天覧聖杯戦争 1

裸同然のような装備で異聞帯に辿り着いた時から、私達の運はとうに尽きていたのかも。

「この場に在るキャスターは二騎!ならば戴く首級もまたひとつきり!」

遠まわしに『お前達の首を頂戴する』と声高に宣言した渡辺綱はその手に握る太刀を構え水面を渡る足取りで距離を詰めた。相手が女子供であろうが容赦はしないと言っていたのは本当のようだ。恐ろしいほどに冷静で忠義に溢れた警察犬。不運にも目をつけられてしまった獲物は少ない手札で必死に足掻いてはみたが、逃げ道は尽く潰され塞がれこれ以上は打つ手なし。

「マスター!」

互いの手の甲に令呪を宿しておきながら英霊頼りの戦闘スタイルではなく自らを戦闘の主体に置き英霊は添える程度で刀を振るう渡辺綱に格の違いを見せつけられた。殺気に当てられ派手にすっ転ぶ。死がすぐ足元まで迫っている。道中金時と再会し仲間が増え喜ぶのもつかの間、あっという間に死の淵まで追い詰められた悔しさにキリキリと奥歯を噛み締める。どうする。どうする私。多勢に無勢、渡辺綱に慈悲の心はなく、戦闘の要である金時は数多の竜牙兵に足留めされている。段蔵さんは渡辺綱を相手取る程動ける状態じゃないし、礼装スキルもクールタイム中だ。こうなったら令呪を…だめだ。逃げの算段も整ってないうちに令呪を消費してなんになる。渡辺綱は先程と同様に私達を追いかけてくるに決まっている。彼のサーヴァント、メディア・リリィが厄介な英霊であることは過去の戦闘で身に染みているし下手な博打は打てない。
…勝つための策ではなく無事皆が生き残る最前の 策を。メディア・リリィの魔術を止める策を。考えろ。考えろ私!渡辺綱が自ら発言した通りに動く武者ならば、彼がまず最初に落とす首は私のサーヴァント。ならば私達全員が生き残るために私が今とるべき行動はひとつ。もしかしたら奇跡が起きるかもしれない。たまに首を絞める悪運が今日は上手く働いてくれるかもしれない。凡人、無能と罵られながらも幾度となく捻じ曲げられた世界を命懸けで正してきた私なら、この難局もきっと乗り越えられるはず。天が私に味方して襲い来る斬撃が浅く今回もギリギリ生き残れるかもしれない。四の五の言ってる暇はないな。『頑張ってください先輩!』と可愛い後輩が自分を鼓舞する姿を頭の中で想像し、なるようになれ!と立香は段蔵に霊体化するよう叫んだ、その時。

「物騒だな」

メディア・リリィの慌てた声に渡辺綱は反射的に振り上げた太刀の軌道を変え上空から襲いかかる強烈な一撃を弾き返した。月光遮るように降ってきた影はスルリと私と渡辺綱の間に割って入るやいなや刀身を隠した太刀を振り回し重い一撃で渡辺綱を薙ぎ払った。

「…っ、」

地を滑るように後退した渡辺綱に向かってその人はふんっと鼻を鳴らすと派手にすっ転んだ私に手を差し伸べる。

「怪我は?」

月を背に添えたその人はほっと肩から力が抜けていくような優しい声の持ち主だった。女性…だろうか?肩の上で黒髪を揺らす女性は掴んだら親指と真ん中指がくっつく腕の細さには不釣り合いな、鞘と刀を結束した太刀を一本握りしめている。和洋折衷の軽装姿に口元から上を覆い隠す洒落た狐の面。雅な香りを残す服装からは彼女も平安時代に関連がある、もしくはこの時代に生きる人物であることは推測できるが…怪我はないと答え立ち上がる際に彼女から感じたゾッとするような莫大な魔力量に肌が粟立った。彼女は只の『人』じゃない。限りなくサーヴァントに近い魔を感じる。もし彼女が敵であれば凡人類史の未来はここで終わる。強者の威風に当てられ棒立ちした私を女性は当然のように背中へ隠し鬼のような形相でこちらを睨みつける渡辺綱を静かに睨み返している。
助けて貰って今更だがこの女性は味方…でいいんだよね。ついさっき味わった渡辺綱の手の平返しの件もあって吹いても吹いても冷や汗が止まらない。とはいえ今は言われた通りに。屋根から降ってきた仮面の女性を味方(仮)にして危険が去るまで彼女の背に隠れていると霊体化した段蔵さんが『マスター!お怪我は!!?』とすぐ耳元で囁いた。怪我はしてないと段蔵さんに伝えこれからどう立ち回るべきか相談していると女性は振り返りはしなかったが、段蔵さんが霊体化した方向へと微かに首を捻った。まさか段蔵さんの声が聞こえて?この時、彼女が段蔵さんについて言及することはなかった。ただ竜牙兵に苦戦する金時の姿を一目し「まったく仕方がない人ですね」と周囲に湧き出すメディア・リリィの竜牙兵など些事とばかりにゆったりした動作で足を開いた。彼女は鞘から剣を抜かなかった。だが俯いた顔をフッと上げた瞬間、風は悲鳴を上げながら空を裂いた一閃を追いかけ、真っ二つに体を斬られ暴風に砕かれた竜牙兵達の骸に私も段蔵さんも口を開け狼狽した。人の枠を外れた妙技とはまさにこの事か。

