さよなら、プラチナブロンド!

「あ、ノラ」
「やあ。おはよう、キース」
「おはよ。最近はずっとそれなんだな。似合ってる」
「ん?ああ……」

 居室へと向かう廊下の途中。ばったりと出会ったチームメイトに片手をあげる。普段通りの様相で隣へと並んだキースは、口角をあげ笑みを浮かべながらノラの後頭部を指さした。そこにはちょうど真ん中あたりの位置で結われたポニーテールといつものオレンジ色のリボンがふわりと揺れている。
 ノラはその自身の髪に触れ、少し思案するように視線を下げた。

 事件からしばらくが経過し、ようやく少しずつ周囲も日常へと馴染み始めた頃だった。ノラの現場復帰直後は正直"それどころではない"状況だったので、トレードマークでもあった編み込みのお団子は日の目を見ず、邪魔にならない程度にひとつに結って毎日を過ごしていた。
決して元通りとはいかないが、朝の時間を多少なりとも余裕を持って過ごせるようになった時、鏡の前に立ち、そこで初めてノラはこれまで通りに髪が結えないことに気が付いた。右手の指先がうまく動かないのだ。それはこれまでの仕事上でわかっていたことだった。書類をばらまいたことも、コーヒーを淹れたばかりのマグカップを落としたこともある。何かを手に持つときは指先に力を入れるのではなく、引っ掛けるようにすればいいとコツに気付いたのはそれからのことだった。
リハビリは欠かさずしているし、術後の経過も良いと医者に言われている。だけど、一度身体から切り離された部位はそう簡単には戻らない。割れた花瓶を繋ぎ合わせても、元通りにはならないように。

「ノラ?」
「あ。いや、なんでもない。嬉しいよ、ありがとう」

 不思議そうに首を傾げたキースの肩に手を置き、ノラは室内へと足を踏み入れた。たかが髪の結い方なんて仕事にも生活にも特別支障をきたす事柄ではない。ただ、なんとなく。自分は日常から外れてしまっているのだと再度認識せざるを得なかった。









「お帰り、ノラ」
「ただいま、ロイ。ご飯食べてきちゃった」
「うん、連絡見たよ」

 リビングの扉を開き、ノラの姿を認め立ち上がった婚約者にハグをする。女性の平均身長以下であるノラからすれば少し高い位置にある彼の唇に背伸びして、そして二人で微笑みあった。
 ノラも医者から定期通院を言い渡されてはいるが、それよりも酷いのがローワンだった。寝たきり状態から回復して退院したはいいものの、まだろくに運動すらできない状況である。そうなってしまった原因も経緯もその結果も、すべて把握しているノラからしてみれば少し思うこともあるのだが。しかし大切な人が元気になっていく姿は単純に喜ばしいことだ。
 身体を離し荷物をソファに置いたノラに、「あ」とローワンが口を開いた。

「そういえば今日、アリアが来ていたよ」
「アリアが?珍しいね」
「僕もこんな状況だしノラも大変だっていうのを聞いて、大量に作り置きしていってくれた」

 その言葉と共にキッチンまでエスコートされ冷凍庫を開けば、確かに大迫力の光景が広がっていた。限界容量を超えた膨大なタッパーとジップロックたち。一応料理名が記されているようだが、正直あってないようなものだった。
 ノラの実妹であるアリア・カーソン。普段はダーリンと共に実家の近くであるカリフォルニアにいるので、ノラたちの住むバージニアまでは距離がある。彼女自身も先日の大きな事件に巻き込まれたというのにかなりタフだ。それもこれも家族への愛情の印ということは勿論ノラも理解している。

「さすが、二児の母ともなると規模が違うね。後でお礼を言っておくよ」
「うん、そうしてあげて。それと、」

そう言ってローワンが取り出したのは一冊の本。いや、アルバムだった。

「片付けていたらご実家で見つけたからって、持ってきてくれたんだ」

 彼の持つそのアルバムに、ノラは見覚えがない。だがわざわざアリアが持ってきたということはノラのものなのだろう。ということはノラが学生時代に友人らとせっせと作っていたものではなく、両親が作っていたものだ。年季が入っていそうな表紙に半ば感心していれば、うずうずと期待の眼差しのローワンと目が合う。

