逝らっしゃいませご主人様


任務のためとはいえあと一週間も天使紛いな格好で働く自分を想像すると心が死にそうだ。

「はーい!それではご一緒に〜。ご主人様に萌えキュンキューン♡」
「キュンキューン♡うわぁ〜凄く美味しそうだなぁ『トミエ』ちゃん。あーん♡」
「はーい、アーン♡」

オムライスぐらいスプーン使って自分で食えや!腕もぎ取るぞ!!?と吐き散らしたい気持ちに蓋をし、笑顔で要望通り物を口に運んであげる。でかい赤ん坊とはまさにこういう客のことを言うのだろう。なんでメイドが介護まがいな事をしなくちゃならないのかメイド歴2日の私には理解できないが『下界のご主人様を癒すのが私たち天使の役目だからね』と目の下隈子な先輩天使に指導されたら従わざるを得ない。家入先生を彷彿とさせるあの闇深い黒眼の深淵はニーチェがかつて格言に残したあれに通じる気がする。覗き込む勇気がない私は命惜しさにお口チャックしておおきな赤ん坊の機嫌を取ることに徹した。

「トミエちゃん、ご主人様お迎えに行ってあげて」
「はーい」

普段の制服とさほど変わらない丈のスカートを揺らしてベルが鳴った玄関へと向かう。今日は客が多いな。ああ、土曜日の午後だからか。…はぁ。今まで七海さんが斡旋してくれた任務は至極まともな内容でどれも短期決戦型だった。早くて2、3時間。かかっても半日程度。それに比べ五条先生が斡旋してきた任務はまさかの長期型、しかも厄介なバイトのオプション付き。何故だろう、七海さんの真っ当な人間性が意図せずして際立っていく。
背中にプラスチックの羽を背負ってから既に感情は死んでいたが、まだメイド服でよかったバニーガールよりはマシだったと死にかけの心に絆創膏を貼って己を鼓舞する。情報が正しければ1週間後に控えた人気投票結果発表日に呪詛師が現れる…もし現れなかったら五条先生の体を解体し3等身に改造してやる。…というか、なんでよりにもよって任務先がメイド喫茶なんだ。自分の生徒にコスプレさせてまで呪詛師炙り出そうなんてあの人ホントに教師か!?他に適任な呪術師がいたでしょ。私何度も言うけど後方支援が得意の3等級呪詛師なんだって!
はぁ…こんな姿絶対知り合いに見られたくない。あの性悪集団に見られたが最後卒業までの3年間お笑い草にされる未来しか見えない。それだけは絶ぇーっ対に阻止しなければ。

「よーっす。みょうじ元気に働いてる?」
「遊びに来てやったわよ」

…おかしいな。入口に同級生によく似た顔が3人立っている幻覚が見える。目を擦っても消えないんだけど。なるほど、これが呪詛師の術式…祓っとくか。

「お帰りくださいませご主人様」
「えー!?ちょ、拳銃!?待って、俺たち客っ、ご主人様っ!!」
「店に金落としてないうちは不法侵入者なんだよ。とっととお帰りくださいませ」
「と、トミエちゃん!?」

土曜日に学生がメイド喫茶で時間浪費とか正気か?ここは大きな子供向けの喫茶だぞ?勿論銃弾は装填はしていない。けれど気持ち的になんかむしゃくしゃして逆立つ気持ちのままに乱射したい気分だったことだけは確か。スカートの中に仕込んでいた銃口を向け一番慌てふためいていた虎杖君へ引き金を引く直前、玄関先の客が玩具のような銃にギョッとして悲鳴をあげた。すると奥にいた先輩メイドが入口の騒がしさに気づいて『どうしたの!?』と駆けつける前に私はブツをしまい笑顔を取り繕った。『下界の穢れがあまりにも酷かったのでびっくりしちゃっただけですぅ〜』と自分でも何言ってるのか分からない言い訳で誤魔化す。背後からメイドがそれでいいのかと3人から怪訝な視線を向けられる。これでいいんだよ、と乱れたスカートを直し漏れかけたため息を喉奥へと押し込んだ。
先輩メイドを奥へと鎮め、なまえは空いた席へと親指を立て3人を店内へ案内すると清めの聖水を三人分サーブした。はよ帰れ。同級生の入店という想定外のイベントが発生し右足は苛立ちを顕に足踏みを繰り返す。

