平和に行きましょう。

絶対に来ないで。フリじゃないから


小学校2年生の頃。炬燵の温もりに抗えず家族皆で寝落ちした時があった。正月とか特別な日じゃなくて、本当に普通の、平日の夜のことだった。ちょっと意識が飛んで目を覚ました頃には既に日付が変わっていて、両親は炬燵に突っ伏して熟睡していた。21時から放送予定だった気になるドラマはすっかり終わっていて、つけっぱなしのテレビは水着を着た女性がプールサイドでお尻を振ったり胸の谷間で物を挟んだり子供の頭ではとても理解できない怪奇行動を放映していた。今思い返すとあれは大人の悪ふざけを凝縮した低俗なアダルト番組で、子供とは縁遠い深夜帯にこそ相応しい馬鹿騒ぎだった。
さて、なぜ突然子供の頃に出会してしまったアダルト番組の話を持ち出したかというと、湯煙立ちこめる大浴場の中央で体をくねらせる褌一丁の青年が私にとっては一二を争うくだらない、けれどインパクトが強すぎる記憶を呼び起こしたからだ。
蒸し暑さにやられ火照る肌を手で仰ぎながら褌の青年の頭上に浮かんだ文字をマジマジと見つめる。性を彷彿とさせるドギツいネオンの光。少し目がチカチカするが、ふむ、ナルホドナー。

「『女人禁制!突☆入!?愛の汗だく熱帯天国!』か」
「ちょっ、お前っ!それ今声に出して読み上げる必要あったか!!?絶対言葉の意味わからずに言っただろ!?」

やや語尾が高ぶった声が大浴場に響いた。年頃特有の気恥しさというやつか、花村くんの顔はのぼせたように真っ赤で、それは子供が意図せずして大人の世界を垣間見てしまったかのように分かり易く狼狽えている。意外と初なのね。動きも言葉もいつも以上に煩い陽介を特捜隊メンバーは珍獣を見るかのような視線で囲んだ。

「女の子が卑猥な単語を口にしちゃいけません!」
「卑猥なとこあった?」
「さぁ?」

思春期の男の扱いって難しい。さぁ?なんて腕を組んでこちら側に立つ鳴上くんもいつかあんな風に思春期を拗らせるのだろうか。

「ん?どうかしたか??」
「いや、何も」

なんか面倒くさそう。
巽完二の後を追い、霧とはまた違う湿度の高さに何度も眼鏡の曇を拭いながら一行はさらに奥へと足を向ける。濡れた足場に意識を向けながら、立ち込める熱気に上がる体温を時折手で仰ぎながら熱を下げ体温を整える。首尾は上々だが流石は熱帯天国。暑すぎてだんだん頭がぼーっとしてきた。

「大丈夫か?」
「え?あ、うん。大丈夫。ちょっと立ちくらみしちゃっただけ」

顎から垂れる汗と蒸気が混ざった雫を拭い鳴上くんの声掛けに答える。暑い。それに服が肌に張り付いて気持ち悪い。誰も今日はここまでにしようと言い出さない、だからまだ奥に潜るつもりなんだろう。戻らないにしても少し休みたい。せめて水を1杯。でも私から言い出すのはちょっと、ダンジョン初心者じゃあるまいし。あれ、今私どっちの足を前に出したんだっけ。なんだか、今にも目が回りそう。

「あ」
「おっと」

足がもつれ体が前のめりに傾いていく。転ぶ。そう認識した時には両足とも操縦がきかずただ床に向かって落ちていくだけだった。咄嗟に握っていた武器を松葉杖のように床へ突き立て体勢を足掻く寸前で腰に回った腕に支えられ事なきを得た。転ぶかと思った。冷や汗なのか、単に暑いから流れ出た汗なのか、滴り落ちる汗をボーッと眺めながら胴を支える腕にゆるゆると思考を向ける。クマにしては腕が長く筋肉質だ。斜め上に視線を向ける。そこに居たのはクマではなく鳴上君だった。私の隣はずっとクマが歩いていたはずだが、どうやら私がダラダラ歩いているうちに鳴上君とクマが入れ替わったようだ。
こういう体力がないところを見られてデバフ係に任命されるのだろう。悔しさに奥歯を噛み締めずにはいられない。

