文次郎
トン トン カタリ
トン トン カタリ
1、2、3と拍子を取りながら足の裏で踏み板を押して経糸と緯糸を交わすように通す。糸と糸の隙間を詰めて目の大きさを調整しながらまた足の裏で軽く押して同じ動作を反復する。畑と食事、あと義父が「麻ぁー!喉が乾いた。水だ、水。水を持ってこい!」だのと騒ぎ立てる以外の時間は地機の前で過ごす。まるで前の日を繰り返しているかのような1日を365日、16年間積み上げて成長したのがこの【私】である。
義父が病で床に伏し稼ぎ頭が私に成り代わってからというもの食い扶持と義父の看病で気楽に家を空けることが難しく、人里へ降りて遊ぶことは疎か人間関係も徐々に希薄となり、今や私の話し相手は義父と月一ではたを買ってくれるお得意様だけ。それも既婚者。
私は手に職があるから大丈夫!なんてイキがっていたのも数年前で、最近は年々結婚適齢期から遠ざかっていく現実に打ち震え、昔よく遊んでいた女性達が赤ん坊を抱えて歩く姿を見るとえも言えぬ焦燥感に襲われ、織った糸も何処と無く歪んでいるように見える。
心の焦りがダダ漏れのはたを義父は床に叩きつけ、「麻!何だこのはたは!こんなつまらん物を織る暇があるなら、町におりて婿のひとりやふたり引っ掛けてこい!お前は地機と結婚する気か!?」と事ある毎に婿だ、結婚だと煽ってくるが、町に降りたところで婚約者のいない未婚の男性など囲炉裏の灰に落ちた縫い針を探すようなもので、焦る気持ちとは裏腹に現実主義な思考は大量の猫に囲まれはたを織る未来の私を思い描いている。
糸の乱れは心の乱れ。
余計な考えを全て思考の外に掃き出し、ふーっと息を吐いて気持ちを整える。そうしてまっさらになった頭でトントンカタリと糸を紡いでいると「ごめんくださーい。麻殿はご在宅でしょうか」と不意に土間から音が聞こえ、経糸の川を滑るはずだった糸玉が糸の隙間に引っかかった。
土間から聞こえてきた心地の良い低音と暖簾から覗く逞しい立ち姿に慌てて土間へ走り暖簾を捲りあげる。どうしてここに。つい3日前に「ではまたいつか」と義理堅い背を押して真っ当な道へと送り出したはずだが、まさか背負子を担いで戻ってくるなんて思いも見なかった。
「た、タチバナさん…?どうしてウチに??」
また山一つ超えてわざわざここまで来てくれたのだろうか。私の質問にタチバナさんは照れくさそうに頬をかき背負子に視線を寄せた。
「実はたまたま近くを通りがかったものですから麻殿へご挨拶にと。それと筍のお裾分けにと思いまして」
筍狩りのバイトで少し多めにいただいたんです。そう言って背負った竹籠を下ろしたタチバナさんは「ご覧下さい!どれも立派でしょう?」と子供みたいな純真な笑みで竹籠からはみでるほどに詰めた筍を私が見やすいように傾けた。
高価な貰い物をした手前素気無く見送るのも申し訳なくて、どうぞお昼ご飯を食べてくださいと家の中へ招いた。囲炉裏の前で座っておくようにと客人として家に招いたはずが、ちょっと目を離した隙にタチバナさんの姿が忽然と消え、何処に消えたんだとからの湯呑みを持って走り回っていたところ探し人は屋根の上でトンカンと金槌を振り下ろして義父の部屋の雨漏りを修繕していた。どうやら私が目を離した隙にお義父さんへ挨拶を済ませ年寄りのお願い事を叶えようとせっせと働いてくれているらしい。客人としてもてなされて欲しいと伝えてもタチバナさんは頑なに首を縦に振らない。それどころか押し問答の末に折れたのは何故かもてなす側の私だった。
頑固な隈を両目の頭にこさえて、フラッと屋根から落っこちないか心配だ。木槌の音が止むたびに屋根から落ちたんじゃないか気になって、筍の下準備の合間ちょくちょく外の様子を見てしまうのでいっこうに昼食作りが終わらない。
「あの、筍をお裾分けしてもらった上に天井裏の修補もお願いしてしまって本当に申し訳ないです。あの、迷惑なら断っていただいても全然構いませんから!」
「いえこの程度の事迷惑のうちに入りません!むしろ良い鍛錬になるのでドンドン言いつけてください!」
「ええっ…」