「ちっ、お帰りなさいませご主人様。ちっ」
「みょうじなんか怒ってる!?」
「ほら、ご主人様のお帰りよ。ちょっとは愛想振りまきなさいよ。メイドの仕事でしょ?」
「ストライキ起こしたい」
「トミエちゃーん、ご主人様には?」
「笑顔でご奉仕です♡」
「態度の変わりようエグ」

先輩メイドに逆らったら怖いんだよ。表向きは可愛い女の子が御奉仕する健全なお店に見えるが裏では蹴って蹴り落とされての弱肉強食な世界なんだよ。上に逆らったら殺される…主に精神面で。さっさ水飲んで帰ってくれないかなぁ。マニュアル通りにメニュー表を配り死んだ目で注文を待つ羽を背負ったメイドに3人は互いの顔を見合せ、本当にこれが天使をコンセプトにしたメイド喫茶なのか、一人堕天使紛れ込んでるんじゃね?と呟きあっている。おい、全部聞こえているんだけど。誰だ堕天使って言った奴、この羽の白さが目に入らないのか。珍しく皆私服で、野薔薇ちゃんに至っては大量の紙袋を握っている。大方五条先生が冷やかしに行くよう仕向けたのだろう。せっかくの土曜日にメイド喫茶で時間とお金を溶かす人の気が知れん。

「そういえばさ」
「なに?」
「眼鏡外した時もそうだったけど、野暮ったい格好変えるだけで随分雰囲気変わるわよねアンタ」
「わかる!五条先生が目隠し外した時並に衝撃受けるっていうか、前の高校でも入学式ん時雑誌で見た事あるって謎のプチ騒ぎ起こってたしな!」
「はぁ!?ちょ、なまえ、アンタもしこの私を差し置いて本当に雑誌デビューしようもんならご自慢の長いまつ毛を下まつげこと全部毟ってやるから」
「今すぐ出禁にして欲しい…」

はぁ〜しんどっ。心も表情も死んでいく。五条先生も酷い教師だ。これ私じゃなくて野薔薇ちゃん向けの任務でしょ。誰向けの需要だよ。B専?B専か??というかこの3人環境に適応しすぎでしょ。こっちがお願いするよりも先に文句も言わず椅子の背もたれにかかっていた天使の羽と輪っかを背負いメニュー表を覗き込んでいるんだが。普通ちょっとは躊躇わない?流れる動作で羽をつけたものだから初日かなり着替えに時間をかけた自身の往生際の悪さに顔を覆いたくなる…絵面が凄いな。奥に戻ったらこっそり写真撮って先輩に送ろっと。

「みょうじ、お前、高専の入学方法はなんだ?」
「ん?五条先生のスカウトだけど」
「……そうか」
「…??」

え、何今の質問。メイド喫茶に関係あるやつ?いや、ないよね。…今の質問なんだったの?

「てか『トミエ』って何?あ、源氏名ってやつ??」
「一応本名は伏せるようにって言われてたから適当に名前つけてみた」
「顔と名前の時代錯誤感がバクってるわね。もっと可愛いのつければ良かったのに。ノバラとか、メグミとか」
「俺を巻き込むな」
「悠仁は?」
「メイドにユウジはないわよ。ゴツすぎ」
「もう名前のことはほっといてよ。ほら、早くご飯頼んで食べてチェキ撮って帰って」
「バイトのマニュアル完璧かよ」