「大丈夫か?」
「うん。ごめんね、ちょっとふらついちゃった。でももう大丈夫だから!」

熱気にあてられた頭を強く振り焦点がぶれる視界を強引に調整する。暑い。汗をかく度に喉の乾きが顕著になる。みず、水が欲しい。体温機能どころか全ての感覚が遅延気味で、視界の端に存在する物体のほとんどは既に輪郭を失いもやがかかっている。何度顎にたまる汗を拭いても発汗が止まらない。次第に血液がゼリーのようにドロっと固まりだし、血の塊を無理やり循環させている感覚に吐き気が込み上げてくる。
少し休みたい。一言そう言えば不快な感覚から開放されるのに、メンバーとの距離感が掴めていない他人行儀な私には弱音を吐く勇気がない。鳴上くんに心の内を見透かされていることは自覚している。曇った硝子越しの眼が責めるような視線でジッと私を見下ろしている。今私の体の半分以上を支えているのは鳴上くんの腕だ。きっと弱音を吐けず意地だけで前に進もうとしている私に内心呆れているに違いない。それでも私はこの人に『休みたい』と言えずにいる。『私一人でやらなくちゃ』そんな局面に何度も対峙し言葉通り1人でこなしてきた。自分を起点にし誰かに何かを頼ることは逆上がりするくらいに私にとっては難しい事なのだ。
無言の攻防の末、結局鳴上くんの提案により一行は一旦休憩を挟むことにした。「こんなこともあると思って」 そう前置きしていそいそと懐から人数分の水を取り出し配り出す鳴上くんに『何を想定して持ってきてんだ』とツッコミを入れたくてウズウズしていたのは私だけで、他のメンバーは『さっすが!』と何も不思議がることなくキャップを開けた。
彼は先読みの能力でもあるのだろうか。まるで先を見越していたような用意周到ぶりに若干…いや、かなり戸惑いはしたが、待ち望んだ水を受け取りありがたくキャップをひねった。
熱帯天国と称する当たり当然冷所なんて用意されていない。かろうじて湿度が低い脱衣所でメンバー一同床に座り込み一気に水を飲み干す。なぜ水が冷えているかなんて細かいことは考えない。脱水気味の体に勢いよく染み渡る水の恩恵はさながら干上がった大地に降り注ぐ雨のように遅延気味の体を正常値へと調整していく。嗚呼生き返った。勢い余って口の端から流れ落ちた水の筋を手の甲で拭っていると、ふと隣からじっとりと寄せられる視線に気づきなまえはジト目で陽介の視線に反撃する。

「なに?」
「なにも!」

視線が交わった途端花村くんは頭が取れる勢いで首を90度反対方向へ向けた。そんな勢いつけて顔を背けなくとも。
もしかして水の飲み方が汚くて凝視されていたのだろうか。ちょっとがっつき過ぎたかも。恥ずかしそうに手で口元を隠す。そして口の開け方やペットボトルを傾ける角度など気をつけながら水をチビチビ飲んでいると、花村くんの挙動不審な行動を一部始終監視していたらしいクマが元気よく手を挙げた。

「はい、センセー!!今ヨースケがいやらしい目で#name2#ちゃんを見ていたクマ!現行犯クマ!逮捕するクマよ!」

いやらしい目?

「ばっ、見てねぇよ!!根も葉もない言いがかりをつけんじゃねぇ!!!」
「うっわ。花村って私らの事そういう目で見てたんだ。引くわ」
「不潔っ」
「バッカ!見るわけねぇだろ!!?少なくとも里中は対象外だわ!!」
「はぁ!!?ちょっと表出なさいよ!!!」

嗚呼、温度も湿度も高いばかりにみんなのフラストレーションが変な話題で爆発して仲間割れに発展している。あっ、里中さんの蹴りが花村くんの鳩尾に…痛そう。

「ったく、里中やめろ!!誤解だってば。あ、相棒。お前なら俺の身の潔白分かってくれるよな!?てかこんなに蒸し暑い場所に男女が集まちまったんだ。見るとこ見ちまうのが男の性だよな!?」
「女の敵」
「なんでだよっ!!」

