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※人間くさい汚い人の愚痴
※アッシュ夢?
※嫉妬心増し増し殺意増し増しの内容なので、何が来ても大丈夫な人だけお読みください。

助けるんじゃなかった。幸福に浸るその緩んだ顔を泥で塗りつぶしてやりたいと今日ほどに強く願ったことは無かっただろう。

「君には誰よりも先に伝えておきたくって」

誰よりも先にとどめを刺しにきた。悪い方向にしか解釈できないのは私という人間が僻みと嫉妬で発狂寸前だからなのかもしれない。綺麗な二枚折の白い紙に並ぶ名前は私の名前よりも音も響きも美しい名前で、直接会って話したことは無いが私には足りない内面の美しさが滲んでいた。誠実で真っ直ぐな性格のアッシュにはお似合いの相手だと思う。おめでとう。たった五文字の一言がこうも喉につっかえたことは人生で1度もない。私はちゃんと言葉に音を乗せアッシュに伝えることは出来ただろうか。無意識のうちに背中に隠した結婚式の招待状は並んだ2つの名を裂くように怒りと悲しみの稲妻が深い皺を刻んだ。

5年にも渡る長い戦争も漸く終わりを迎え、武器を下ろした兵士たちの中で浮ついた空気が流れている事は何となく感じていた。緊張から解放された反動か、それとも大司教が代替わりして信仰の在り方が変わったからか。花冠の節も過ぎたというにも関わらず、蜂蜜のような甘い香りが汗臭い訓練場まで充満しているものだから胸焼けの毎日である。数ヶ月前は皆生きるか死ぬかの緊張感気が立っていたとは、呆れ返るほどに温い有様からは想像もつかないだろう。
彼氏が欲しい、結婚したいと騒いでいた友人達も今は円満な家庭を築きたまに大修道院に足を運んでは我が子の自慢大会を行っている。旦那が構ってくれない、子供の世話が大変、仕事量の割に給料が低いなど、自慢大会と並行して開催される井戸端会議は幸せが故の悩みというものか。独り身の私には共感性の薄い話題だが、では何故主婦の井戸端会議に毎度参戦させられているかと言うと『独り身のナマエは羨ましいわぁ』と所為剣を諌める鞘役というわけだ。あまりいい気分はしない。
彼女たちは少し誤解しているのかもしれないが私は好きで独り身を貫いている訳では無い。結婚する機会があるなら1度は主婦になってみたいし、子供だって欲しい。けれど貴族の生まれでもなければ生まれた村も家族も失って、腕を買われ大司教の右腕として働きつつ毎日欠かさず剣を振るう身体中傷だらけの女、誰が好きになるだろうか。オマケに5年前からずっと片思いを引き摺っている。恋に落ちたきっかけはもう昔のことだから覚えてないけれど、花とか料理とか、ありきたりな理由だった気がする。学級も違ったし、容姿も性格も自信がなかったものだから、舞踏会もちょっと顔を出して友達に手を振り、見覚えのある鼠色の髪が知らない女の子と一生に視界に入り込んだ途端直ぐに自室に戻り布団を被った。戦争が始まってからは村や家族を守る為に忙しく級友でさえ1度も顔を会わせることは無かったが、それでも戦争の渦中に放り投げられたアッシュの事は気がかりで、何度も手を合わせ膝をついては天上に終わします女神様に無事再会できるますようにと祈った。
私の祈りが女神様に届いたからなのかは分からない。けれど煉獄の谷アリルにて久方ぶりの再会を果たしたアッシュは酷く窶れ、覚悟を決めた殺気立つ視線は見ているこっちが辛くなるほど弱り切った様子だった。元教え子、元友人であれ、敵として現れたなら切り伏せろと出陣前に皆で誓った言葉が大きく揺らいだ。助けてあげないと。でもここは戦場で彼は敵だ。
心臓目掛けて放たれる矢に甘い考えを投げ捨て、飛んでくる矢全てを弾き返し、軽い体に飛び掛りその生白い首に剣先を突き立てる。ここに来るまで何人ものいのちをこの手で奪ってきた。今更友人を手にかけることに躊躇いも戸惑いも無い。剣を握り直し狙いを定める。苦しまないように、一発でしとめてあげるのが優しさだと首を絞めながら青く浮き出た血管に勢いをつけ振り下ろそうと手に力を込めた。力を込めたが...どうしても、私の手で奪える命ではなかった。握ったままの弓を取り上げてすぐ後ろでやり取りを見ていた先生にごめんなさいと頭を下げ全ての責任は私が取りますと伝えると先生は少し安心した顔で分かったと毒気の抜けたアッシュを拘束し大修道院へと輸送した。
恋とは厄介な病だ。どんな魔法でも治すことは不可能で、想いを寄せる相手に気持ちを伝えない限り悶々と燻った気持ちを抱えて生きていかなければならない。自然と病が治っていることもあれば硝子のように突然亀裂が入り誰かを傷つけることさえある。だからどれも傷つけないように破片を握り潰して隠しおかなければならない。誰も傷つけないように。誰にも勘づかれないように。