「やれ!嬢ちゃん!!」

金時の命令に応じ、女性は残る竜牙兵の妨害を飛び越え刀身を納めたまま渡辺綱の攻撃を平然と往なしては僅かな隙を狙って果敢に太刀を振り回す。もしや平安でも名高い武人なのだろうか。相手は抜刀しているにも関わらず彼女は依然として結束を解く気配はなく、むしろ抜刀していない利点を生かし、静と動を使い分けながら槍の如く太刀を振り回している。これまで剣を使うサーヴァントは多く目にしてきたが、まるで舞を踊っているかのような、ここが戦場であることを忘れさせる優雅でしなやかな剣術を見たのは初めてだ。

「凄い。たった1人で渡辺綱と竜牙兵達を相手取ってる!」
「(無駄のない動き、反撃を許さぬ力強い振り。あの武人、相当の手練のようですね。むっ…マスター、段蔵めの見立てに狂いがなければあの者、妖...いや、鬼に憑かれているようです)」

鬼というのはカルデアにいる巴御前や茨木童子みたいな感じなのかと鬼にまつわる英霊の名を挙げてみると段蔵さんはどちらかと言うとあれは呪いに近いものだと言った。なるほど。恐らく重たい事情を一つや二つ抱えているのだろう。あの狐の面や抜刀を禁じた結束紐がその証拠なのかもしれないが、凡人の頭で幾ら考えても彼女が抱える重たそうな事情は全く検討もつかないので今は彼女がこちら側の味方であるという事実だけに安堵しておこう。

「平安京一の鬼殺しと謳われる頼光四天王の筆頭が鬼でもない女子供に手をかけるなど世も末だな!渡辺綱!!」
「ほう、鬼が訓戒を垂れるか」

渡辺綱と斬り合いながらも女性は隙あらば竜牙兵を薙ぎ払い、魔力を込めた斬撃を飛ばしてメディア・リリィを牽制している。段蔵さん曰く彼女の標的は渡辺綱ではなくメディア・リリィのようだ。強化魔法に召喚術、いるだけで厄介なことこの上ないキャスターを早々と始末し本命の首を狙うつもりなのだろう。飛んでくる斬撃に気を取られ思うように竜牙兵を召喚できないメディア・リリィに渡辺綱は下がるよう命じる。しかしそんなことはさせないと女性は鍔迫り合いに勤しみながらも柄から離した左手の指でクルリと怪しげな模様を宙に描いた。あの模様どこかで見覚えが、というか見覚えしかないな!どこかの式部さんが使ってた五芒星ってことは陰陽師!?一体何者なんだ彼女。
突如バチりと指先から散った火花に女性は驚いたように肩を揺らすと素早く渡辺綱から距離をとり焦げ臭い指を軽く振った。
どうやら術を邪魔されたらしい。

「綱さま、ここは退いた方が良いかと。あの女人、かなりの手練です。それに加え妙な術も心得ています。正面から挑むのは極めて愚行です」

メディア・リリィの制止の声に渡辺綱は渋い顔を見せた。最強の鬼狩りと鬼に取り憑かれた女性。もしメディア・リリィがいなければ彼らは互いの首が落ちるまで剣を振り回していただろう。いまだ穏やかな空気が流れぬ中、渡辺綱はムッと口を結んだ女性の首を舐めるように見つめゴクリと喉を鳴らしたが、興が冷めたと静かに目を伏せると鞘に刀を納めた。

「…行くぞ、キャスター」

嵐が去っていく。外套を靡かせ夜の暗闇へ溶けていく2人の背中に女性はべーっと舌を出し握っていた太刀を腰に差した。風格ある登場の仕方とは別に性格は意外と子供っぽいのだろうか?いや、そんなことよりも。

「助かった...?」
(おそらく。足音が遠のいていきます)