『お前だけは俺の味方でいてくれよ!!』と花村くんが無駄に騒ぐことでこの場の温度が数度上がった気はするが、彼の魅力を犠牲にした事でアダルトな空気が若干ギャグ寄りに傾いたことで全年齢対象のままこの先も進めそうだ。とはいえ思春期は皆が必ず通る道というけども、この多感な年頃に温湿度高めな環境を異性と過ごさなければならない花村くんのことを思うと少し不憫に思えてきた。今この瞬間も膨れ上がる姓への欲求を抑えているんだろうなぁ。ご苦労様です。
休憩が終わり更に湿度が増す道中、里中さんのイライラゲージが溜まり花村くんが下手に口を開く度に通常よりも数倍あたりの強いツッコミが花村くんの心のヒットポイントを削った。このままギャグ路線で突き進みたいところだったが、四方八方から囁いてくる粘着質な野太い男の囁き声と小出しで道を塞ぐように現れる内股腰振り褌男相手ではマグマに冷水をかけるようなものだった。
個性を個性で殴り合えば場の混沌が少しは中和されると高を括っていた。しかし巽君(影)のキャラが強すぎるあまりこちらのキャラが薄まり全く歯が立たなかった。それどころか攻撃する度に喘ぎの一種ともとれる艶やかな悲鳴で光悦の表情を浮かべ、どことなく嬉しそうに身悶えする巽くんに我々はドン引きしていた。特に踵を僅かに上げて腰をくねらせる姿は呆れ通り越して苛立ちさえ覚える有様だ。
暑い暑いと呻く巽くん(影)は狙撃手のような眼光で鳴上君と花村君に狙いを定め、たっぷりと思いとリップ音を添えて投げキッスを飛ばす。その直後左隣から聞こえた濁音混じりの呻き声に鳴上くんが被弾したことを悟る。可哀想に。あれにロックオンされたら二度と逃げられないだろう。だがこの流れ、何処かで覚えが。…あっ、そうか。なるほど、これはつまりあれか。

「男が3人。大浴場、そのうち1人は褌。何も起きないはずがなく…」
「起こんねーよ!起きてたまるかってーの!!」

クワッと大声で今後待ち受ける展開を全力で否定する陽介をなまえは眉間に皺を寄せて両耳を塞ぐ。うるさっ、そんな大声で言わなくても聞こえてるって。
ダンジョンに潜って以降終始機嫌が悪い陽介から距離を取るようになまえはクマの背後へと移動する。もう今日は花村君とあまり絡みたくない。

「なんか完二くん、パワーアップしてない?」
「気、気のせいじゃないかな?」

いや、私は気のせいじゃないと思う。でもできることなら気のせいであって欲しいと願っている。
これで何度目の再会か。遭遇する度に巽くんの体は火照りが増し心做しか鼻息も荒くなっているような。熱気にあてられた、もしくは自発的に興奮しているともとれる悦楽の表情をうかべる巽くん(影)は天を仰ぎ口角を吊り上げる。
ドコドコと打ち付けるような効果音が聞こえてきそうな腰使いに褌が際どく揺れている。変態を前に里中さんと天城さん悲鳴をあげながらゴキブリが出たら殺虫剤とばかりの反射でペルソナを召喚する。ブフはいいとして、アギは放送コード引っかかると思うのだが。
褌一枚に託された巽くん(影)の社会的死の行方に私は固唾を飲んで見守っていた。なんて緊張感のある番組企画なんだ。面白すぎて一生見ていられる。
ポロリするのかしないのか、手に汗握る緊迫のシーンになまえは堪らずクマの背後から身を乗り出し巽完二の明日の行方を見守ろうとするが、

「ちょっと鳴上くん。前見えないんだけど」
「なまえには刺激が強すぎる」

これ以上の視聴はお父さん許しませんよとでも言うのか、忍者の如く背後を奪った過保護の大きな掌により私の視界は完全にシャットダウンされた。いい所だったのに。チッと舌を打った音は建物を揺らす過激な爆発音に巻き込まれ、その後肌を刺した息が凍りつくような冷気に褌の行方についてさらに興味を煽った。派手な音に女性陣の感情が全て詰まっているように聞こえる。是非目の前で何が起こっているか知りたい私は鳴上くんの過保護ぶりに溜息をつきながら「このくらい平気だよ」と視界を覆う掌を剥ぎ取ろう指に力を入れた。しかし単純な腕力勝負で鳴上くんに勝てるはずもなく、刺激的な爆風が肌を軽く押す度に背後から聞こえてくる「す、凄いな…」の引き気味の感想に私はムッと口をすぼめた。
ずるい、私も見たい。
ひとしきり暴れ倒したのか、遠のいていく足音が蹴りあげた水滴がまったく聞こえなくなった頃に目を覆う手が外れ視界に光が戻った。