完璧にしないと先輩メイドに扱かれるんだよ。あと完璧じゃないと表にも出られないし、呪詛師と接触もできない。

「あっ、俺これ別店舗で食べたことある〜。んー、よし、決めた!」
「私もっ!」
「…」
「はーい、萌えキュンCセット3つですね。かしこまー」
「全然注文聞く気ねぇじゃんっ!!」
「しかもしれっと店で1番高いメニュー頼みやがったわよ」

はよ帰れ。あと虎杖君別店舗で食べたって何?凄く気になるんだけど仕事中だから無駄話はできない。明日学校で聞くか。
クラスメイトの来店により仕事がやりにくいがやるべき事だけはやっておこうとオムライスに絵を描いてチェキを撮る。今日寮に帰ったら絶対に冷やかされるなと心の舌を噛み千切り全人類のスマホが爆発しないかなとハートを注入しながら奴らの行動をチラチラと確認していると以外にも性悪集団は大人しく外の景色を眺めたりスマホをあたったりと大人しく時間を潰していた。てっきり冷やかしにきたのかと身構えていたが、案外友達のバイトをお布施として応援しに来たのかもしれない。本当に聖水を飲むべき人間は彼らではなく私だったのか。…なんか悪いことしちゃったなぁ。よし、見せてあげよう。これがメイド、トミエの接客じゃい!

「お待たせしましたぁ〜萌えキュンCセットで〜す♡ご主人様達のためにトミエが心を込めてケチャップで文字を書きたいと思います。『呪』でよろしいでしょうかぁ〜??」
「よろしくないわっ!!えぇ〜っみょうじもしかして俺達のこと実は嫌いなの!?確かに五条先生から言われて遊びに来たのは事実だけど、誓って冷やかしに来たわけじゃないよ!?」
「冷やかしに来てないことは分かってるよ。でも普通こういう時って愛とかハートとか描くんだけどクラスメイトに書くのはどうかな〜って。なら皆の共通点として呪術高専の『呪』を書こうかと」
「分かりにくっ!!てかなんでそこから漢字一文字だけ拝借してんのよ!!書くならこう、もっと分かりやすく『呪術』まで書きなさいよ!」
「でも二文字書くとなると追加料金発生するよ」
「ぼったくりバーかよ」
「『呪』以外にも他に漢字があるでしょうが。別にイラストでもいいんでしょ!?」

えぇー、なんでこの人たちオムライスのケチャップ文字ごときにここまで熱量持って噛み付いてくるの!?文字なんて何書いてもハートを注入したら味同じなんだし別にいいじゃん。ケチャップだって自分でかける分にはタダなんだし机の端のケチャップ使って書けば…文句が多いご主人様達だなぁ。じゃあ文字はやめてイラストにするか。…あ、そうだ。あの子にしよう。特徴は額の模様と舌を出しがちなところか。

「もう、仕方ないなぁ…はい、玉犬」

(((無駄に絵が上手いな)))

新人天使メイド、トミエ。天使歴僅か10日にしてその猫かぶりな笑顔と見事なケチャップ使いで人気投票初参戦にして見事な1位をかっさらっていった。彼女が人気投票のトップとなって以降前々から噂されていた怪しげな噂はプツリと途絶え、メイドは安心して人気投票の1位を狙い熾烈な人気争いを繰り広げるようになった。人気投票のトップを取った次の日トミエはあっさりとメイド服を脱ぎ捨て茶封筒を握り姿を消したと言う。『彼女ほどオムライスとケチャップに愛されたメイドはいなかった…チェキには見放されていたけれど』後に店長はそう語りながら萌えキュンCセットを今日もせっせと調理する。いつかトミエが戻ってきてあの神業を披露するその時まで萌えキュンCセットを作り続けるんだと意気込んで。

「みょうじ〜俺パンダ先輩おねしゃす!」
「私玉犬ね」
「ツナツナ〜!」

…呪術師はクソ。死んだ魚の目をした元メイドは寮の調理場でケチャップを握り焼きたての黄色いキャンバスに『呪』と書いた。それから指で形作ったハートへ呪いと苛立ちを込め全力で注入すると死神も吃驚の表情で召し上がれと中指を立てた。



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