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私の母方の祖母【法輪のりわ尚子たかこ】はとある業界においてそれはもう名前を知らない人はいないレベルの有名人だった。そしてその娘、つまり私の母親も周囲から一目置かれる才女で、母が積上げた功績でジェンガができるほどそれはもう素晴らしい審神者だったとか。我が家は何故か代々一人っ子の家系。でも姉妹に憧れがあった母は周りの仕来り厨の反対を押し切り子供を二人産んだ。そしてその片方に跡を継がせた。そう、その跡を継がせた子供というのが私…の妹である。
いや、お前じゃないんかーい!と突っ込みたい気持ちは重々承知している。いや、私も思ったよ?ランドセル背負う前から祈祷とか呪術とかオカルトチックな事ばかりして流行りのゲーム機とは無縁の生活を強いられたり、なんか立派な御屋敷で喋る靄とご飯食べて畑耕したり、家庭内での教育体制がクラスの子とかなり違うなぁと毎日疑問まみれで過ごしてきた。まぁでも両親の価値観で善悪を判断していた時期というのもあって、疑問には思いつつ特殊な習い事程度で自己完結していた為教育方針に異を唱えたことは無かった。所謂小さい頃からのすり込み的なやつだろう。私にとって8歳までの生活は“普通”だったのだ。
けれど優秀な妹が生まれてから私の生活は一転した。妹が二足歩行を始めた頃、私には靄にしか見えない何かに向かって『じーじ』と発したことで私への英才教育は終わりを告げた。
欲しい欲しいと駄々を捏ねても買ってくれなかったゲーム機を母の代わりに祖母が買ってくれた日の事は今も覚えてる。ナマエちゃんはこれで暇でも潰してなさい。その日は誰かの誕生日でもないし、テストで100点とった訳でもないただの水曜日。算数の宿題で9の段に翻弄される私へ与えられたダブル画面式のゲーム機は友達が持っていたものと同じモデルで、添えられたゲームカセットは友達が落書き帳でよく描いていたピンク色のボールが主人公のカセットだった。

「ミョウジさんさぁ、何回同じこと説明すればいいの?本当に理解力ないなぁ」
「す、すみません...」
「ちゃんとメモとりなよ。メモ。いつまでも学生気分じゃ困るんだよ?」
「...すみません」
「すみません、すみませんって。謝るぐらいならちゃんとしようよ。ねぇ?周りに迷惑かけてるってこと自覚しようよ。はぁ、もうこれはいいからさ昨日頼んだ資料作成しといて。今日中だよ。頼んだからね」
「...はい」

死にたい。消えたい。胎児の頃からやり直したい。目の奥からじんわりと込み上げてくる熱い感情を押し殺し、たった今ゴミに変わった資料を抱いて女子トイレへと駆け込む。もう駄目だ。私には何も出来ない。何をやっても上手くいく気がしない。存在する価値もない。下ろしたままの便座の端に座った途端自分でもびっくりする程唐突に水道管が破裂したような涙が両目からボロボロと溢れ出し、上着のポケットに入れたハンカチで拭けばいいのに浅い考えしかできない私はまたスーツの上着の袖を涙と化粧で汚してしまった。クリーニング代も馬鹿にならないのに何やってるんだろ。本当に私は駄目な人間だ。

「頑張ったのになぁ」

ネットの掲示板サイトで誰かが書いていた。無能なサボり屋と無能な頑張り屋、社会不適合者を理由に殺すならどっちか。殺すべきは無能な頑張り屋。無能なのにあれこれ手を出されるなんて害悪以外の何物でもないとか、そんなことが書かれていた。定時で返す気のない仕事量に埋もれ毎日叱られている入社1年半の私と仕事に関係の無いものばかりをPCで検索し喫煙室を往復する入社8年目の先輩社員。この中で一番の害悪を殺せと上から司令を受けたら、真っ先に銃口を向けられるのはたぶん私だろう。
入社してからメモ帳とボールペンを持ち歩かない日はなかった。上司からの指示は全てメモをした。何月何日、何の要件で、何日までに仕上げるのか、詳細は事細かにメモしたはずなのに。見返したメモ帳には自分で書いたはずの文字がぐちゃぐちゃに散乱して、握り潰していたゴミを眺めているうちにグラフの単位のフォントが乱れていることに気づき、もう駄目だと頭を抱え嗚咽を零した。