否が応でもなく敵陣から引き抜かれる形で仲間になったアッシュを周りはあまりよく思わなかった。あいつはいつか裏切る。帝国の狗だ諜報員だと陰口を叩く兵士はそこら中で顔を寄せ合っていた。連れてこられたアッシュはというと自分の行動を恥じ決意を一新に仲間として戦いたいと意気込んでいたが、彼を取り巻く黒い噂が邪魔をしていたものだから学友の誼として何かと手を焼いてあげた。心無い人達に虐められないよう火種は先に潰して、時間がある時は声を掛け相談にものった。善意の中にちょっぴり混ざった下心と情は自分でも何をやってるんだと緩んだ頬を叩いたが、それでも彼が笑顔ならば私のやっていることは間違いないと優しい自分がほんの少しだけ誇らしかった。

5年経った今も私の気持ちは変わらず彼が好きだった。けれど私がアッシュに施した優しさは全て猫に餌をやる感情と同じで、当然見返りなんて求めていなかった。ただ少しは気にとめてほしいなんて期待は抱いたが私という人間は単純な生き物で、彼が私を頼りにしてくれるだけで心は十分に満たされていた。もしも運命で繋がっているならいつか女神様が惹きあわせてくれるだろうし、戦争の最中周りからの信頼を得ようと真剣な眼差しで矢を削るアッシュの邪魔はしたくなかった。

何も伝えずに淡々と過ぎていく日々がどれほど勿体ないことをしていたのか、悔やんでも嘆いても過去には戻れない。
女神は人間が作り出した偶像だ...なんて。口にした日には女神信者に打首にされるに違いない。けれどこんなに祈っても、願っても何一つ叶わない世界に女神様がいるとは思えないのだ。
自領に帰ると聞いて一節。大修道院を立つ時よりも随分表情の緩んだ甘い香りを匂わせるアッシュに私は初めて女神の存在を否定した。あんまりだ、こんな結末。情と善意から取った行為だったとはいえ貴方の命を助けたのも、辛い時に肩を貸したのも全部私だったというのに。この先の人生は私以外の肩を抱いて生きていくと貴方はいうのね。

「今の僕があるのは君のおかげだよ。あの時、ナマエが先生に駆け寄ってくれなかったら僕は今ごろ炎の中だった。改めてお礼が言いたくて。ありがとうナマエ」
「私は大したことはしてないよ。感謝するなら先生...いえ、大司教猊下に」

お礼なんて欲しくない。ただ私の手を取ってくれたら全てが丸く収まるのに。命の重みも知らない白魚のか細い手を握り幸せな家庭をこれから築くと思うと悔しさのあまり汚い言葉が喉元まで這い上がる。どうしたら貴方に選んでもらえたのか。考えても分からない。剣を捨てれば良かったのか、無知な少女を演じればよかったのか、手袋に隠した無数の傷がジクジクと爛れたように痛む。

元教え子の結婚に自分の事のように浮かれている大司教は丁度修復を終えた礼拝堂で婚儀を執り行おうと計画しているらしい。余計な事をするものだ。これじゃあ嫌でも参加せざるを得ない。顔の内側を這う醜い感情に爪を立て、気が済むまで掻きむしりたい衝動に駆られるが自分を律することだけは上手にならざるを得なかった私は不自然な程に綺麗な笑顔を顔面に貼り付けるだけで精一杯だった。

