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傭兵に降りてくる仕事の大半は政治や今後の作戦に関する一切の詳細を省かれた簡素なもの。誰を殺せ誰を守れといった端的な指示を受け適当に戦場へと駆り出される。敵国の悲しい事情も自身の正義も介入しない、ただ報酬のためだけに命を刈り取る行為は心を捨てさえすれば流れ作業とほぼ同じだった。どんな蛮行も人の心を捨てさえすれば痛みも申し訳なさも感じない。全ては今日を生き残るために。たとえ石を投げられ罵倒されようとも私はこの道を歩いていくしかない。
砦を落としてこいとジェラルトさんに言われ南方から北に向かって砦を落として回っていると一癖ありそうな重装兵が私の道を塞いだ。額には肉を抉ったような大きな傷跡。野良犬のような赤髪頭に獲物は剣殺しの槍か。面倒くさそうな相手だ。

「退いて。大人しく従えば腕の1本で許してあげる」
「はっ、舐めやがってこの糞餓鬼が」

ジェラルトさんは砦を落としてこいと言った。砦兵長さえ仕留めれば砦は落とせる。これに時間を割くだけ無駄だろうしここは素通りして先に進んだ方が良さそうだけど…見るからに好戦的な戦士を今雑に放置していたら遅かれ早かれ仲間に被害が及ぶかもしれない。防御は鉄壁、だが魔法防御はどうだろう。確かめさせてもらおうか。
ナマエは宙に魔法陣を描き炎魔法を放った。無論手加減はしていない。初級魔法と呼ぶには威力も規模も規格外の魔法にマイクランは慌てて盾を構えた。魔導書も持たず無言で放たれた魔法に不意を突かれ反応に遅れたのだろう。あれでは魔法の威力に盾ごと吹き飛ばされるに違いない。ナマエは悠々と剣を肩に背負い、未だ周囲に立ちこめる濃霧に今度は西の砦を落としに行くかと爆炎に背を向けて歩き出そうとした直後。上空から聞こえてきた天馬の嘶きにナマエは首が取れる勢いで振り返り頬を掠めた手槍に瞬きひとつせず煙幕に隠れる2人分の影を睨みつけた。

「…」
「逃がさないわよ!」
「さぁ、あんたらの指揮官の居場所。吐いてもらおうか」

どこから湧いて出てきた。主要な将兵はベレスさんと帝国の将兵が足止めしているはずだが…そうか、1部の帝国兵が王国軍に寝返ったということか。私の仕事が増えた。面倒臭いことこの上ない。頬をかすった手槍の一撃を手の甲で拭いながら連れていた兵を霧の中へと下げる。天馬騎士に騎馬兵が1人ずつ。顔に傷がある男は爆炎に焼かれたかと思ったがどうやら運良く生き残ったらしい。火傷のあともなし、将兵2人の介入により被弾直前で魔法を弾かれたようだ。手を抜いたつもりはないが炎魔法をこうと易々と弾かれたのは僅かながら私の矜持に傷がついた。剣はともかく魔法には自信があったのだが…まぁいい。ここで3人仕留めてしまえばこのやり取りは無かったことになる。霧が晴れる前に余分な仕事を片付けてしまおう。

「…仕留める」
「あの傭兵、詠唱もなしに魔法を撃って来たわ。もしかしてシェズが言ってた沈黙の魔女ってあの子じゃ」
「ふんっ、誰だろうが俺の敵じゃねぇ。その首俺が貰った!!」
「兄上待て!ったく…世話が焼ける!!」

相手の出方も伺わず威勢の良さだけで突っ込んでくる死にたがりはお望み通り直ぐに殺してもいいが、相手は即席の部隊らしい。足並みも揃うどころか率先して重装兵が乱している。いいね、僥倖。この重装兵を使って戦況を上手く運ぼう。騎馬兵は魔法でどうとでもなる。ならばまず先に狙う敵は剣の間合いに入らない天馬騎士だ。昔は天馬騎士を相手に戦うのが苦手だった。剣の間合いには入らないし、魔法耐性は強いし。でもベレスさんが戦い方を教えてくれたから天馬騎士など私の敵じゃない。ナマエは風魔法で突風を起こすと重装兵の援護を兼ね上空で隙を狙う天馬の羽根を毟り強制的に操縦不能に追い込んだ。そして

