肩を竦めて凭れ掛かっていた身体を離した。
件の左遷先であるここ、ユグドラシルに身を置きひと月が経過した。表情を動かすことなく黙々と栄養補給をしている隣の女は、奇しくも同じ日に異動してきたミーナだ。小柄な体躯は一見庇護欲をそそるものだが、それもこれも母親の腹の中にでも置いてきたのかと思うほどの無愛想ですべて台無しだ、というのは下賤な男共総意の声だった。
「ヴァルカン。お前の痴情のもつれに首を突っ込む気は更々ないが、厄介事は持ち帰ってくれるなよ」
「おいおい、人聞きが悪いぜ。まるで俺が見境なくレディと関係を持っているみたいじゃないか」
「どこに間違いが?」
やはり視線が交わることなくスプーンを口に運ぶ彼女の横顔を横目に見る。初めの数日はヴァルカンの軽薄な態度に未知の生物を見るかのような怪訝な反応を隠しもしなかったミーナだが、この短期間でもう慣れ切ってしまったようで軽くあしらわれるようになってしまった。
「なあ、ミーナ。どうして"ここ"へ異動してきたんだ?」
「、知らん。上の指示だ」
"ここ"、ユグドラシルは問題児の集まりだと揶揄される組織だ。問題行動を起こした人間や、手に余る人間が押しやられる場所。所属している大体は所謂訳アリの人間たちだった。
何度か彼女に問いかけた言葉。そしてそれに対する回答もいつも同じものだ。ほんの一瞬言い淀む様子を見る限り、心当たりが無いわけではないのだろう。
「先に戻る」
空のプレートを持ち上げたミーナはこちらの反応を待つ暇もなく立ち上がる。その後姿を眺めながら、ヴァルカンはもう一度肩を竦めたのだった。
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「聞いたか? あの新入りの女」
「ああ……戦場で手が付けられないからここに来たんだって?」
ある日のこと。折角の休養日であるし、数少ない酒場へ女でもひっかけに行くかと宿舎を出たところだった。丁度訓練を終えて帰ってきたのだろう男二人が声を潜めて喋っている内容が耳に入る。彼らはヴァルカンの姿に気が付いていないようで、面白おかしく言葉を交わしながら宿舎へと帰っていった。
根も葉もない噂だろう。いや、根ぐらいはあるのかもしれないが、それにしても過剰だ。軍の中でも前衛に回ることの多い部隊に女は少ない。魔法の腕が立つ者は大抵後方支援へと回る。そうなると、純粋な肉体の体力勝負となる前衛部隊には必然的に男が多くなる。自分の身の丈ほどの銃剣を抱えて戦場を駆け回るというのは、並の男ですら苦しく泥臭いものだ。物珍しい女を面白おかしく話すために、尾ひれがつき、次第に噂は膨れ上がり誇張されたのだろう。精々左遷の理由だって、あの冗談の効かない優等生面で上司の機嫌を損ねたに違いない。
そんな考えが覆ったのは、それから数週間後のことだった。
目を、奪われた。
いつも目深に被っている帽子はいつの間にか彼女の頭上からは消え、風にたなびく金糸が宙に揺れる。もはや肌の色がわからぬほどに血潮に濡れたその顔は、高揚感からか緩く口元に弧を描かせていた。
勝利をもたらす戦場の女神か、はたまた破滅を引き寄せる怪物か。
開ききった瞳孔がぎろりとこちらへ向けられる。
「怪我は無いか」
彼女に恋をしたのはいつだと聞かれれば、たぶん、この時だと答える。それほどに、夕陽に照らされた彼女の姿が鮮烈に眼に焼き付いて離れなかったのだ。
・・・
・・
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これまで生きてきた中で周囲にいたことのない系統の男だった。
何の因果か同じ日にユグドラシルへと異動してきたヴァルカンという男は、何が楽しいのか常にミーナの隣に居座った。問題児同士ちょうどよいとバディを組まされ(この男と同列とされるのは非常に不服である)、数えきれないほどの戦場をかけた。
戦場しか、居場所を知らなかった。
どこにいても言い知れぬ居心地の悪さを感じていた。養父に拾われた時も、軍事学校で教えを受けている時も。自分の居場所はここではないと漠然と考えていた。
じわりじわりと、水に染みていくように。少しずつヴァルカンという男の存在が自分の中に広がる。振り払わなければいけないのに、身体は言うことを聞かずに動きを止め、吐き出すはずだった言葉は口内で消える。
初めて口付けられた時も、身体を許した時も、拒否しようと思えばできたはずだった。ヴァルカンは強引ではあったが決して無理やりではなかった。時折確認するように向けられる視線には、確かに私の意思を確認するものだったのだから。それに気付いていながら口を閉ざしたのは、確かにミーナ自身の答えだった。
「というわけで、成り行きで身体を重ねてしまったのだが」
「ッ、ぐ、げほっ、ごほ、っ!」
神妙な顔つきのミーナの言葉に、同僚であるレオンハルトは口に含んだコーヒーを飲みこみ切れずに床へと吹き出した。口元と手元からは液体が滴り落ちているが、ミーナは深く考え込んでいるようでまったく気にした様子はない。
同僚同士の関係性をカミングアウトされ動揺しているのは、二人しかいないこの空間でレオンハルトのみだった。動揺、困惑、セクハラ、気まずさ、様々な単語と感情が脳内を駆け巡り、ようやく口にできたのは「そうか……」という相槌が限界だった。
「しかも一回きりじゃない。それなりに回数を重ねた」
「そっ、うか……」
レオンハルトの心情は露知らず、ミーナは真剣な声音で言葉を続ける。
このユグドラシルで共に過ごしてきて、それなりに長い時間が経過した。共に戦場を駆け抜けた同僚たちも数多くヴァルハラへと見送ってきた中、未だにこうして肩を並べることができるというのは貴重な存在である。だからだろうか。ミーナは時折こうしてレオンハルトの前で悩みをこぼしていく。大抵は部下への接し方だったり同僚との付き合い方だったりヴァルカンの愚痴だったり、人間関係のものが多いのだが。それにしても……。
地面へ零したコーヒーを雑巾で拭いながらレオンハルトは内心頭を抱えた。いや確かにこれも広義の意味で言えば人間関係ではあるが。それにしても己には荷が重いのではないだろうか。
「すまない、困らせてしまった。この状況が正しいのか否か判断しかねてしまって、レオンにならばと零してしまった」
「ああ、いや。信頼してくれているのは嬉しいが、そうだな……」
すっかり綺麗になった床を見つめながら言葉を選ぶレオンハルトを、ミーナはじっと見つめていた。肯定してほしかったのか否定してほしかったのか。はたまたただ話を聞いてほしかっただけなのか。
あの時、レオンはなんて言ってくれたんだったか。
血と硝煙と饐えた匂いのする戦場の中。地面へと座り込んだミーナはぼんやりとする頭でいつかの会話を思い出していた。
目の前には呼吸を止めてしまった男がいる。今朝まで胃もたれするような甘い言葉を吐いては「ハニー」と、これまた甘い表情で呼びかけてきた男だ。鬱陶しいと感じたことは数えきれないほどあるし、奴が原因の悩みの種は尽きなかった。けれど、それが嫌だと感じたことはなかった。
ああ、私は、この男に恋をして、愛していたんだ。
自分の感情にようやく名前を付けることができたのは、皮肉にも愛する男を手にかけた、その後だった。