「よし、いいぞ」
「何も良くないよ」

面白いシーン見逃した。リプレイ再生させてもらえないだろうか。
鳴上君の手が離れた時には巽くん(影)の姿は何処にもなく周囲には焦げ臭い匂いが充満し無数の水たまりが床に散り靴底を濡らしていた。なるほど、これが世にいう事後というやつね。
湯気に混ざる焦げ臭い匂いにむせながら周囲の惨状に口元がひきつる。ここが大浴場でなければ凄惨な現場を目の当たりにした気分だっただろう。立ち込める熱気と耳にこびりついた『突☆入』の呪言のおかげで馬鹿騒ぎした跡にしか見えなくなった。そういえば天城さんをテレビの中に探しに行った時も見事に頭のネジが外れていたが、巽くんと比べればまだマイルドだったかも。今回は…かなり内容が濃すぎて暫く頭から離れてくれそうにない。

女性陣のペルソナ攻撃を受けた巽(影)はさらに気持ちを昂らせヤンキー特有のガラの悪い走りでさらに奥へ潜ったようだ。その素早さは里中さん曰く知性を得たゴリラだったとのこと。いや、どういう例えだ。何もわからん。
さらに奥へと進んでいくと、男性陣の精神が限界に近いようで、巽くん(影)の奇行に胸焼けを起こした鳴上くんが『今日はこの辺で引き返さないか?』と提案し、貞操の危険感を理由に花村くんがすかさずその提案に乗った。強引に進められる引き返す提案に対し、『完二くん本体の安否を確認するまでは戻れないでしょ?』『今引き返すのはあまりいい考えじゃないと思う』とさっさと進んで片付けたい派の女性陣はこの場の指揮権を握ると、情けない声を上げる花村くんを里中さんが引きずっていった。
嗚呼、可哀想に。女性陣の異様なやる気、おそらくあれは巽君(影)に焚き付けられたのだろう。ダンジョン入口で見せた消極的な態度から一転、怒りを含んだやる気を見せる里中さんと天城さんに私は下手な波風立てぬようそっとクマの背中を押し自分の足で先に進む。

「人には見られたくない一面もあるだろうし、完二の為にも、ここはそっとしておいたほうがいいんじゃないか?」
「鳴上君も行くよ」
「ですよね」

里中さんは花村くんを、鳴上くんには天城さんが、そしてクマは私が。この場は一蓮托生だとお互いを鼓舞しながら気は進まない中先へと急ぐ。さて次は一体どんな刺激的な奇行を見せられるのか、一同ゴクリと気唾を飲んだ。
巽くんが作り出した迷宮は広く道の先に終わりがないのではと錯覚させるほど奥へ奥へと道が続いている。部屋を抜けるに連れて室温は上昇しまるでサウナの中で戦闘しているような気分だ。戦闘が終わる度に曇った眼鏡を拭き続け、途中何度も水分休憩を挟み、物は試しだと洗い場の蛇口をひねると冷水が出てきたので顔を洗って火照りを冷ました。そんなこんなでやっとの思いでたどり着いた大浴場最深部へ続く分厚い扉の前。特捜隊一同は扉の隙間から漏れ出ているゾッとするような悪寒に襲われ、扉を開ける勇気が出ず、怖いもの知らずの誰かが一歩踏み出してくれる事を願っていた。
この扉の先が巽君の匂いがするとクマが鼻をすんすんと鳴らす。私には硫黄と湿気っぽい匂いしか匂わないが、クマがいるというならこの先に巽くんがいるのだろう。
扉にはねっとりとした幻聴が耳元で囁いてきそうな主張の激しい太文字が並んでいる。周囲の湿り具合、僅かに開いた扉の隙間から漏れ出し、熱気とはまた違った言葉にし難い禍々しく濃密な気配を扉の奥から感じる。重々しい空気、分厚い扉、夜を連想させる如何わしいbgm、そして待ち受けているであろう褌の巽くん(影)。扉の奥でナニが行われているか容易く想像が着いてしまうとは我ながら恐ろしい。洋画の見過ぎによる弊害だ。
…なになに