他所様の家の雑用を押し付けられてその笑顔はどこから来るのだろう。嫌な顔ひとつせず、むしろもっと仕事が欲しそうなキラキラした目で屋根の上を駆け回るタチバナさんに私は若干引いた。お手伝いしてくれるのはありがたいけどそれに見合う報酬を払う宛がないのだが。
まさかひと月前に既に和解した不法侵入並びに盗み食いを未だ引きずっているのかとも勘ぐったが、だとしたらわざわざ因縁の家に顔を出さないだろうと罪の意識に苛まれての線は否定した。
「1食分だけでよろしいのですか?」
「むしろ1食頂けるだけでありがたい。馳走になります」
「はあ…」
貰った筍を切って炒めて作った物をタチバナさんは十分に冷やしてから美味い美味いと口に運んでいる。筋金入りの猫舌持ちとはいえいくらなんでも冷ましすぎではないだろうか。変わった人。でも誰かと食べるご飯は悪くないかも。
「本当にここで仮眠を取るのですか?機織りの音が煩くて眠れないと思いますが…」
「ギンギンに眠れるのでお気になさらず!私の事は気にせず麻殿はいつも通りはたを織ってください!」
「わ、分かりました…」
頼まれるがまま居間に1人分の布団を敷く。前回うたた寝した場所にもう一度寝させて欲しいとタチバナさんが真面目な顔で頼んでくるので困惑しつつも彼の要望に従った。耳の遠い義父ならともかく、足音1つで振り返る繊細なタチバナさんだ。地機の音が煩くて睡眠どころではないと思うが、地機の前で1刻程過ごして居間を覗くと死んだように眠るタチバナさんが布団の上に転がっていた。起こさないように寝床へ近づき枕元で膝をつく。
世にも奇妙な出会いを経て屋根の修繕を頼み一食を共に囲む仲となったが、タチバナと名乗ったこの男性の素性を私は何も知らない。尋ねれば可能な範囲答えてくれそうな雰囲気ではあるが、名前を尋ねた際に少し間を開けて答えたあたり尋ねたところでいくつ真実を語ってくれるか定かではない。
継ぎ目のない上等な衣に、当たり前のように懐から取り出される筆と紙。そして和尚様のような美しい文字を綴り、誰の助けも借りずスラスラと文字を読む学力の高さは一般的な町人を語るにはあまりにも不釣り合いだ。きっと本名を名乗ることを憚るほどに高貴な身分の御方に違いない。
「貴方は一体誰なんですか」
どうして何度も山を登り我が家を訪ねてくるのですか。
引く手数多な顔立ちの割に女性の影を感じさせず、未婚の娘が暮らす家を大した用事もなく訪れる彼にひょっとしたら私のことが?と自惚れそうになる。同年代の中で引き取り手もなく取り残されているから見境なく勘ぐってしまうのは自覚している。けれどいくらお人好しな人でも村はずれの山奥まで尋ねてくるのは何かしらの動機がないとできない気とだと思う。私のこと少なからず思ってくれていると思う。そうだったらいいなぁ、なんて両想いを願っていたが、淡い想いはすぐに泡となって消えた。
「あ」
はたを売りに町へ降りてきた帰り道のこと。いつも気になっていた団子屋の前をたなびく旗だけ眺めて今日も帰路に着くところ、たなびた旗から覗く輪郭の浮いた横顔を見かけ、私は堪らず駆け寄り、
「タチバナさん!…あ」
「ん?」
後先考えずに声をかけたことを後悔した。彼の隣に並ぶ凛とした百合のような女性。同じ長椅子を共有しているだけと思いたい自分勝手な頭を平手打ちするように、タチバナさんの腕を掴む白く細い指に目が留まった。
タチバナさん、お嫁さんいたんだ。数秒前まで考えていた『もしかしたら私の事好きなのかもしれない』なんて自惚れが穴があれば入りたくなるほどに恥ずかしくて、走ってこの場から去ってしまいたい。不思議そうな顔をして奥様が私を見つめている。その隣に座るタチバナさんがどんな顔をしているのか、見る勇気が出なかった。
高く上げた腕を背に隠す。見れば見るほどにタチバナさんの奥様はとても美しく、私のような田舎者では足元に及ばない。
「…あの、えっと。お、お久しぶりです。先日は筍をお裾分けしていただきありがとうございました。義父からもお礼を伝えて欲しいと言われまして…つい声をかけてしまいました」
