大学院生の気づき。








昨日、俺の行動のせいで優を困惑させてしまった。

次回の勉強会まで・・・あるいは、もうこれからずっと彼女には距離を置かれるかもな、と思いつつも
己の行動を謝罪する言葉を上手く口に出来ずに居た。




結局、優の頭を撫でるだけだった。






遠慮しがちな性格の優なら、きっと俺の行動を聞いてはこないだろう。
たとえ気になっていても聞けない子だと、分かっていてとぼける。

嫌な大人になったものだ。





いつからだろうか、相手の出方を上手いように利用して都合の悪い事を誤魔化すようになったのは。


言葉にすることで事が複雑と化してしまうなら、いっそ言葉にしない。

出してしまった言葉は戻すことが出来ないのだから、確信の無い言葉を溢さないことに気をつけて。




そうすることで人との間に摩擦は生まれなくなった。


けれどこれまで以上に息苦しい日々となったのには、気付かないフリをし続けた。
いまさらこんな俺を変えることなど無いだろうな、と内心呟いた。







考え事をしながらの買い物をし終えて工藤邸へと戻ると、優が居た。

何をするでもなく、そこにずっと佇んだままの優に、
なんとなく彼女が何を迷っているか分かり、それが己のせいであるのだから罪悪感がわいた。





出来るだけ、いつも通りを心がけながら優を家の中に招いた。



コーヒーを二つ入れて、席に着く。
俺も優も少しは頭がすっきりすれば言葉も出てくるかもしれないと、カフェインを摂取する




「えっと、その・・・」


「ゆっくりでいいですよ、」


戸惑いがちに視線を泳がせながらも、言葉をだそうとする優に、
落ち着くように声を掛ける。俺自身にも言えたことだが。



しばらくして優が話し始めた。
今日、兄のクラスメートに告白をされたという話だった。



てっきり昨日の事を俺に聞きに来たのかと思ったが・・・
話題に上げられると困ると思っていたはずなのに、まったく触れられないと、それもそれだった。



優にとっては先輩から告白の方が重大な事件か。なんともいえない気分になる。



兄や友人には相談しにくくても、俺には相談しやすいというのも分かる。
学校の人間を実際知っているわけでもないし、歳が上なのだからアドバイスも出来るかもしれない。


俺でなくても条件がそろっていれば、きっと相談しただろう。
たまたま相談しやすい立ち位置の人間が俺だった、優にはそれだけのことなのだろうが、



どうしてこうも平常心から遠い状態になるのか。
加えて今、目の前の少女の頭の中に知らない奴がいると思うと、苛立ちすらわいてくる。




恥ずかしさからか、席を立って背を向けるようにした優。
渡された紙を彼女が見ていないうちにそっと握り潰したい衝動に駆られたが、大人気ないと理性で抑える。



「優さんはどうしたいんです?お付き合いをしたいんですか?」


「いいえっ!お断りしようとしたんですが、上手く言えなくて」



首を振る優にどこかホッとしながらも、相手の告白にハッキリと返事をしなかったことに引っ掛かりを覚えた。


付き合いたい相手で無いならば、すぐに断るべきだ。
俺の意見を優に伝える。



「・・・答えがNOだというのなら、君はその場でハッキリと断るべきだったと僕は思いますよ?」

言葉が濁れば、相手は可能性があると期待してしまいますから、と。



アメリカではこういった告白という形式はあまり無いが、
それでも相手に思いを伝える際はストレートだ。優には難しいことかもしれないが、お互いに白黒の決着は必要だ。




「でも、ハッキリ言ったら相手を傷つけてしまいます・・・」


優の相手を思う優しさが見える言葉も、今は苛立ちに拍車を掛けた。
目の前に居るのに、俺ではない違う人間の事を考えている。


「きちんとした言葉にして断らないと。あいまいな言葉じゃ伝わらないことなんて山ほどあります。特に人の思いなんてものは。」



人の事を言えた義理でもないのに、偉そうに俺は言ってしまった。

