大学院生がお話します。
「僕は、あの時・・・君の影に違う人を重ねてしまったんです」
「違う人・・・?」
冷めたコーヒーを入れなおし、お互いが椅子に落ち着いたところで話し出す。
言葉にする予定ではなかったが、自分がハッキリと伝えることが大切だ、と言ったのだから逃げられない。
涙ながらにも、俺の気持ちが知りたいといったこの少女にそんな事をする気にもなれなかった。
「もう二度と会えない大切な人、ですかね。」
こうして彼女の事を誰かに語ったのは、初めてかもしれない。
周囲の人間は俺の様子から悟っていたのだから。
だが今、こうやって優に対していった言葉が己の胸にすとんと落ちてきて整理がついたような気がする。
「すみません、優さん。」
失礼なことをしました、と言って頭を下げる。
知りもしない誰かと重ねられてあんな風に触れられるなど、いい気がしないことは分かっている。
曖昧に誤魔化したのは、失った彼女を優と重ねたことを認めること、
それによって優に疎まれることが、嫌だったからか。
ようやく気づいた己の自分勝手な行動に謝罪を述べるのは、当然だ。
「そう、だったんですね・・・気にしないでください。」
「けれど、僕の行動で悩ませてしまいました、」
終いには泣かせて。
亡くなった人間の話題に触れてしまったことに戸惑いの表情を見せる優。
しかし俺が思っていたよりも、優は軽くそのことを受け止めてしまった。
俺のせいで悩ませてしまったというのに、
工藤邸の前に佇んでいた際の思い悩んだ表情はもう影も無い。
「確かに、その、ちょこっとモヤモヤしちゃいましたけど・・・」
でも、
彼女はなおも俺を真っ直ぐと見つめて、言葉をつむぐ。
「私、失礼だなんて思ってません。」
真剣だった表情を、ふっと緩めて、
「大切な人なら、ふとした時に思い出したりすることは自然なことじゃないですか?」
優は俺に笑顔を向けてくれた。
「・・・そう、でしょうか、」
今も携帯に残されたメールが頭をよぎる。消せずにいるのは、己への戒めだと思っていた。
そんなことなど優は知りもしないはずなのに、俺の中にその言葉が響く。
今度はあのメールをもう少し、緩やかな気持ちで画面を見つめられる気がする。
「私も、お父さんのこと・・・思い出したり、他人と重ねてしまう事だってあるから」
兄のことばかり話題にしていた理由が漸く分かった。
表情は少しだけ切なげだけれど、優の中では折り合いがついているようで、
先ほど折り合いをつけた俺よりも精神はずっと大人だな。
「・・・大事な人なら忘れられないし、きっと忘れちゃ駄目なんです。」
偽りの無い、真っ白な言葉は心に浸透して、
黒く染まっていたものが洗浄されて爽やかさに満ちる。
まさにそんな気分になった。
それもこれも優のおかげだろう。
「ありがとうございます、優さん」
自然と口から出た言葉。
「どう、いたしまして?」
「くすくす、どうして疑問系なんです?」
俺の言葉に、戸惑いながら応える優が面白い。
なんとなく考えていることが分かる。
「だ、だって、お礼を言われるようなことはしてないです、」
「いいえ、僕は優さんの言葉で心が軽くなりましたよ?」
予想通りの言葉に、間を空けず反論する。
どうにも優は自分への評価が低い。驕るよりもましかもしれないが、少々もったいない。
泣き虫だけれど真っ直ぐで、
ネガティブかと思いきや、勇気を持っている。
俺に昨日の事を訪ねる勇気が優にあったのは予想外だったけれど。
今日はそんな優のさらなる一面を見ることもできた。
「あ、えっと・・・そう、ですかね、」
顔がほんのり赤く染まっていく表情に、優が照れているのが分かる。
面と向かって感謝されることに慣れていないことが窺えて、
そうした優の新鮮な反応がどうにも俺の心を擽ってやまない。
惜しまずに言葉を伝えることにこうした特典があったなんてな。
緩む口元が見苦しくならない程度に、引き締める。
「そうそう。話が戻りますが告白、しっかり断ってくださいね」
「は、はい」
頭にはてなをのせたような表情で戸惑いがちな優に、俺は言葉を補足する。
「僕が嫌なので。」
「えっ、?」
優の豊かな表情は見ていて楽しいからか、ついついからかいたくなる。
ようやくいつものペースだな。
「優さんに彼氏が出来たら、僕といる時間がなくなってしまうでしょう?」
せっかく一緒に居られるというのに、なんて伝える。
冗談でもなんでもなく、本当の話だが。
そして彼女の頭に手を伸ばす。
撫でるとするすると指の隙間を流れる、柔らかな髪がやはり気持ちよかった。
赤く染まった優の顔と、この髪の手触りが癖になってもうやめられそうに無いな。
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