Lantern


02


裏裏山の頂上で夕陽を見た帰り道のこと。『じゃあ屋敷に戻るか!』とまだ夕陽の美しさに浸っていた私を抱いて小平太さんはまたせっせと走った。『いけいけどんどん!』と謎の掛け声を繰り返しながら終始子供のようなあどけない表情を浮かべた彼を見上げ、私はボロが出ないよ口を閉じ大人しく抱えられていた。その場の思いつきで動いていそうな人に下手な抵抗を見せ面倒くさがられたら私は裏裏山の参道で1晩明かすことになるからだ。屋敷から裏裏山の頂上までの道中をつむじ風のように駆け降りておく。大人一人抱えかなりの速度で走っているにもかかわらず額や頬、首筋にすら汗をかいた形跡はなく、きっとこの人は人並み外れた体力の持ち主なんだろうなぁとやけに弾力のある胸に身を預け非日常な疲労感に耐えきれず意識を飛ばした。

それからというもの羽古井家から書簡が届く度に私は小平太さんの前で凛子のフリをした。正直私も凛子と同じく小平太さんが苦手だった。恵まれた体格に見下ろされじーっと見下ろされる度に気分はまるで熊と対面したように身の危険を感じていた。彼の声は鼓膜を突き破るほど大きく、戸を引いて現れた際は勢い余って戸の木枠を破壊する馬鹿力。そんな彼が急にあの卵の目が一際丸くなり、『あ、そうだ!』と手を叩く度に私は拒否権なく彼が唐突にやりたくなった事に巻き込まれた。『細かいことは気にするな!』と巻き込む側に言われた時は何を言ってるんだこの人はと呆れ返った。でもどうしてか、仕方の無い人だなぁと許容して大人しく巻き込まれてあげるようになった。
苦手だと思ってた人が徐々に可愛く思えてきた。特別な出来事がきっかけで意識が変わった訳ではなく、屋敷を訪ねてくる度に花を詰んできてくれる事とか、それを会う度にわざわざ隠して驚かせて反応をみようとする子供っぽいところ、有無を言わせず振り回した先にはいつも私が喜ぶような物が待っていること。豪快かつ大雑把な言動が目立つ割には案外マメで、会話の中で度々口にする『前にお前が言ってた…』の言葉から察するに小平太さんがどれほど凛子を気にかけ好かれようと努力しているのか知った。とても素敵な人だと思った。それと同時にこんな素敵な人を放って家出するなんて、ますます我儘お嬢様の恵まれた環境への反逆心とやらが私には分からなくなった。

染め終えた布の状態を確認し染め足りなければ元の桶へ、次の工程に進める分は洗濯籠用の木桶に入れる。毎年季節がぐるりと回るおかげでちょうど良い冷たさだった水も徐々に手先を痺れさせ水仕事が少し面倒に感じる。とはいえうちは染物屋なので水に触らず仕事を済ませることなんてできないのだが。
洗濯物を干し終えて室内に戻ると作業机に手紙が一枚置かれていた。艶のある手紙の端には羽古井家の家紋が押印されており、もう同じ事を3度繰り返しているため文面に目を通さずとも用件はだいたい察しがついた。

「また羽古井さん家からバイトのお呼ばれかえ?」
「まぁね」
「忙しいんかえ?」
「まぁ、そこそこに」

叔父叔母は私が羽古井家に女中として臨時バイトしに行ってると思い込んでいる。そう思い込ませたのは他ならぬ私なんだけども。凛子に成り代わるのは楽じゃない。その上相手は嵐のように破天荒で、時に全て知った上で騙されてくれているかのような発言にギョッとさせられて、一筋縄ではいかない。でも私が上手く事を進めるうちに凛子が帰ってくればしばらく遊んで暮らせるほどの大金が手に入る。そのお金で叔父叔母に親孝行できる。忙しいからと弱音を履いている場合ではないのだ。