「きゃあっ!!」
「イングリット!!」

重歩兵の盾を踏み台にナマエは大きく跳躍すると風魔法を斬るように暴れる天馬の足を切り落とし、身軽に地面へと着地した。あの高さだ。助かりはしないだろう。制御不能となった天馬から落馬した天馬騎士にナマエは次はお前だと重装兵へと斬りかかっていた時、焦る男の声に首を捻り舌を打った。詰めが甘かったか。放置していても片付くと思っていたはずが、騎馬兵との見事な連携で天馬騎士は気絶したものの一命を取り留めていた。どうも今日は仕事が上手く進まないな。厄日だ。霧も徐々に晴れ足元が見え始めている。時間が無い、はやくしないと。

「死ねぇ!」
「待てっ!勝手な事をするな兄上!!」

この部隊の指揮官はあの騎馬兵で間違いないな。ならば今後の仕事を邪魔されないためにも彼奴だけは討っておいた方がいいか。
ちょっと場外へはけてくれ。ナマエは力強く重歩兵を蹴り飛ばし剣を構え直すと人一人抱えたまま槍を構え突進してくる騎馬兵へ闇魔法を放ち馬を横転させた。歩兵が騎馬に正面勝負を挑んで勝てるはずがない。だからこそ勝てるための力をつける必要がある。ジェラルトさんにきつく絞られ、戦場で見様見真似で覚えた騎馬特攻の闇魔法が役に立って良かった。

「ははっ、怖ぇ顔。せっかくの美人が台無しだぜ?」

落馬した騎馬兵は天馬騎士を抱き抱え地面に座り込んだ。軽口を叩く気力があるなら槍でも握って抵抗すればいいものを。ナマエは口を閉ざしたまま騎馬兵の喉元へと剣を突きつける。これも騎士道と言うやつか。頼むからイングリットだけは見逃してくれと頭を下げ命乞いをする赤橙の青年にナマエは眉一つ動かず、

「知るか」

冷淡な一言で青年の世迷言を切り捨て首をはねようとしたその時だ。森に響き渡った聞き覚えのある呼び笛にナマエは反射的に剣を振る手をピタリと止め大きく目を見開いた。
ジェラルトさんの命令だ。2回の息継ぎ。まずいな、直ぐに撤退しなければ。撤退前に殺してくか?いや、ジェラルトさんの命令は絶対だ。

「次はないから」

剣を鞘に納め来た道を駆け足で戻っていく。仕留め損なった。あと数秒行動が速ければ。
果たし損ねた仕事に目を瞑り、指示通りベレスさんと合流してからジェラルトさんの元へと走る。今日はあまり返り血がないですねと比較的綺麗な外套を指摘するとベレスさんは仕事を邪魔されたと淡々と答えた。やはり今日は誰にとっても厄日だったのか。ナマエは溜息をつきながら腹を摩った。
仕事は失敗、手柄も戦果も上げられなかった。破格の報酬を貰っているとはいえ、武具の手入れ費用や移動費、宿泊費などの出費を考慮すると傭兵団皆の食い扶持を確保するには到底足りない。そこから大きく減らされた追加報酬に私達は舌を打ち、ああ今日も具のない汁で腹を膨らませるのかと配給を啜った。たまには腹いっぱいに美味しいものを食べたい。噂では王国軍の前哨基地では肉やら魚やらが傭兵にも振る舞われているらしい。羨ましい。戦功を上げた時はともかく、なんの結果も残さないと具の無い汁とは天と地の差に風邪をひきそうだ。
今日も私はベレスさんの隣で白湯同然の雑草汁を啜る。そして血に染まった外套を洗いながら今日も何とか生き延びたとほっとしたような残念のようなため息をついた。
風花雪月無双B
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