「『おいでませ熱帯天国』」
「だから声に出して読むなっての!!!」


これまでのふつふつと笑いを誘うような雰囲気はなく、決勝戦さながらの緊張感に背筋が伸びる。何故だろう。この先に進めば得るものなく大切なものだけを失う、そんな気がしてならない。
ゴクリと5人が同時に唾を飲んだ。特に巽くん(影)のお気に入り認定されている花村くんは可哀想なほど顔に生気がなく、鳴上くんに至ってはそもそも扉の文字からも目を逸らしている。
誰一人として扉の前に立ち尽くしたまま動こうとしない様子に疑問を抱いたクマは澄んだ水のような純粋な目で現実から目を背向ける私達に問いかけた。

「なんで誰も入らないクマ?」

その一言に一同ギクッと肩を震わせる。
もっと人間の生態や社会について教えておくべきだったと、天を仰いで綺麗な事ばかり教えた過去の自分を反省した。
クマの恐ろしい発言に誰もが視線で役目を押し付け合う中、天城さんは男性陣へと向き直り「鳴上君と花村君。どっちが先に入ってくれるの?」と切れ味の良い一言を放ち一瞬にして5人の立場を明確化させた。

「あ、天城さん!?何怖いこと言っちゃってんの!?こういうのはみんなで一斉に突入すんの が仲間ってもんじゃねぇの!!?」
「ジャンケン、せめてジャンケンで決めよう!」
「女の子に先陣切らせる気?ちょっと様子はおかしいけど、相手は完二君のシャドウなんだからここは男子が漢らしく先陣切るってのが普通じゃない?てか四の五の言わずにさっさと行ってよ!!オトコでしょ!!?」
「理不尽!!!」

この人達本当に騒いだり揉めたりするのが好きだよなぁ。下手に動けば脱水症状待ったナシの空間でよくもまあ元気なこと。右方向では花村君と里中さんがギャンギャンと騒ぎ、一方左方向では滝のように汗を流す鳴上君を威圧感で天城さんが押している。
暑いから早く帰りたいんだけど、この様子じゃあと10分はここで足止めを喰らいそうだ。
まっったく気乗りはしないけど、いつか誰かが扉を開けて中に入ることは確定しているなら、腹を括って私が開けるか。

「失礼します」
「#name1#さんっ!?」

騒ぐ四人の間をすり抜け転ばないように槍を床に刺す。なんか取っ手がベトベトしてそうで、片足を扉に着けてから蹴り飛ばすように思いっきり扉を押した。扉の厚みは見掛け倒しだったようで、思った以上に勢いよく扉が開け放たれ、力の反動で扉が少しだけ元の位置まで戻った。

「よし、早く片付けて帰ろう」
「わぁお。さっすが#name2#ちゃん。よっ、漢の中の漢クマ!」

槍を引き抜きドライアイスの如く湯けむり立ちこめる部屋へと進む。さぁ親玉でてこい。もうどこもかしこも暑く湿っていて、早く倒して風が当たる場所で涼みたいのだ。
色々想定して身構えたところで現実で起こる出来事は早々想像を上回ることなど無い。どうせ扉の向こうでは本体と影が胸ぐらと褌を掴みあって睨み合ってるぐらいだろうと思っていたのだが…まさか巽くんが自身のシャドウを押し倒しているなんて想定外だった。床は濡れ、片方はほぼ裸。いかがわしいことこの上ない。桐箱に入れ大切に純新無垢に育んできたクマに、こんな卑猥な光景を見せるわけにはいかない。

「およよ、#name2#ちゃんどうしたクマか?前が見えないクマよ??」
「クマの情操教育に悪影響が…」

ゴミを見るような目で完二達を睨んだまま、目にも止まらぬ早さでなまえはクマの背後へと周り掌を限界まで広げクマの目を覆い隠す。若干隠しきれてない気もするが黒眼さえ隠せれば何も見えなくなるらしい。
私達は一体何を見せられているのだろう。押し倒され興奮する巽くん(影)をちょっと顔が赤い巽くん(本物)が狼狽えつつも喧嘩腰で『やってやろうか!?』と脅している。何をヤルつもりなんだろう。もし二人のやり取りが月9ドラマのワンシーンなら毎週欠かさず見ているだろうなぁと濃密なやり取りを一視聴者として眺め始めているとまた急に視界が真っ暗になった。犯人はもうわかっている