「そうだ、バイト代もらったら家族で外食行こうよ。ほら、隣村に最近出来たうどん屋さんとか。後はそう、新しい草履買いに行こう。その草履かなり履き潰しているし新しいの買ってお出かけとかいいでしょ?」
「あら嬉しい。でもね梅子、私は無理してあの家でバイトなんてしなくてもいいと思ってるんだよ。ウチは貧乏だけど1日2食は必ず食べさせられる余裕はあるし、遊ぶお金が欲しいならそこら辺に沢山日雇いがある。どうしてまた羽古井家にバイトするなんて決めたのかぇ?あそこは確かに金払いはいいが友達の間でお金を行き来させるのは私はあまり良い感じはしないねぇ」

友達間の金銭のやり取りは友情に亀裂が入るもと。だから辞めなさいと叔母は言うが、金銭のやり取りはあくまで私と凛子の親の間の話。叔母の心配もわかるが鼻緒を何度も修繕した草履が玄関に並ぶ度どうにかしてあげたいと思っていた。お金で全部解決するのであれば捻出方法に関しての善悪なんて多少であれば目を瞑るべきだ。親戚のよしみで無一文の子供を拾い育ててくれた叔父叔母は誰よりも幸福で楽な暮らしをしないと善行に対して割に合わない。

「私しかできないバイトだから仕方ないよ。ご当主様もバイトを紹介する時すごく申し訳なさそうにしてたからね。大丈夫だから!凛子とは今まで通り仲良いし、ご当主様も私がいると助かるって言ってくださってるのよ?」
「そぉかえ。そぉかえ。ならいいんだけどねぇ」

作業机に置かれた手紙を見られる前に握って回収する。一時的に胸元へ隠すのは絶対に中身を見られないためだ。そうして叔父叔母が買い出しに家を空けた隙にいつも通り囲炉裏の炎で燃やして証拠隠滅を図り、その時が来るまでまた染色に着けた布を指で沈めた。染まり具合を見ながらまた羽古井家にで向かなければならなくなったことを内心嘆いていると店頭の方からやけにわざとらしく砂を擦って歩く足音が聞こえ指を引き上げた。

「ごめんくださーい!!」
「あら、お客さんだわ。はーい!今行くからちょっと待ちんねぇ」

私が行くのに。
座り仕事で曲がった腰に手を添えてヨタヨタと店頭へ歩く叔母を私は転ばないかハラハラしながら見送る。
依頼の受付はいつもなら私の仕事だが手が染色に染ってることもあってまだ綺麗な手の叔母が引き受けたのだろう。このくらいなら洗えばすぐ落ちるのに。
それにしても…さっきの声どこかで聞き覚えがあるような。なんというか、やけに元気で自然と背筋が伸びるような。

「そうかぇ。二郭さんから紹介されたんじゃあ引き受けないかんねぇ。でもこりゃまた。あっちもこっちもほつれが酷いけぇ染める前に繕わななぁ」
「引き受けてくれますか」
「まぁウチが引き受けなぁあんた方も大変じゃろうし…」

会話を聞く限り来店した方は新規のお客様らしい。裏から店頭でのやり取りを盗み見たいのだがちょうど叔母が客の顔を隠して見えない。受け答えしている人の顔は叔母の頭に隠れて見えないが、話している人の後ろの客人の顔は見えた。上背があって頬に傷があるすごく仏頂面の人。その人の腕には衣が数枚畳んだ状態で抱えられている。

「でも少しお時間頂戴しますけぇ」
「どのくらいですか」
「さぁ…ひと月くらいやろか」
「ひと月か。どうする長次!?」
「…もそ。1月なら次の実習に間に合うだろう…買うよりも安上がり」
「だな!!!」

