赤い目の深淵


 そのポケモンは目の前にいた。大きな鎧のような、うん、彼のことは知っている、とアスナは思った。――――ギラティナだ。ぎょろりと、目がこちらに向いた。彼はしばし、アスナを見つめた後に、僅か微笑んだような気がした。と言っても、実際に表情が動いたとか、そんなわけではないのでアスナの勝手な想像にしか過ぎないのだが。ジェミニが足元でギラティナを威嚇している。アスナはそれを手で撫でてやり、大丈夫だよ、と告げた。

 ――――エーディアの子よ。

 声が響いてくる声。アスナは顔を上げた。彼は柔らかな声であると思った。
 すると、一つの光がアスナの前に降り注いでくる。ゆったりと、降りてくるその光の中で、一人のポケモンが眠っている。美しい青い毛並み。黒い手。嗚呼、このポケモンは知っている。リオルだ。まだ、子供なのか、彼の体は少しだけ小さいように感じる。
「これは?」
 ――――お前への選別だ。
「……選別?」
 アスナは首をかしげる。腕の中に降りてきたその小さなリオルは暖かくて、柔らかい。アスナに気付いたのか、彼の瞳はゆったりと開かれると、その瞳は通常のルカリオとは異なり、赤い瞳をしているではないか。彼はアスナを見つけると、まるで母親でも見つけたかのようにアスナに目を輝かせた。
 ――――善き旅を。赤い神子の末裔よ。
「ありがとう。ええっと、ムスビ様?」
 ――――エーディアにも、会うことがあればお前の無事を伝えておこう。


 気づけば。
 気づけばアスナは別の場所に立っていた。先程、ムスビと呼ばれるギラティナに出会った場所とは別の場所。人が普通にいる町並みへ変わってしまっている。アスナは慌ててフードをかぶると自分の髪を隠す。この髪はよくも悪くも目立ってしまうのだ。
 ジェミニも、ルーンもサーニャもきょろきょろとあたりを見回している。此処がどこだか、アスナもよくわからないままで、取り敢えず道案内板を見てみる。カクカクシティと書かれている。自分がどこにいるのか、よくわからないままだが取り敢えずは先に進まなくてはならないだろう。

「嗚呼、そういえば、君に名前をあげなくてはね」

 アスナが自分の足元に立っている、赤い瞳のリオルを見て微笑んだ。
 どうしよう、とアスナは近くのベンチに腰掛けながら考えることにした。近くの自販機でジュースを買う。お金はどうやら問題なく使えるようでよかった、と思いながら全員の分のジュースを買う。ジェミニは爪で缶を壊してしまうので、アスナが開けて渡してやる。リオルもどうやら開けられない様子だったので、アスナが開けて手渡してやる。
「ううん……君にふさわしい名前。ジェミニは双子座、ルーンとサーニャは月と太陽……嗚呼、そうだ」
 アスナは思いついたのか、頭をぽん、と撫でてやる。

「リブル」

 リオルが目を見開いた。
「君は、リブル。今日から、私の新しい友だちだね」
 アスナがへにゃりと笑う。そっと手を差し出してみると、リオルがその手とアスナを見比べて、じわじわと嬉しそうな顔を浮かべているのが見えた。白いアスナの手を掴んだリオルは――――リブルとなった。よろしくね、とアスナが言えば、彼はがう、と小さく鳴く。
 さて、どうやってここから元の場所へ戻ろうか。
 アスナはそういいながら、ルーンとサーニャに苦笑してみせるが、ふと、足を止める。


『今に介入する力なんて素敵……絶対欲しいわ』


 誰かの声が聞こえた。
 それは女の声だった。アスナには聞き覚えのない声。しかしながら、明確にアスナに向けられた、悪意と敵意、そして欲望である。この手の感情にアスナは敏感であった。
「……貴方は、だれだろう」
 アスナはそう言って、虚空を見つめる。そんな、アスナの横顔を新しい友人となったリオルが黙って見つめていた。