タチバナさん困っているだろうなぁ。たった数回優しくした女が夫婦水入らずの時間を邪魔した挙句、良からぬ心配をかけさせてしまう瀬戸際なのだからきっと心中は奥様の機嫌が気になって仕方がないに違いない。
見知らぬ芋臭い女の登場に奥様は分かりやすく眉間に皺を寄せタチバナさんの袖を引いた。
「ちょっと文次郎様。この方とは一体どういう関係なのかしら?私という妻がいながら目移りなんていけずなお方」
「あ、いや。待て、仙子。これには深い事情が…!いだだだだっ…!!!」
「深い事情ってどういう事なのかしら?説明していただける?」
思った通りに事が進んでる。奥様の機嫌は急降下し慌てふためくタチバナさんの腕をつねって真実を求めて問い詰める。こんなはずじゃなかったのに。顔を見て少しお話して家に帰るつもりが、意図せずして他所様の夫婦関係に亀裂を入れてしまった。直さなくては。額に浮かんだ筋は美人な奥様には似合わない。
「奥様、大変失礼いたしました。先日私の家の前をたまたま通りがかった貴方の旦那様のご好意に甘え家の修補を手伝っていただいたのです。義父も大変喜んでおりまして、再度お礼をと思い声をかけてしまったのです。お二人の時間を邪魔してしまい大変申し訳ございません」
頭を下げ自分なりの誠意を見せる。私が敵じゃないと認識したのか、棘のある声が次第に落ち着き「あら、やだ。顔をお上げになって」と声に従うまま顔をあげると袖で口元を隠した奥様が人の良さそうな顔でにっこりと笑っていた。
「早とちりしてごめんなさいね。それと、ウチの人がお役に立てたようで何よりだわ。見た目通り力仕事が得意な方で。ねぇ?」
「あ、ああ」
腕を組んで体を寄せる奥様とそれを当然のように受け入れるタチバナさん。本当にお似合いのふたり。固結びした糸のようにちょっとやそっとじゃ解けない関係性を目の当たりにして、胸の奥で燻っていた重い何かがパンッと体の内側で弾け飛んだ。
「その説は大変お世話になりました。奥様、決して貴方が思うような関係ではございません。それに旦那様は奥様のことを素敵なお嫁様と仰っておりました。それでは私はこれで失礼いたします。本当にお世話になりました」
最後までタチバナさんの顔を見る勇気が出ず、逃げるように私はその場から去った。
惨めだった。お嫁へ行き遅れてる癖に無意識のうちに選ぶ側の目線で淡い期待をしている自分の汚さが浮き立つほどにタチバナさんの奥様はとても真っ白なお方だった。何を馬鹿なことを考えて舞い上がっていたのだろうと頭を叩く。タチバナさんが私の家を訪れていたのは善意100パーセントの恩返しで私のことが気になっている訳じゃなかった。むしろそういう優しさに惹かれて期待していたのは他でもない私だった。
「馬鹿だなぁ」
変に期待しちゃった分の感情が溢れてツーっと頬を伝う。これじゃあまた義父に糸が乱れていると怒られてしまうかもしれない。
誰か来るかもしれないと思ってわざと開け放った玄関口をこれまで通り施錠しフーッと息を吐く。
大丈夫、寝て起きてご飯を食べたらいつもの私に元通りになれる。ちゃんと気持ちの整理をつけないとまた義父にどやされる。
***
実習を取るべきか、彼女を引き留め誤解を解くべきか、ギンギンに忍者している俺なら迷うこと無く決断できる選択肢も、立花仙蔵が隣にいる事で大いに迷い、結果走り去る彼女に縁を切らせるような別れを告げさせてしまった。
彼女のお陰で実習課題の『夫婦として町の人に話しかけられること』は無事達成したが、それを引き換えに重い何かを失った気がする。いや、間違いなく失った。もうあの家に戻れないという現実に目眩がする。
「なんだったんだあの娘は。文次郎お前の知り合いか?そもそもなぜあの娘はお前を見て『タチバナ』と呼んでいた?…どうした文次郎。顔色が悪いぞ」
タチバナ…立花仙蔵もとい仙子は意味がわからないとばかりに眉間に皺を寄せ俺に説明を求める。それもそうか、面識のない娘にタチバナさん!と話しかけられたら仙蔵じゃなくとも戸惑うだろう。何から説明するべきか。団子を一口で平らげ、荷物を背負う。忍術学園の帰り道に歩きがてら名を拝借したと打ち開け、予想以上に機嫌が崩れないので彼女との出会いを打ち明けた。