「アッシュ」

近い婚儀に忙しいのだろう。用事があるからと背を向けたアッシュを引き止める声は不安定に揺れている。
人の気も知らずに、幸せな顔で振り返る憎ったらしい顔にナマエはさようならの意味を込めてニッコリと歪な笑顔を浮かべそっと腰に下げた剣の柄に指先をあてた。

「幸せになってね」
「君もね」

...どこまでも酷い人だ。貴方なしで私はどうやって幸せになれというのか。一日も欠かすことなく丹念に磨かれた刃。道徳心を捨て感情のままに抜いてしまえば胸に穴が空いたような虚しさは霧のように晴れていくかもしれない。けれど、私は去っていく背中を立ち尽くしたまま気持ちを押し殺して見送ってしまった。大切だった人が掴んだ心からの幸せを仮にも女神に仕える身でありながら壊すなんて非道、私には出来なかった。

荘厳なステンドグラスの光に祝福され大司教の御前で愛を誓う男女は天から舞い降りる羽のように純白で、穏やかで、飾り気のない白装束は薄化粧のあの子によく似合っていた。
薄い面紗を風に揺らしてお淑やかに赤い絨毯の上を歩いていく花嫁の横でこの日のために生まれてきたと旧友に揉みくちゃにされるアッシュに隣でおめでとうと叫ぶ友人の横で悔しげに手を叩く私のことなど誰も目に留めはしないだろう。思った通り、薄い手袋から透ける手は白魚のような細い手をしていた。
婚儀も一段落つき、皆が食事を楽しむ中遠くから黄色い悲鳴にも似た声が聞こえ職業柄思わず祝福の場に必要のない懐刀を抜きかけた。しかし中央に集まった不自然な人の群れとぴょんぴょんと花束を手に跳ねる小さな女の子に気がつくと誰の目にもつかないうちに刀を鞘に戻した。もう戦争は終わったというのに、いつまで武器を握っているつもりなのか。大皿に載せた豪華な馳走を一人部屋の端で頬張っている私へ寄ってくるほろ酔い気味の友人は自分の時はもっと質素だっただの大司教は来てくれなかっただのいつもの鬱陶しい愚痴絡みである。めでたい席くらいはいつもは口にしない明るい話で盛り上がればいいと言うのに。このまま絡まれるのも面倒臭いと料理だけ頂いで自室に帰ろうかと肩に回った手を振りほどくと酒がまわり態度の大きくなった友人は素っ気ない態度に口をとがらせ「そんなんだからナマエは結婚できないのよ!!」と罵った。独り身は楽でいいねと羨んでいた癖に、急に手の平返しとは恐れ入る。ただでさえ幸せな顔に気がたっているのだ。これ以上面倒に巻き込まないでくれ。

「あんたもいい歳なんだから、早く結婚しないと、一生独身のままだよ!?私でよければいい人紹介してあげるから、いつでも相談しなよね!!」

鬱陶しく絡みつく友人を残し皿を手に閑散とした寮へと足先を向ける。一人静かに自室へと帰る小さな背に掛かるお節介な言葉はどれほど深くナマエの心に刺さっただろうか。振り返ることなく歩き去っていくナマエを引き留める声はない。連絡橋の前に聳える開かれた門の横、背の後ろで手を組み厳格な顔つきで門を守る門番はゆったりとした足取りで通り過ぎていくナマエの頬が濡れていることに気づきハッと口を抑えた。大司教補佐はなんて友人思いな感受性豊かな人なのだろうと陰った表情も都合よく解釈されてしまうのは日頃からナマエという人物が人徳ある清廉な人間としか見られていないからなのだろう。恨みや嫉妬とは無縁な方とは...笑える話だ。
剣帯締め直す指は激しい感情に震え、ボソリと呟いた嘆きも誰一人として耳に届くことはない。
あの日、身も心も溶けるような炎の大地で何もかも捨てていればこんな惨めに泣くこともなかっただろうに。傷を負った時よりも、村を焼かれた時よりも、家族を失った時よりも深く途方もない悲しみは先に待つ幸せも喜びも抉るように感情ごと心臓を締め付け、手の付けようのない割れた心の破片を私は裸足で踏みつけた。

嗚呼...

「あの時殺しておけばよかった」

だからと言って私が幸せになれる訳では無いけれど。
短編には載せにくかった病み期の頃に書いた恨み話
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