灯火が消える

 都会の雑踏から抜け出すように入った路地裏は、途端に静けさと淀んだ空気を身体に招く。讙の話す仕事の内容を聞きながら意味もなくちらりと視線を周囲へと流した。目に入ったのは少し先にあるビルの上。あの場所、屋上も展けているし狙撃がしやすそうだな、と職業病のような感想が頭に浮かんだ時。きらりと光ったそれを理解するよりも早く、足は勝手に動き出していた。

「ッ、讙!」

 身体に感じたのは鋭く強い衝撃。そして次第に灼けるような熱さを感じたかと思えば、言葉にできないほどの痛みが襲い掛かってきた。自分がいちばん得意としている獲物だ。威力も扱いも、誰よりもよく知っている。

「律兎……!どうして、」

 赤い液体が胸から溢れてはじわじわとツナギを濡らす。投げられた疑問の言葉に何を返せるでもなく膝をついた自分を支えるようにして、讙もともにその場へとしゃがみこんだ。

「り、りつぴ……!」

 その後ろで、戸惑うような声と心配に揺れる瞳とかちあい、内臓からせりあがる血を吐き出しながら口を開く。

「おれはい、から……追え」
「!」

 こくりと頷くとともに聞き馴染んだ声が少しずつ遠ざかっていく。あいつらが追うのであれば、きっと捕らえるのも時間の問題だろう。

「律兎、意識はあるかい?喋らなくていいから気を確かに持つんだよ」

 患部に障らないようにゆっくりと地面へと横たえられ、そこでようやく讙の顔を見た。こちらを落ち着かせようとしているのか、声だけは冷静を努めていたが、その表情は焦燥と緊張で満ちている。

「か゛……ん、」
「律兎!」

 言外に口を開くなと窘めるような口調に、内心苦笑が漏れた。いつもなら自身を顧みない様子に強く言いつけるのは俺のほうなのに。柔らかい表情を崩さないアンタの表情が、自分のために歪められているのが少しうれしいのだと言えば、怒られてしまうだろうか。それとも呆れるだろうか。どちらにせよ仕方ないと笑って許してくれるのだろう。

「……も、いい゛、…ッ、か、ら」
「……ッ!」

 自分の身体のことはもちろん自分がよくわかっている。指先から少しずつ失われていく熱と感覚は、今更どうこうできるものじゃないだろう。讙の顔がゆがむ。きっといま、彼はこれまで俺の数倍生きてきた人生の中で、どうにかできる手段があるんじゃないかと探している。歴史に刻まれた医術から冒涜的に感じるような魔術まで。最善はどれなのか、手繰り寄せようとしている。微かに震える讙のくちびるが開く。その時。

「が、ッ!は、……!」

 吐き出されたのは提案でも別れの言葉でもなく、鮮血だった。前触れのないそれに俺はもちろん讙も反応を示すことができず、重力に従うままに俺の身体に飛び散った。二人分の血液を被った身体はもはやシャワーでも浴びたような様相だ。

「ごめ、!う、」

 ゴホゴホッ、と。水分の含んだ咳は彼の両手に押さえられ、そして受け止めきれなかった赤色が指の隙間から伝って落ちていく。ぼんやりとする意識の中、いつしかに聞いた"命を共有する"という意味をようやく理解したような気がした。
 ああ、なんだ。じゃあ結局、讙のことは守れなかった。いや、俺が殺したも同然なのか。

「……ぁ…」

 もはや声を出す気力も残っていなくて、辛うじて開いた口からは意味のない母音が漏れた。それでも讙は気遣うように俺の顔を覗き込む。血の気の引いた青い顔には、口元にこびりつく赤が妙に映える。

「…………、」

 ぼうっとする意識の中、弱々しく開かれた口の動きから、果たして讙は何を読み取ったのか。ほんの少し目を見開かせたかと思えば、諦めきれない様子で顔を歪め、そして、ようやく観念したようにその顔に笑みを浮かべた。眉が下がった、いつもと同じ顔。

「僕もだよ、律兎」

 ぴくりとも動かせなくなった俺の手のひらを握って、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「死後の世界でも必ず出会えるよ。そういう約束だ。僕たちは約束を違えない、そうだろう?」

 だから、安心して眠るといい。その言葉を最後に、視界は次第に暗闇へと塗りつぶされていく。
 幼い頃は生きることへの楽しさなんて見出せたことはなかったが、いま思い返せば、それなりに楽しい時間だったのかもしれない。脳裏を駆け巡っていく今までの思い出の中には共に時間を過ごした班員、命を預けあった従業員の人間、そして、人生の半分以上を預けた相方の姿がある。悪くなかった、本当に。形状しがたい何かがこみあげてくるような感覚を最後に、蝋燭に灯った火は静かに、ゆっくりと吹き消えた。