「鳴上君。手が邪魔なんだけど」
「#name1#の情操教育にも影響が及ぶかもしれない」
「私の情操教育って何」

邪魔な手から逃げようと頭を振っていると急に巽くん(本物)が停滞気味だった話の流れを進めだし、『何故先輩達がここに?』『助けに来た』 とありがちなやり取りを始めだす。やっと助けが来たと嬉しそうな声音の巽くんに相反しここまで凄まじい巽くん(影)の暴れっぷりを見せつけられた私達はほぼ意気消沈気味で鳴上くんもどことなく声にやる気を感じない。
天城さんのシャドウも本体と比べかなりはっちゃけた性格で大暴れしていたが、巽君の場合は大暴れというよりかは暴走していた。正直助けに来たというよりも、助けてくださいという心境である。
途中、大人の雰囲気漂う妖しげなやり取りはありつつも、なんだかんだとあって無事巽君がもう1人の自分と向き合い一件落着となったのだが…語るのも恐ろしいぐらいに巽くん(影)に酷い目に遭わされた。特に粘りっけの強いローションに何度足元を掬われかけたことか。巽くん(影)の口から時折漏れる『ウッホ』の掛け声に合わせ浴槽から荒波のように襲ってくるお湯に見せかけてのぬるぬるローション。足を滑らせ運悪くローションの餌食となった里中さんと天城さんは同性の目から見てもちょっとエロかった。一人また一人とローションの餌食となる中、床に槍を突き刺し何とか滑らないようにへっぴり腰ながらもギリギリ耐え忍びながらペルソナを召喚して真面目に戦い勝利した。そしてローションの水溜まりに足を滑らせながらも地上目掛けて帰宅の準備を始める中、

「鳴上君やめてよ。絶対にやめてよ!」
「そう言われると逆にやりたくなる」
「フリじゃないからね!?」

無駄に体幹のいいムッツリな悪餓鬼がへっぴり腰目掛けてウズウズしていることに気づき私はすぐさま「変なことしたら怒るからね!?」と釘を刺した。鳴上くんはこんな子供みたいな悪戯するような人じゃないと思ってた。しかし実際はポケットから携帯を取り出して杖をつく老人のような姿を背後からパシャリと写真を撮り無言でジリジリと距離を詰めてくる思春期拗らせボーイだった。「いけ鳴上!押し倒しちまえ!!」「センセー!お手柔らかにクマ!!」「#name1#さん負けないで!」「#name1#さんなら耐えられるよ!」と土俵に上がった力士を煽るような声掛けに頭が痛くなる。誰か私に手を貸してくれる人はいないのか。
お互いに手を伸ばせば届く距離まで迫り、槍を握る手に力がこもる。シンプルにローション塗れになりたくない。でもこのへっぴり腰で何ができるだろう。

「行くぞ!」
「来るなっ!」

腰を落とし両手を広げた悠になまえは怯え槍をめいいっぱい握りしめた。

「もうっ!巫山戯ないでっ!」

もうどうにでもなれ。手は握りしめたまま槍を軸に足を蹴り上げクルンと回転し、

「ありがとうございまっ!!?」
「相棒っ!!!」
「センセー!!」

間合いに入り込み勢いある遠心力に体を薙ぎ払われた悠は体をローションで包むようにくるくると体を回して床を滑りながら壁にぶつかった。ローションの餌食となった悠へ陽介とクマの悲痛な声が浴槽に響く。一発の蹴りによって悠の手から滑り落ちた携帯はローションにより再起不能となり、あの間抜けな写真がこの世から消えた事になまえは満足気な様子でホッと息を吐き、

「悪い事するから撥があだっ…!?」

浮いた足を床に付ける直前、大きくバランスを崩した体はステーンと床へ尻もちをつき、その上ローションに塗れながらズルズルと床を滑った。遠くなっていく長槍元い杖に手を伸ばすが届く訳もなく、壁に向かって加速する体に堪らず悲鳴を上げ胸の前で手を纏めて身構えていると

「なまえっ!!」

名前を叫び床を滑る鳴上くんが左方向から弾丸のような速さで迫るとあっという間に抱き留めて進行方向を90度変えた。四方を壁に囲んでいるため結局どこを滑っても壁にぶつかる事は免れないが、私の代わりにゴンっと頭を殴打した鳴上くんは少しだけ男前に見えた。

「間一髪だったな…あだっ!」

でも元を正せばこの人が巫山戯たからローション塗れになった挙句床を滑る羽目になったんだよなぁ。
そもそもの元凶を頭の中で整理し、俺が助けましたみたいなドヤ顔をしたその重い前髪目掛けて『調子に乗るな』の意を込め手刀を入れた。

prev next
Back to main nobel