「クモおじさーん! こっちはこれでいいの〜!」
「ああ、ありがとう。でも、それは重たいからアディとか上のお兄さん方に運んでもらいなさい」
「はーい」
クモの家は一人住まいにしては少し広い。野生のポケモンが何匹かいついてしまって、ここを住処にはしているが人間はクモ一人だ。生活に不自由はしてないとは言え、目が見えない初老の男性を気遣ってか家には度々町の子どもたちや女性たちがやってきて手を入れてくれるのだ。食事は三食、教会で世話になっているので些かも不便はしていないが部屋の掃除はどうにもクモは苦手だった。
「おーい、マルク。そりゃ、あぶねえよ。俺たちで運ぶからそっちおいとけ」
「えー、アディ兄ちゃん、俺、できるよ?」
「だめだ。爺さんに余計な心配かけんじゃねえよ」
アディがマルクという子供から重い荷物を取り上げてあっという間に奥へと消えていってしまった。重たい荷物はできるだけ増やさないようにしているのだが、ついつい古い書物を広げては、しまわずにそのまま置いておいてしまうから本が積み重なったダンボールはそれなりの重さになるだろう。
子どもたちはある程度片付けが済むと、上のお兄さんやもっと年配の女性たちに任せっきりで、昔からこの土地に住んで守り人をしているクモの話に夢中だ。クモも子供は好きだったので、まるで自分の孫でも見ているような暖かな表情で自分の話を聞かせた。もちろん、森はいいことばかりではない。怖いこともちゃんと聞かせて、森で危ない行動を取らないようにと言いつけるのも、守り人の役割だった。
「なあ、爺さん」
アディが奥からひょいと顔を出した。話しているときに現れるのは珍しい。クモがロッキングチェアでぎいぎいと動いている最中顔を上げた。
「うん?」
「奥から、点字の手紙が出てきたけど――……これ、大事なものか?」
「ああ、それは神子、アスナ様からだね。箱に入れておくから、こっちの机に――」
「あんた、なんてものに埃をかぶらせてんだよ!!」
アディからの痛烈な声にクモは眉を下げた。別に埃をかぶらせておくつもりはなかったのだ。久しぶりに読み返してみようかと思って取り出したら、そのまま忘れていたのだ。神子アスナ、と言えば、この地方でその名前を知らないものは一人もいないと言われるほどの有名人だ。なにせ、このミタマ地方の改革を一代でやってのけた偉大なる英雄。エーディアの愛子。
「クモおじさんは、アスナ様にお会いしたことあるの?」
子供の一人がクモの膝に手を載せながら聞いてきた。もちろん、とクモは笑ってみせる。
「アスナ様はとてもご立派な方だけど、ちょっとおっちょこちょいでね」
ええ〜と子どもたちが疑問の声を上げる。教科書で見る彼女はさぞや完璧な人間なのだろう。ミタマ地方の教会では偉大なる神子アスナの改革という題で始まるような歴史の授業だ。神子とは言えど、人間。アスナはクモからみて、非常に愛らしい人だった。優しい人でもあった。クモの目が見えないと聞くと、その経緯を聞いてしくしくと泣いてくれた。そして、アリアドスとクモの絆をとてもとても愛おしんでくれたのだ。そして、あなたになら任せられる、とミタマ地方の改革の柱であったジムの運営を一つ任せてくれた。目の見えないあなたには重荷だろうか、と今でも心配してくれて、月に一度は手紙が来る。クモと文通がしたいから、と点字まで覚えてくれた。
「時折ね、文が間違っているんだよ。未だに点字に慣れないんだね」
くすりとクモは笑いながら、点字の手紙を指でなぞった。ふうんと子どもたちも物珍しげに点字の手紙を眺めやった。アディもふうんと呟きながら、自分の手元にある埃のかぶった手紙をみやった。ぱたぱたと埃を叩いてやり、しげしげと眺める。偉大な神子様にもそんな一面があるんだな、と言った表情だ。
「アスナ様だって人間だからね。間違えることだってある。でもね、間違えた時にその間違いを認めて前に進むことが大事なんだよ」
クモはそういって、近くの子供を撫でた。
「アスナ様は何度も不安になりながら、ミタマ地方の改革を進めた。間違っているかもしれない、と思いながら」
クモには想像できないほどの重圧が彼女にはあっただろう。十代の後半に入ったばかりの、細い小さな肩には身に余るような話だ。ビードランが小さく鳴いてクモにすり寄ってきた。
「間違っていたとしても、その間違いを認めて、次は間違えないようにする。それがとても大事なんだよ」
勉強でも、日常でもね。
クモはそう言って子どもたちに言い聞かせると、ゆったりと椅子から立ち上がった。夕刻の鐘が教会から鳴ると、子どもたちはそろそろ家に帰る時間だ。アディから手紙を受け取ると、クモはゆったりとした指付きで、文面をなぞった。
「アディ、今日は森の話ではなくて神子様とエーディア様のお話をしてあげようか」
子どもたちが帰って、アディとクモは教会へと向かう。夕刻の鐘が鳴ったら、夕食をいただきに行くのだ。その後、夜の森へ一度入って寝る前の参拝と、巡回を済ませて家へ戻る。食卓では、クモはいつも森の話をした。優しいとき、厳しいとき……子供の頃からアディが胸を弾ませて聞いたクモの話だ。そう言えば、一度も、クモからエーディア様のお話は聞いたことがない。聖なる止まり木が近くにあるから、クモならば一度くらいはエーディア様にお会いていそうなものなのに。
「せっかくだからね。僕がエーディア様にお会いしたときの話をしてあげよう」
「やっぱり! 爺さん会ったことあるのかよ!」
もちろんだとも。
小さな子どもたちに聞かせるように緩やかに微笑むクモの肩にそっとビビヨンが乗ってくる。緩やかな夕方の風に誘われて、珍しい。霧が晴れると、オレンジ色の光がジタウンの木々に差し込んでくる。光を感じ取ったクモが緩やかに顔を上げて、微笑んだ。