先月の実習演習で1日行方不明扱いとなっていたが、あの時潜入した城で深手を負い、逃げ延びた先で見つけた一軒家に侵入した。空腹で耐えきれず生米を食べていたところに家主と鉢合わせ。銭を撒いて逃げようとしたところ見返りもなしに1食分の御恩を受け、そこから家の近くを通る際は何か困り事はないかと気にかけている、それだけの関係で何もやましい事はない。忍者の3禁は破ってないときっぱり言い切りあらぬ誤解はないよう上手くフォローしたはずが、仙蔵は「こんのバカ文次!!!!何を呑気に鍛錬しているのだ!!今すぐ誤解を解きに行かんかっ!!」と怒鳴りつけた。
「どうした仙蔵!?」
「どうした?それは私の台詞だ。どうしたらこれ程までに人の好意を雑に扱えるのか筋金入りの鈍感ぶりを是非とも教えてもらいたいところだ!」
「なんだと!?」
俺を鈍感呼ばわりとは聞き捨てならない。それに彼女を雑に扱った事などさっきの一件を除けば1度だってない。だが仙蔵は俺の反論を叩き落とし「バカかっ!」と一括した。
「そもそもいくら恩をかけて貰ったとはいえ未婚の娘の家へ足繁く通っている時点で忍者の3禁も何も無いだろ!」
「いや、それは…借りを返すためで」
「それはお前がお前自身の罪悪感を消したい為の行動だろう!?こんな所で無駄に時間を使ってる暇があるならさっきのは誤解だと謝罪してこい!!」
簡単に言ってくれるが、謝罪も何もなんと理由をつけて釈明しろと言うんだ。実は忍者のたまごで変装術の実習中でしたとでも言えっていうのか?素性を知った彼女の身に危険が降り注いだらどうするというのだ。それに謝罪するにしても持ち合わせがない。
「謝罪するにも手土産がない。謝るにしても日を改めてから「言うとるバヤイか!!!お前の謝罪が手土産だ。さっさと行くぞ!!」
「あ、おい!!」
女装していることも忘れて仙蔵は豪快に胸ぐらを掴み、さぁ行くぞと俺を引きずり歩く。そして俺の案内のもと彼女の住む家へ辿り着き、何と説明しようか考えている隙に仙蔵は「ごめんください!」と暖簾をくぐった。
「初めまして。私が正真正銘の立花仙蔵と申します。そしてこちらの老け顔が潮江文次郎です。先程はあらぬ誤解を生んでしまい申し訳ない。全てこの意気地無しの老け顔潮江文次郎が説明しますが、もし気が収まらないのであれば煮るなり焼くなり好きにしてください」
「は、はぁ…えーっと」
潮江文次郎さん?
咄嗟に名乗った偽名から真名を呼ばれ背筋が伸びる。困惑した彼女の黒い瞳にまた自分が映っている。仙蔵に引っ張られて幸運だった。何から話すべきか、まごつく俺を仙蔵が見えない角度から蹴りを入れる。分かってるって。
急かされ、言葉を選びながら説明し、忍者であることを明かしかけた時に彼女は待ってと手をかざして言葉を遮った。
「貴方が悪い人じゃないって分かっていますから。潮江さん」
穏やかな顔がどうぞ立ち話もなんですからと家の中へ招く。どうして彼女はこうも自分を語らない相手へ優しさを振り撒けるのだろう。どうかこのまま彼女が彼女のままでありますように。そして願わくば彼女の幸せを支える存在が他でもない俺でありますように。
文次郎と麻の間に恋の進展なし。3禁の上に結婚は家同士の合意で決まるものと正論宣う文次郎に仙蔵が、あの娘を貰う気がないなら金輪際会いに行ってやるな。期待させて裏切られるのが1番タチが悪い。と一喝。
そして麻から受け取った手紙を仙蔵が引ったくり、返事は私が変わりに書いておくと伝えるが、凄まじく字が汚い(崩れた)手紙に仙蔵が眉間に皺を寄せ、留三郎を連れて行くと一言。文次郎何故留三郎なんだ!と吠えるも留三郎の方がお前よりずっと誠実だからだと返され何も言えなくなる。
留三郎のことは一瞬好きになる。でももう嫁ぎ先は決まったからと伝え文次郎ショック。
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