天覧聖杯戦争 4

これが香子さんにとって最良の選択だったと自分に言い聞かせるしかない。
赤い目元、掠れた声、隠しきれてない空元気。けれど香子さんはチャールズ・バベッジに言われた通り自信を持って前を向こうとしている、寂しさを忙殺で紛らわせて。
…しっかりしろ私。これ以上被害を出さないためにも、はやく天覧聖杯戦争を止めなくちゃ。
内裏勤めへ向かった香子さんを見送って朝餉の続きをと部屋へ戻る私の肩を仮名さんがちょっといいですかと控えめに叩いた。

「立香さん、本日のお勤めについてですが、少々私の用事に付き合っていただけませんか?」

街で情報収集をする前に少し寄りたい場所がありますとうつむき加減で提案した仮名さんに私は断る理由もないので是非と首を縦に振った。ありがとうございます!と声を弾ませた仮名さんは次に段蔵さんの肩を叩き、その次は金時へと話しかけている。用事ってなんだろう。というか仮名さんから提案してくるってなんか新鮮だ。朝餉を終え出かける支度を整えるとさぁ行きましょう!とやけに張りきな仮名さんを先頭に屋敷から出立した。

「ここは…」
「稲荷神社境内、天然自然洞窟の中。昨夜チャールズ・バベッジ殿と戦った場所でございまする」

朝の日差しも射し込まない暗闇に鳥肌が立つ白い冷気と笛のような風の音が洞窟内に溜まっている。辺りには崩れ落ちた岩壁の残骸が不自然に山をなしており、昨夜充満していたオイルの臭いはいくら鼻を鳴らしてもちっとも臭わない。チャールズ・バベッジが現世から退去し、それに伴いヘルタースケルターも消えたのだろう。そこら中に散っていたヘルタースケルターの残骸もチャールズ・バベッジの霊気も感じない。ただ底なしの魔力に溢れた空間で仮名さんは金の鐺でガリガリと地面に五芒星を描くと、杖のように刀を地面に刺したまま片膝をつき濡れた大地と掌を合わせた。

「花よ、我が掌に充ちたまへ」

霊脈を種に見立て魔力という名の水を与えるかの如く色とりどりの大輪の花が濡れた一面の大地を覆い尽くしていく。マーリンの宝具とはまた違う、静謐で物悲しく、葉に溜まる水滴がまるで涙のように地面へと滑り落ち、ハラハラと落ちていく花弁からまた芽を出し蕾を開いていく。

「きれい…」
「壮観ですね。段蔵、いたく感動しました」
「なんだ。旦那への手向けの花かィ?」
「はい。昨夜はバタバタして花も添えられませんでしたから」

霊脈が枯渇するまで花は魔力を糧に咲き続けるのだという。メディア・リリィにも霊脈を知られてしまったからには消しておくに越したことはないと仮名さんはゆっくりと地面から手を離すとそこから数本手折ると露を払った。香子さんに渡すそうだ。花は人の心を癒す力もあるから、と。

「本当は花を摘んで供えようと思ったのですが、昨夜段蔵さんが懐かしいことを思い出させてくださったので久しぶりに姉から教えてもらった術で大輪の花を咲かせてみようかと思いまして」
「えっ」

名指しされ段蔵さんさやはり昨日の言葉が気に触ったのかと珍しく動揺し深々と頭を下げた。しかし仮名さんはそうじゃないんですと段蔵さんに顔を上げるよう言うと、詰んだ花を眺めながら愛おしそうに指の腹で撫でた。

「姉を殺したのは私なんです。私が生まれたから姉は死にました。生みの親も私が」

唐突な罪の告白に私も段蔵さんも声が出なかった。姉を殺したのは仮名さん。昨日はあんなにお姉さんのことを憧れや適わないと褒めていた人物から決して出てくるはずのない言葉に瞬きを繰り返す私達に代わって金時が詳しく話してくれと言う。出会った当初、彼女は素性を知られたくないと自ら口にしていた。だが、昨夜の出来事が彼女の琴線に触れたのだろう。いいですよと肩を垂らした彼女は花を愛でながら隠した秘密の欠片をホロホロと悲しげに言葉を紡いだ。

「私は生まれた時から人並外れた妖力をこの身に宿して産まれました…貴女方の言い方では魔力、でしたかね。魔性に喰われ大事になる前に殺しておくべきだと周囲の大人が私の死を望みましたが、とある高貴な方が見守りましょうと仰って。それからずっと私はその方の言葉によって生かされ続け、妖気を役立てる為にと姉共々陰陽道を学びました。ところが私は才がなく、使える術は花を咲かせることだけ。それに比べ姉は複雑な術を容易く会得する才能の持ち主。姉はいつも私に優しく接してくれて、私にとって彼女は憧れでした」

けれど姉は亡くなりました。
怪異に殺されました。
その怪異を呼びつけてしまったのは私です。
私の妖力が怪異を呼び寄せたのです。

息を飲んだのは誰だろう。あまりにも重たい過去に仮名さんの声が僅かに震えていたが、口元は依然として微かに笑っている。仮名さん、今どんな顔をしているんだろう。仮面の下から顔を拭う素振りもなく、ただ事実を淡々と語るよう彼女はナレーションのように自らの感情をそこへ入り込ませないよう慎重だった。慎重に他人の人生を語ることに徹していたように見えた。