生き辛さを感じたのはもうずっと昔のことで、周りに期待されなくなったのはもっと前のことだった気がする。審神者の適性がなかった私と母を上回る才女の妹。教育熱心な祖母はそれはもう大層妹を溺愛し、一方祖母と反りが合わない母は私と妹を平等に愛してはくれたがやはり自身の仕事を継いで欲しいのか妹に付きっきりで仕事を教える姿をよく見かけた。妹がオカルトチックなあれこれに手を出してる間私は禁止されていた近所の友達と公園で走り回り、ゲームしたりお菓子作ったりと普通な生活を享受していた。同じ家に住んでいながら全く違う生活を送る姉妹。歳も離れていたし、あの子には常に誰かがベッタリとくっついていた。そのため特に妹と関わることも無く、年齢的に高校生ぐらいになるだろうがどの高校に通っているかも分からない。
大学を卒業した後専攻学科の強みを活かして化学系の企業に就職するつもりだった。就活も順調だったし内定先も嬉しいことに2社から貰っていた。だが卒業後に私が就職したのは政府の末端の中の末端での事務仕事。何が起こったか、全ては無駄にプライドが高い祖母の策略である。

今日も運悪く生きのびてしまった。酸素を無駄に吸ってごめんなさいと申し訳なさを抱きながら2重ロックを解錠し玄関扉を開ける。

「...ただいま」

真っ暗な玄関に明かりを灯し壁に体を預ける姿勢で投げ捨てるようにパンプスを脱ぎ捨てる。だが廊下の先の扉奥から聞こえた足音にナマエはハッと目を見開きゆったりとした動作で脱ぎ捨てたパンプスを下駄箱に直した。勝手知ったる仲。既にだらしがない姿を見られているとはいえ、健気に自分を気にかけてくれるあの子を悲しませたくない。
今日も無様に泣いて帰ってきた事を悟られないようにまだ湿った目元をスーツの袖で拭い一呼吸おいてリビングの光が漏れる扉を開けた。

「お帰りなさいナマエさん。夕餉、もうすぐできますから先に湯浴みに行ってきてください。今日はナマエさんが好きな塩鯖と金平ごぼうですよ!」
「...うん、ありがとう」

人参が引っ付いた菜箸を握り新妻のような笑顔でお風呂を勧める16前後の黒子が特徴的な少年は私の弟でもなければ彼氏でもないし親戚でも、ましてや家出少年を匿ってる訳でもない。簡単に言うならお家絡みの複雑な関係性と言ったところか。
キッチンから顔を出した篭手切君に行ってきますと声をかけ、タンスから適当に着替えを取りだす。烏の行水だと前に指摘されてから最低でも15分は風呂場にこもり、面倒な髪の手入れも終えリビングへ戻ると美味しそうな料理が食卓に並んでいた。今日も美味しそうだ。手を合わせ真っ白な湯気が立つ料理を箸で一口サイズに切り分ける。毎日毎日絶望しか感じない人生を体を引き摺って生きているのも全ては篭手切君のご飯を食べるためと言っても過言じゃない。正直この料理が食べられなくなったら私に残された生きる希望なんてゼロだ。お先真っ暗。いよいよ死にたいを実行するだろう。
篭手切君は優しいから私の仕事関係の一切を質問するようなことはしない。テレビで見た今流行りのアイドルの話しとか、スーパーのセール品の話とか話下手な私の代わりに彼自身の一日を語り、たまに降る話しもはいかいいえで答えられるものばかり。だからなんの緊張もせず脳死状態でも不快感を感じさせない会話で、料理の味と相まって彼はとことん私に優しい。

「ナマエさん、そろそろ就寝時間ですよ」

日付が変わる頃、ソファで明日に脅える私へ篭手切君は声を掛け慣れたように軽々と私をベッドへ運び布団をかける。眠りたくない。もう会社行きたくない。怒らないと頭でわかっていながら、もし優しい篭手切君に怒られたら。怖くて控えめに駄々を捏ねる私へ篭手切君は大丈夫の魔法をかけ赤く腫れた目元を掌で覆う。神様も温かいんだなぁ。次第に抜けていく力に篭手切君は部屋の電気を消すと5時間後に鳴る目覚まし時計をセットし

「おやすみなさいナマエさん。良い夢を」

力が抜けた手に篭手切江を握らせフッと姿を消した。

ほぼほぼ家系のコネで政府の末端事務員やらせてもらってる限界スレスレ女性と先代の頃から仕えている江一派(元ブラック本丸産)の社畜物語(限界日常)
私の社畜日記@
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