実習ということは彼らは学生なのか。でもこの近くに学び舎なんてあっただろうか。それとも凛子みたいに名家の生まれで先生が家に来るのだろうか。

「んじゃあ品物はお預かりますねぇ。ありゃ、依頼書何処やろか?ここか?じゃあここか?んー、梅子〜注文書何処にあるんかぇ??」

そう言って叔母さんが体を少し傾けた時、私は喉まで出かかっていた『はーい!』を唇を強く噛んで飲み込んだ。
何故小平太さんがここに。
どうか見間違いか人違いであってくれと願っても卵のような丸い目や凛々しい眉、威風堂々とした立ち姿は紛れもなく本人で、その上叔母が私の名前を呼んで呼び寄せようとする最悪すぎる展開に私はそそくさと店の奥に体を引っ込め頭を抱えた。

「梅子?」
「あたしの娘や。いつも接客はあの子やけぇねぇ」

叔母さんっ!!お願いだから私の説明しないで!!!本人にバレたら大変な事になるし、芋づる式に私のバイト内容が叔母に知られたら絶対に幻滅される…せっかくの親孝行のチャンスが水の泡になる。
でもどうする?名前を呼ばれた限りは顔を見せなければ不自然だ。それにあの様子じゃ叔母さんは小平太さんにペラペラと私と凛子の関係や最近のアルバイト事情も話してしまう可能性が高い。情報漏洩を防ぐためにはあの場から叔母さんを回収して小平太さん達にはさっさと帰ってもらわなければ。だが顔を見られるのは頗るまずい。水桶に焦り顔はどこからどう見ても羽古井凛子と瓜二つ。顔を隠すにしても髪を顔に垂らしたところで悪足掻きだろうし…あ、そうだ。
それは天啓であり、救いの一手であった。たまたま目に付いた仕事用の手拭い。染まり方が気に入らず手拭いとして使おうと洗濯し干したそれを掴んで頭巾にし、布を上手く緩めて額にかかるよう引き伸ばす。手拭いで額から眉を覆い隠し、深い影が顔の半分以上を覆う。少し前が見づらいが顔が割れるよりはマシだ。
何度も梅梅と叔母に呼ばれ、物陰から一人覚悟を決め深く息を吐いた。よし。俯き加減で店頭に現れた梅を叔母は首を傾げて「どうしたんかぇ?」と心配するが、梅は何でもないよと叔母のすぐ背後に置かれた戸棚から紙束を探り当て袖から筆を取り出した。

「注文書は後ろの棚の上から3番目の引き出し。あとは私がするから叔母さんは戻っていいよ」
「そうかえ?」
「そうだよ」

客人から上手く顔が見えないよう体の向きに気を使い、直ぐに帳簿へ凝視するように頭を下げる。予想通り客人からの視線がグサグサと頭に刺さっているけれどまだバレてない。このまま自分の仕事を終えてさっさと裏に引っ込む。それしか命も大金も助かる道がない。

「お名前と住所をここに記載してください。お預かりする衣は1枚ですね。ほつれの修繕も行うので仕上がりは今日から1ヶ月程かかりますのでご承知ください。取りに来る際はこの紙が引換券になるので無くさないように」

注文書を1枚破いて渡す。相手が記入している間に品物の状態を確認するが、叔母が難色を示すのも無理はない酷い有様だ。一体どういう扱い方をしたらこうも糸がほつれ布が毛羽立ちまだら模様に色が焦るのだろう。染めたところで最悪な状態からちょっとマシな状態にしかならないだろうし、正直買った方が安いと思うのだが商売儲けのことを考えて口を噤んだ。
布からチラッと視線をあげると小平太さんが注文書に記入していた。字も元気良さそうだなぁなんて失礼なことを考えていたが、書道の先生みたいな整った文字に度肝を抜かれた。字はタイを表すというがこれは意外すぎる。
「できました!」と幼子みたいな言葉を添え差し出された注文書を受け取る。必要事項は全て記載されてはいたが、氏名に『中在家小平太』と記載されているのはどうも気になる。たかが染物屋に仕事を依頼するだけで家名を偽る理由が分からない。貴方の許嫁は自分の名より苗字を名乗り相手がヘコヘコと媚びへつらう様子を楽しむ節があるというのに。
とはいえ苗字を偽ってると指摘できるような関係性ではないし、お金を払って貰えるなら偽名を名乗ろうがコチラは構わない。
受領欄に自分の名前を書き入れ、ふと顔を上げた直後丸い目が至近距離に迫っていることに気がつき肩がはねた。まさか初対面の人との距離感が分からない人なの!?
見られていることへの居心地の悪さに頭巾を下げるが、それでも小平太さんは布越しにじーっと視線を向けてくるものだから私は受付台から3歩後退りし眉間に力を入れる。