どうしてだろうか。優という存在はどうにも俺のペースを乱す。


目の前に居ながらも違う人間を見てしまったのは昨日の俺だってそうなのに、
言葉にせず、曖昧にしようとする姑息な人間は俺だというのに、



矛盾したことを彼女に、優に伝えてしまう。




あぁ、そうか。
俺は、優に俺のような大人になってほしくないのか。




曖昧にして自分を守って、相手を傷つけるような情けない大人になって
その内、大事なものも失うような経験をしてほしくないのだ


気付いたら、肩の荷が軽くなったように思えて、息を吐いた。


立ち上がって、俯いている優に近づき、彼女の右腕を掴み、体を壁に押し付けた。


「ひゃっ、」



驚いた表情の彼女に、さらに体を近づけて迫る。
俺の中でスッキリしたことは二つ。


意見が分かれる議論よりも、返事をなぁなぁにしていると自分の身が危ないことを優に実感させる方が早いこと。
そして、優が、もうとぼける事の出来ないほどに俺にとって重要な存在であること。



「お、沖矢さん?」


窺うような視線を寄越す優に応えることなく、顔をゆっくりと近づけて、



「・・・優、」



名前を呼ぶ。不思議なまでに、口に馴染んだ彼女の名前。

呼ぶことが自然になるほど関わっていたのかと、漸く気付く。





「あの待って、・・・やっ、」



赤く染まった頬と、怖さゆえか潤んだように見える優の瞳。
空いた片腕で、俺の胸を押して距離を置こうとするも、彼女の力など微々たるもの。

そんなか弱ささえも、愛らしく思える。

なにより、さっきとは違って今、優の思考を占めるのは俺であることが気分を良くした。



顔を逸らして逃げようとする彼女の顎を掴んで、前を向かせる。
ぎゅっと目を瞑るのは、彼女からすれば俺と目を合わせないための抵抗なのかもしれない。

けれど、俺からはまるで受け入れるかのように目を閉じているように見えて仕方ない。

いままで色恋に関わってこなかった純粋な優の様子が、快く映るも、他の人間に迫られた際を思うと心配にもなる。





「なぁなぁにしてしまったら、こういう状況に陥る危険性があるんですよ?」

女性の力ではどうにも出来ないのがわかったでしょう?



しばらくの間のあとに、優から距離をとって諭す。




「こんなやり方をしてしまってすみません、」

少々強引でした、



俺の行動に傷ついた様子を見せる優に謝罪をする。
怖がらせたいわけではなくて、危機感を持ってほしいだけなのだ。

なるべくゆっくりとした声で伝える。




「いえ・・・。きちんと言葉にしなきゃ、っていうことが分かったので」


「そうですか、」


賢い彼女には、俺の意図が分かったようで、責めるようなことはしてこなかった。





「だから、教えてくれませんか?」

言葉にしないと伝わらないって言うなら、沖矢さんの気持ち、優は決心したような表情で、そう切り出した。


告白の話などとこか行ってしまったように俺のことへと話題はいつの間にか変わっていた。
いや、優の中にはずっと昨日のことがやはりあったのだろうな。






「昨日、私を急に抱きしめたのはどうしてですか?あんなに悲しそうだったのは何故ですか?」


「・・・、」


俺は、とたんに口にする言葉を失ってしまう。



「別れ際に、頭を撫でた時だって、どこか申し訳なさそうな、そんな感じがありました」


泣きながらも、目を逸らすことなく俺に伝えてくる優は眩しいくらいに真っ直ぐな存在だった。

俺のように、誤魔化すようなことをしない今の方が、やはり彼女らしいと安心はしても、
どうすれば、そんな彼女の思いに応えてやれるのか分からない。




「私も・・・私も言葉がほしいです!沖矢さんの言葉が、ほしいです。・・・あなたの気持ちが、」


知りたいんです、そう言って、優が俺の手をとった。
もう誰とも重なることなく輝いている優が、俺の目に映った。



綺麗だ、なんてべたな言葉を心で呟いた。
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