「私が生まれなければ、姉も両親も死ななかった。両親が死んだ時お前のせいだと姉は責める権利があったはず。なのに彼女はどんな時も私に優しかった。私のせいで辛い道を歩まされているのに、いつも私を守ってくれた。だから私、ずっと後悔していました。優しい姉を殺したのは怪異じゃない私だって」
「仮名、他人のオイラが言えた立場じゃねぇってのは分かっているが、お前の話を聞く限りじゃあお前の姉サンは決してお前のことを恨んでなんか」
「ええ。分かっていますよ。昨夜の一件で漸く自分が見当違いな後悔をしていたことに気づけましたから」

フッと小さな笑みを浮かべた途端に仮名さんの声音に感情が灯ったような気がした。これは単なる私の憶測だが、仮名さんはたぶん昨夜の出来事をきっかけに抱えていた重荷を一つ下ろすことが出来たのだろう。なんというか、声が。そう、声がワントーン明るくなった気がする。空元気を疑うような声じゃなくて自分の弱みを素直に口にできるようになったかなような、そんな感じ。もっと突っ込んだ言い方だと絆Lv1からLv4まで上がったような。だめだな、この例えだとマシュにメタ的だと怒られる。

「チャールズ・バベッジさんが香子さんを想い、身を呈して彼女を守った。その姿に私ハッとしたんです。…姉様もこんな気持ちで私を守ってくれていたのかなって。私いつも自分の悪運を恨んでいましたが、こうして今も息をしているのは姉様のおかげかもしれない。そう思うと、私は1人じゃないんだなって。この花はチャールズ・バベッジさんへの、私の姉への手向けの花でもあるのです…今日皆さんをここへ連れてきたのは私のようにこの花が皆の大切な人に届けばと思ったからで…すみません、私口下手で、上手く伝えたい言葉が出ませんね」

ちょっと屋敷までひとっ走りして来ます。気恥しそうに顔を逸らした仮名さんはもう数本花を手折ると大事に抱え一足先に洞窟から脱出した。頬がほんのり赤かったなぁ。たぶん照れていたのだろう、自分の素の声を口にしたことも、それを誰かに話したことも全てひっくるめて。
段蔵さんによるとこの花々は洞窟一帯に咲き誇っているらしく1秒あたりの魔力消費量から見積もって軽く4日はこのままなんだとか。
綺麗な花。思えばこうして生花を眺めるのは久しぶりかもしれない。大体誰かの宝具か造花でしか花を見る機会なんてなかったし。大切な人に花が届けばいい、か。たしかにこんなに綺麗な生花をたった3人だけで眺めるのはもったいないなぁ。

「カルデアのスタッフに渡せたらいいけどこんな状況だもんね。ねぇ段蔵さん、映像だけでも届けられないかな?」
「段蔵の記憶装置をカルデアへ持ち帰れば可能でございまする」
「ありがとう!」

思えば特異点に異聞帯に忙殺されて母の日とか父の日とか蔑ろにしがちだった。映像とはいえ少しでもカルデアスタッフのみんなに感謝の気持ちが届けられたら。…それでいつか私のお父さんやお母さんに渡せる日が来たら。よし、とりあえず今は花に癒されつつ天覧聖杯戦争を止めるべく情報収集しなくちゃ。

「そういやァ、もう過ぎちまってたか…」

魔力を注ぎ続ける限り花は枯れないそうだ。日頃の感謝を込めて1本花を手折り段蔵さんの髪に挿していると金時は何かを思い出したかのように数本花を手折りこんなもんかと懐から取り出した髪紐で茎を結んだ。赤を避けるように選んだ花束に立香はははーんと何かを察したようにニヨニヨと口元を押えた。

「金時も誰かに渡すの?」

これは恋ってやつですか?と茶化す気満々の立香だったが、感情が顔に出やすい金時がちっとも顔を赤らめず「まァな」とさっぱりした反応で返すものだから立香はすかさず唇を噛み心の中で自分をビンタした。これは弄っちゃいけないやつ!!…でも誰宛に?香子さんは仮名さんが渡すだろうし、もしや頼光さん?にしては表情がいささか重いのでは。

「ちっとばかし時間がかかるから後で稲荷神社集合にしようぜ!仮名は俺が途中で拾ってくるからアンタらは適当に街を散策して来たらどうだ?美味いもんもあっから、時間潰して来てくれや」

私の警護を段蔵さんに任せた金時は仮名さん同様花束を握り洞窟を後にした。金時の曇った顔初めて見たかもしれない。あの花束が誰に贈られるのか気にはなったがなんか深く聞くのも躊躇われる雰囲気に私達は何も聞かなかったことを装い金時に勧められた通り怪異の情報収集をしながら街を見て回った。
それから馬の刻に約束通り稲荷神社へ集まると仮名さんがアワアワと唇を震わせていた。どうしたの?と声をかける直前、端正な顔に立派な青痣をつけ膨れっ面で帰ってきた金時を見つけ私は思わず何事!?と店主から頂いた餅を落とし、地面に転がる寸前で段蔵さんが拾ってくれた。