「もしかして、中見てないの?」
「うん……ノラに許可取った方がいいかなって思って」
「律儀だなあ。そんなに面白いものではないと思うけど」
「そんなことないよ!」

 珍しい語気の強さにノラはおかしそうに笑いをこぼし、彼をリビングへと促す。

「コーヒー淹れるよ」








「か、わいい……!」
「意外?」
「え!?ノラはいつでも可愛いよ!?」
「そういうことじゃなくて」

 テーブルに広げられていたのは幼い頃のノラの写真だった。どうやら両親は几帳面にもノラとアリアでアルバムを分けているようで、家族で映っているものやアリアと一緒のものも無いわけではないが、ほとんどはノラが一人で映っているものだ。
 キンダーガーテンの頃やエレメンタリースクールの頃。写真に収まる幼い少女は、フリルのついたスカートやリボンばかり身に着けていた。とはいえそれに見合ったお淑やかさは残念ながら身についていなかったようで、白い服は泥で汚れているわ、首元のリボンは解いて投げているわで散々な様子である。

「母親がこういうのが好きでさ。自分が服に関心を持つようになるまではずっとこんな感じだったな」
「へえ。確かに、出会ってからは見たことないや……」

 当時は母が可愛い可愛いと褒めそやすものだから、ノラ自身も満更でもなかった。それよりも動きやすさを重視するようになったのはミドルスクールの頃からだろう。写真に映る幼い少女も、成人した後の女性も、いつだって長いブロンドの髪をなびかせている。なんとなく、それを見て今朝考えていたことを思い起こした。
 特別髪にこだわりがあったわけではない。なんとなくの習慣でこのまま生きてきただけで。
 だから、思い立ったら早かった。


 よし、切ろう。










 仕事の話があるから朝一番に来てほしい、という内容の連絡を上司から受けたのは愛しのダーリンをなんとか宥めて家を出た時だった。
いつもと同じ道を歩き、同じように本部へと足を踏み入れる。違うことといえば、格段に頭が軽いことぐらいだ。
 目的の場所である会議室まで辿り着けば、ノックと共に声をかける。

「おはようございます、バグショットです」

 「入ってくれ」という声を聴いてから扉を開くと、そこには想像通りの人物が書類に視線を落としながら座っていた。

「朝から悪い、な……」

 俯いていた顔が正面を向き、その瞳がノラの姿をとらえる。一瞬の沈黙と、少し呆気にとられた表情を浮かべた彼に思わず笑いが漏れた。

「イメチェンです。似合ってるでしょう?」
「もちろん。前の姿も似合っていたが今の姿も魅力的だ」

 流石、女性慣れしたイタリア男というべきか、自然と発される賛辞に内心拍手を送りつつも、ノラは彼の目がほんの少し眇められたのを見逃さなかった。FBIとしての大先輩でもある聡い彼のことだ。ばっさりと顎のラインまでに切り落とされた髪の意図は、なんとなく察したのだろう。それになんと言ってもあの原因の惨状に一番に辿り着いたのは彼だ。しかし無用な心配をノラにかけないようにと完璧に取り繕われている。

「ありがとうございます。そう言ってもらえると安心しますね」
「俺なんかより君のハニーの意見の方が重要なんじゃないのか?」
「あはは……」

 彼の正面にある椅子に腰かけながら、ノラは昨夜から朝のことを思い出していた。
 ハニー、つまりローワンの反応は否定的ではなかった。彼のことだからどんな自分でも受け入れてくれるだろうという自負はあったし、やはりその期待は裏切らなかった。
 確かに「急にどうしたの!?」だったり、「悩みでもあるの……?」と過剰に心配はされたが、それ以上に賛美の言葉が一晩中飛び交った。そこまでならまだ良かったのだが、ショートヘアの姿があまりにも珍しいゆえにか、「他の人に見られるのはいかがなものか」と思考が飛躍してしまったらしい。今朝も過剰な心配をしながら玄関先で引き留めてくるローワンを宥めることにかなりの労力を尽くしたのだ。
 ノラの遠くへと向けられた視線にすべてを察したのだろう肩を竦めたアナトリオはホッチキスで止められた書類を差し出してくる。

「PCUのみんなにも見せてくるといい。きっと似合っているとほめてくれるだろう」

「もちろん、仕事の話を終えてからだが」と、付け加えられた言葉に頷きを返す。
数十分後にチームのメンバーに揉みくちゃにされる光景を想像しながら、ノラは目の前の書類へと視線を落とした。