「じーっ…」
「な、なんですか…!?いくらお客様とはいえ不躾ですよ!」
「こら梅子。お客さんになんてこと言うん「私の許嫁によく似ている」」
「…は?」

耳を疑う一言に背筋が凍りつく。
次に続く言葉は私を生かすのか殺すのか、気唾を飲み全身から血の気が引いていく。

「…店員の方が困っている。離れるんだ…もそ」
「なぁ、長次もよく見てくれ!髪型を揃えれば瓜二つじゃないか?」
「…」

小平太さんに勧められ長次と呼ばれた人もまじまじと私の顔の観察を始め出す。どうやらこの人も凛子の顔が記憶に残る程度には交流があるらしく、ボソボソと『似ている』と言ったことを呟いた。
もうなんでもいいから早く帰ってくれ。書き終えた注文書の引換券を受付台の上で滑らせるように差し出す。あとは彼らが受け取れば終わる話だ。しかし彼らの視線が引換券に向かう前に叔母が彼らの興味に滑り込むので雲行きは怪しい。

「もしかして羽古井さん家の凛子ちゃんの話をしているのかしら?そうなのよォ〜実はうちの子と凛子ちゃん昔から顔がよーく似ていてね。顔だけじゃなくて背の高さも殆ど変わらなかったものだから、お互いの親が取り違えて家に連れ帰ろうとしたこともあっ他のよぉ〜。あわや誘拐事件になるところで」
「ははっ。そういえばそんなこともあったね。じゃあこれが引換券になります」

叔母にしゃべらせるのはマズイ。話を遮り引換券を漸く渡せた。これであとは帰るのみ。だが私の期待を裏切るように『せっかくだしどんなに瓜二つか見せてあげたら?』と叔母が勝手に話を進めだす。それを2人は物珍しいものを見るような目で私を凝視して、せっかく丸く収まりそうだった話をまた棚に上げて検索するものだから、私はもう賢い一手が見つからず、一か八かで叫んだ。

「似てませんから!!!私は私です!」

恥ずかしながらも勢いだけでこの場を押し切った。脱兎のごとく店の奥へと引っ込み部屋の端で丸まり耳を塞ぐ。両手で塞いだ耳越しに微かに聞こえる叔母の謝る声と客人達のカラッとした声。きっと『ごめんなさいね』『いえいえお気になさらず』なんてやり取りをしているのだろう。
品を引取りに来た時どうやって店番を叔母か叔父に代わってもらおうか、そんな事ばかり考えているうちに客人は帰り蹲る私の正面には叔母がいた。

「アンタ、どうしたんかぇ?」
「ごめんなさい」
「アタシらなんか気に触ること言ったかぇ?」
「ちがっ、いや、わかんない。分からないの。なんであんなことしちゃったのか、自分でもわかんないの」

保身を思うと嘘が口からスラスラと出て、自分という人間のずる賢さに吐き気を覚える。引き取った子供がこんなにも嘘が上手だとは知らない叔母は申し訳なさそうな表情で私の両手を握り目を伏せた。

「ごめんねぇ梅子。誰かに似てるって言われるのあんまり嬉しくないねぇ。ごめんねぇ。叔母さん梅子の気持ちなんも考えられてなかったねぇ」
「違うの。私…ちょっと…ごめんなさい」

家のために少しでもお金が稼げたらと思ってバイトを引き受けた。生きるためにはお金が必要だし、両親への親孝行をするにも何かと物入りだ。私一人で完結する仕事だと思ってた。
嗚呼、こんなくだらない嘘をついて叔母に頭を下げさせるなら引き受けなければよかったと今になって後悔してる。

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