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ベレスさんが私に言った。自分はナマエの笑った顔が好きだ、と。それを聞いて私は嬉しいと思うと同時に指に縫い針を刺してしまうほど狼狽し困ってしまった。有象無象、何に対しても興味が薄く決まってなんでもいいが口癖のベレスさんが私の笑顔を好きだと言ってくれた。純粋に心の底から飛び跳ねてしまいたくなるほどに嬉しかった。けれど…まいったなぁ。どうしよう。また笑って欲しいなとベレスさんに言われ水面に映る顔を見ながら頑張って口角を上げてみるのに、子供も泣き出すような見るに堪えない笑顔に腹を立て逆だった感情のまま水面を拳で殴り付けた。

「ナマエ出れるか?」
「はい。いつでも」

ジェラルトさんが帝国側で働くと言い出した時、口には出さなかったものの嫌悪を抱かずにはいられなかった。何故戦争の首謀者に頭を下げ命を張って守らなければならないのだろう。困っている人を助けることが傭兵の仕事じゃなかったのか。さほど困ってなさそうな人を背中に隠し国のために命を捧げる勇敢な騎士を何人もこの手で討った。白銀に身を包んだ兵士達が泥にまみれ恨み言を垂れる光景は当たり前ではあるがあまり気分のいいものじゃない。彼らはいつだって正論と信念を叫びながら向かってきた。王の為に命を張る。図太く生き延びることを信念とする傭兵には騎士道精神というやつが兵を洗脳する王の軍略としか思えなかったが、莫大な報酬を提示され特に強い信念もなく花を手折るように命を摘む行為が、国のため大切な人の為に命を張って向かってくる騎士の姿を見ていると悔しいほどに眩しくて。生きていくためには金が必要だからと正当な理由を盾にして人殺しを正当化する自分が、他人を蹴落としてまで生きていたいと醜悪に命へしがみつく自分が、適当な理由でさっさと死んでくれないものかと他でもない私自身が願っていた。

「た、助けてくれ!!頼む!見逃してくれ!!!妻と生まれた子供が俺の帰りを待っていっ…」
「ま、魔女だ…『沈黙の魔女』が現れたぞ!!皆構えろ!!この砦はなんとしてでも守りっ…」

私よりも13上の先輩がお前も箔をつけろと言われ遊び半分でつけてくれた異名。魔法攻撃が得意で沈黙の魔法をよく使ってた。だから「お前の異名は今日から『沈黙の魔女』だ!それがいい、ナマエには少々荷が重いか?」と度々茶化してきたあの人は1週間前の戦場で土に還った。壊刃、灰色の悪魔と並ぶには小物臭がする異名。しかし戦功をあげるにつれ先輩が言ってた通り箔がついてきたようで『詠唱を省いた凄まじい魔法攻撃で砦を次々と落としていく女』 『魔女が通った後は誰一人として生きて帰ることはできない』など根も葉もない仰々しい噂話が独り歩きした結果『沈黙の魔女』が戦場に誕生した。
…くだらない。ちっとも嬉しくない。何が魔女だ。殺戮者の間違いだろ。何が帝国に勝利あれ!だ。帝国も王国も同盟も教会も全部吹き飛んでしまえ。

「ナマエ。ジェラルトが引き上げるって」
「はい、分かりました」

家に帰りたい。こんな世界一刻も早く逃げ去ってしまいたい。けれど帰り道が分からない私は今日も気だるい体を引き摺って前を歩くしか道がない。

「ナマエ疲れたの?野営地まで運ぼうか?」
「いえ、大丈夫です。それにベレスさんも疲れているでしょう?私は後方でゆっくり帰るので先に行ってください」

戦争は何もかもを奪っていく。命も心も感情も正義も笑顔までも奪っていく。2年前まではベレスさんの表情が少し柔らかくなったと私がはしゃぎ、ジェラルトさんがどの辺が柔らかくなったんだ?と首を傾げていたのに。灰色の悪魔の名が売れるにつれ、出会った頃のようにまた表情が読めなくなった。
一日が終わるにつれて皆一日分知らない人になっていく。
たぶん私にも言えることなんだろうけど。
風花雪月無双A
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