「主、お主の名は、何と言う」
「は、」
縁側で並んでお茶を飲んでいる時。突然そう問われた。
それは真名を教えろという意味だろうか、と私が思案し固まっていると隣の青い麗人は、はっはっは、と笑ってお茶を啜った。
「主よ、我らは恋人であろう?一度は審神者としてではなく、ひとりの女(おなご)としてお主を呼んでみたいものだ」
「え、あ、いや……本当の名を教える事は、禁忌ですから」
「少しくらい、大丈夫だろう」
「いえ、こればっかりは……」
「はっはっは、お主は頑なだなぁ」
確かに私と三日月は、恋人と言える関係にある。と言っても別に、肉体の関係があるわけではなく、もっと清らかなお付き合いだ。それこそ、手を繋ぐのにも時間が掛かった程。他本丸にいる友人の審神者に言ったところ、『中学生か!』と悶えられたが。
ゆったりとお茶を飲みながら笑う彼は、しかし彼もまた頑なで。どうにかして聞き出そうとしているのがひしひしと伝わってくる。どうしよう、と考えていて、私はふと、拝み屋として務めていた祖父の言葉を思い出した。
『良いかい、真名。もしもお前が神様に出会って名前を聞かれても、怯んではいけないよ。神様に真名を知られるのは危険だが、神様とて音で聞いただけでは字面までは分からないのだから』
『つまりね、真名を知られないように、というのは、どんな文字でどんな意味が込められているのかを知られてはいけないよという事なんだ。最近はそれを知らず、ただ名前を知られるなとうるさい連中も多いが……怯んでつけ込まれる方が危険なのだからね』
まだ10歳かそこらの私には難し過ぎた話だが、今になって思い出せば、意味がちゃんと理解できた。湯呑みを持っている手を膝に置いて、琥珀糖をひとつ、ぱくりとつまむ。お茶を少し啜って、ふぅ、と息を吐いた。
「……私の名前は、ひらがなです」
「そうか、ひらがな……ひらがなか。どんな字を書く?」
「そ、れは……言いません。それは、教えられない」
「何故?」
ニコニコと、しかし優しい笑顔でこちらを見ながら琥珀糖をつまむ彼に目を向ければ、申せ、と目で言われているような気がした。しかし私には、祖父の言葉がある。私にとってそれは絶対であるし、それを守っていれば安全だという一種のバリケードだった。私の魂を、守る為の。
「……そうか。やはりそれは教えてくれなんだな。だがまあ、よい。俺もそこまでして知りたい訳ではない」
少し寂しそうに呟いた三日月は、そう言って私に微笑みかけた。先程とは違い、織り込まれた意図など無い、優しい目をしていた。それにふ、と固まっていた体が解れて、私は緊張していたのだと知った。
「お主を、お主の魂までもを無理矢理縛り付けようとは思わんさ。変な事を聞いた、すまんな」
そう言って彼は私の頭をそっと撫ぜて、その指先で頬を擽る。ん、と声が漏れて、その頬にちゅ、と唇が押し当てられた。頬にキスをされていると自覚した私は、カッと赤くなってしまっているだろう。
「だが、呼ぶ事は許しておくれ」
「呼ぶ、」
「あぁ、ふたりの時にだけでよいから」
懇願するような声でそう言う彼に、私はそれならば、と承諾をした。するとそれだけでも本当に嬉しそうな顔で笑うものだから私はあぁ、愛されているんだなぁ、と肌で感じた。
「嗚呼、ひらがな、愛しいひらがな。愛しているよ、お前はかわいい人の子だ」
何度も私を繰り返し呼んでは、幸せそうにニコニコとして私を見つめ、頬を寄せては唇を落とす。たまに狂気染みていると思う事が無いわけでもない彼だけれど、やっぱり私にとっては愛しい存在。
私の名前は真名。それを知らない三日月は私をひらがなと呼ぶけれど、私たちはそれでも充分幸せなのだ。