……はぁ〜命拾いした。激しく騒ぎ立てる心臓に手を添え、落ち着け落ち着けと深呼吸を繰り返す。実体化した段蔵さんに背をさすられながら冷や汗を拭っていると、置き土産された竜牙兵を全て討ち取った金時がにっこり笑顔でこちらへ手を振り無傷で戻ってきた。

「ふぅ、危ないとこだったぜ。嬢ちゃん達怪我はないか?いんやぁ〜それにしても俺の用心棒は頼りになる!あの渡辺綱を退かせるとはまったく恐れ入ったぜ!!」

金時はバシバシと女性の背中を叩き良くやった と功を労うが、女性の顔(といっても口元しか見えないが)は依然として険しく、わなわなと震わせた拳を解くやいなや

「金時様…いきなり姿を眩ませないでください!!夜風に当たってくると言い残したっきり待てど暮らせど帰ってこない。面倒事に巻き込まれたのかと思い慌てて洛内を走り回ってみれば渡辺綱相手に喧嘩沙汰とは、一体どういうおつもりですか!?」

びっくりするほど素早く言葉を捲したてる姿には段蔵さんも目を丸くしポカーンっと口を開けている。さっきまで優雅に太刀を振り回していた人とはとても思えない二面相に風邪引きそう。意外とお母さん属性が強い人なんだろうか、もしくはちゃらんぽらんな主人公を支える口煩い幼なじみ。腕を改められたいのですか!?とぷりぷり怒りながらドスドスと金時を人差し指で突く女性はきっと仮面を外せばこめかみに筋が浮いているだろう。

「まぁそうかっかすんな。せっかくの別嬪さんなんだ。愛らしく笑っとけって」
「その別嬪を鬼にしている方は何処の誰とお思いで!!!?」

今日という今日は許さないと口にしている当たり一度や二度の出来事では無いのだろう。反省しろ!と小さな雷を落とした女性はふと、こちらが向ける視線に気づくや否や、恥ずかしそうに拳を背に隠しぺこりと会釈した。礼儀正しく凛とした美しい顔と無鉄砲な息子を叱る母の顔(幼なじみでも可) この人の素はどっちなんだろうなぁ。面白い人に出会ってしまったなぁとニヨニヨと笑う私の隣で段蔵さんは若干心の距離をとるように顔を逸らしていたが、気づかなかったことにしよう。べ、別に疚しいことは何も考えてないし。ね?ね??
助けてくれてありがとうと感謝を伝え宜しくの握手を求めると女性は仮面越しでも分かる優しい笑顔で間に合って良かったですと黒い手袋を外し手を重ねた。

「込み入った事情がありまして顔を伏せる事をお許しください。私は仮名と申します。金時様が仰られた通りこう見えて用心棒…いや、凄腕の用心棒ゆえ、大船に乗ったつもりで私にお任せ下さいな」
「安心感すごっ!!」
「これは吉兆ですねマスター!」
「おいおい俺もこう見えて凄腕の武者、頼光四天王の一人なんだがぁ…まぁいいさ」

一点に留まっておくと怪異が集まるからとりあえず歩きましょうと提案した仮名さんと金時を筆頭に宛もなく洛内を歩く。
随分と距離が近い関係に付き合いは長いのかと尋ねると2人は顔を見合わせ『4日前に出会ったばかりだ』と言った。しかも互いに知っていることは名前だけでこれほど仲が良いのに金時は仮名さんの素顔を知らないんだと言う。素性も素顔も知らず4日前に路地裏で餓死寸前だったところを金時に拾われ用心棒として働いている。ツッコミどころ満載な重たい経緯を語る仮名さんは僥倖だったと口を開けて笑っている。いや、明るいなこの人!それに加えて金時も器が広いというか豪快すぎというか…さすがゴールデン。いい人すぎるだろ。というか金時に振り回された挙句渡辺綱と一戦交えて無傷で帰ってくるって何!?4日前に餓死寸前だった理由が謎すぎるんだが。
遠くで鳴く梟の声が京の夜に響く。流石に眠いなぁと目を擦る私に気づいた段蔵さんがどこか休める場所はないかと二人に尋ねてくれた。なんでもいい、この際馬小屋でも構わないと伝えると前を歩く2人はうんうんと腕を組み首を傾げあそこはどうだろうか!と同時に手を打った。けれど都合が悪かったのか、それとも嫌な思い出が蘇ったのか。サッと顔を青くし首を撫でながらやっぱりダメだと2人は首を横に振りまたウンウンと首を傾げる。その鏡合わせのようなシンクロした姿に私も段蔵さんも心の中で呟かずにはいられなかった。
ほんと仲良いなこの人達。