天覧聖杯戦争 6

酒呑童子と茨木童子。平安時代を代表する大江山の鬼。幾度となく死の恐怖を現れる先々で撒き散らし、また幾度となくカルデアの仲間として窮地を救ってきた鬼でもある。時代背景からして彼女たちが居てもおかしくはない。が、天覧聖杯戦争真っ只中に大江山から降りてこられてはかなり厄介だ。それも聖杯戦争のマスターとして。
夏虫の声が夜の都に響く刻。検非違使の悲鳴を聞き大宮大路へ駆けつけれてみれば鬼が3体。見慣れた顔がふたつ。もうひとつは言葉を介さず軽く5メートルは超える熊のような体格で茨木童子の背後で刀を抜き息を荒くしてこちらを威嚇している。虎熊、と茨木が呼んだ。その名の通り虎と熊をミックスしたような恐ろしい巨体をしている。

「吾が引導、渡してくれようぞ!ゆくぞ虎熊ァ!」

茨木童子の掛け声と共に虎熊童子は猛々しい叫び声を夜に轟かせ激しく地を踏み地鳴りを起こす。ドンッと突き上げるような揺れに足がふらついて、転びかけたところを段蔵さんが肩を掴み事なきを得た。

「マスター、指示を!」

段蔵さんの背後に周り相手の出方を伺う。ここは街中だ。人々や民家を巻き込まないためにも派手に戦いたくはないが、茨木童子のあの好戦的な態度では穏便に話し合いで、とはいかないだろう。右手の甲に浮かぶ令呪は3画もある。万が一が起こっても退路は確保できるな。なら、

「…仕方ない。酒呑童子は後回し。茨木童子を軸に攻撃を仕掛けて大江山に帰ってもらおう!」
「承知。我が命に賭けてマスターを死守致しまする」
「っしゃ、やるか!仮名。鬼を斬った覚えは!」
「…も、黙秘します」
「お、おう?…んじゃ、無理しない程度についてこいよ」

仮名さんの歯切れの悪い回答に金時は小首を傾げ仮名さんへ視線を向ける。だがここは戦場。無駄に考えをめぐらす時間などない。細かいことはいいかと引っかかった疑問を瞬時に切り捨て鉞を担ぎ重心を下げる。張り詰めた空気の中、ゆっくりと息を吐きながら仮名さんは金時の側に立ち並びスルリと鞘ごと腰から刀を引き抜く。いつもと同じ凛々しい佇まい。けれど彼女が纏う雰囲気はどこか無機質でまるで別人を眺めているように感じる。情を削ぎ落とすように鞘ごと刀を引き抜いた彼女は嫌悪感を顕に茨木童子、虎熊童子の背後で不敵に笑う酒呑童子を一心に睨みつけている。
因縁、だろうか。
弾かれたように金時が先陣を切った。

「虎熊の首は私が取ります。2人は茨木童子を」

獲物を視界の中心に捉え踵を上げるやいなや仮名さんは一瞬にして金時の真横を抜き去り自身の間合いに鬼を捉えた。地面を滑るように鬼の股を潜り体を捻りながら素早い一線で虎熊童子の足を払う。体勢を崩した隙に背後から奇襲を仕掛けるつもりなのだろう。片膝を着き頭を垂れた虎熊童子の間隙を狙い仮名さんは背後へと回り込み刀を振り下ろす。喧嘩をふっかけてから数秒で首を取られかけている虎熊童子の有様に茨木童子が憤慨し、子供のように喚き金時を強く蹴り飛ばした。ターゲットを金時から仮名さんへ変える気か。そうはさせるものかと私が振り下ろした手に合わせ上空を舞う段蔵さんの狙撃が雨のごとく降り注ぐ。

「おのれおのれっ!!!」

見事に救援を阻まれ茨木童子は苛立ちを募らせ地団駄を踏む。ごめんね茨木。でも街の人の生活を壊すわけにはいかないんだよ。
ドンッと心臓を撃ち抜くような鈍い音が鳴り響く。音がした方へ首を捻ると顔面が地面へめり込み痛々しく呻く虎熊童子と面をつけた鬼斬が二打目を振り上げている。虎熊っ!!と茨木が叫ぶが、当然ながら仮名さんの動きが止まることは無い。美しい構えから振り下ろされる恐ろしく速い一撃。細腕から繰り出される強烈な打撃に茨木の涙まじりの声が夜の街に反響した直後、やれやれと傍観を貫いていた酒呑童子も部下の失態を見兼ねて仕方なくとばかりに仮名さんが繰り出す2打目を弾き返した。方や鞘付きとはいえ立派な太刀を振り下ろし、方や鬼の首領とはいえど強烈な攻撃を前に素手1本で迎え撃つ。彼女が繰り出す打撃はそこ音からも察しがつくとおり人間どころか鬼の骨も容易く折る威力だ。流石の酒呑童子も笑ってはいられないだろうと思っていた。
しかし大江山の鬼は強かった。

「ふふっ、隙あり」

受け止めるどころか素手1本で仮名さんの一撃を弾き飛ばすとがら空きの胴に向かって肉を抉るように腕を伸ばした。仮名さんが死んじゃう!足が竦む恐ろしい光景に私は堪らず魔術礼装のスキルを行使しサポートを行う。瞬間強化を行使し何とか危険な場面を乗りきれたが虎熊童子とは打って変わって防戦一方を強いられる仮名さんの姿に私は彼女に向かって令呪を向けたが、

「立香!!!」

自力で倒せる。切り札を無駄遣いするな。まるでそう一喝するように名を呼ばれた気がして、私は仮名さんを信じ茨木童子と決着をつけるため段蔵さんの宝具発動を許可をした。

集中力が切れたが最後夜道に首が転がる。そんなギリギリな戦いを強いられながらも仮名さんは金時の手を借りる気配はなく、酒呑の攻撃が当たる寸前を刀をいなしている。速さ勝負なら仮名さんが勝っているが、容易く四肢を捥ぐ鬼の腕力に押され肝心の攻撃が通らない。刀の軌道を修正し一撃でもと奮闘しているが、動作に無駄が生まれるため防戦一方な状態から抜け出せない。

「ふふっ、懐かしい匂いがしはると思ったら、なんや、あんたはんやったんか。殺した思ってたんやけど、案外しぶとく生きてはってたんやなぁ。旦那はん元気?うちからの贈り物気にいってくれた?」

殺した?旦那?贈り物?
なんの話しをしているのかと私も金時達も会話の内容に耳を立てる。酒呑童子と知り合いだったなんてそんな大事な話私達は聞いていない。どういうこった?と金時すら眉間に皺を寄せる案件に対し尋ねられた本人は攻撃の手を弛めることなく、激情に駆られることも無く、ただ冷えきった声音でたった一言「何のことだ」と質問を質問で返した。わざとワンテンポ打撃を遅らせ、大振りな一振で酒呑童子に後退を促す。盃の酒を一滴もこぼす事なく酒呑は軽やかに宙を舞い攻撃を避けた。

「怖いわぁ。うちとあんたはんの仲やないのぉ〜そげな怖い顔せぇへんくてもええやん?ああ、それともあれか…うちの事、味見しに来たん?」

人の秘密を掌でこねるように口元を抑えニタニタと笑う酒呑を仮名さんは固く口を結び刀を握り直す。薄暗い夜道に加え顔の半分を仮面で覆い隠し仮名さんの表情など読み取れないはずなのに、酒呑はまるで仮面に隠した表情を透視し嘲笑うように自身の肩を抱き震えて見せた。

「怖いわぁ〜。これじゃどっちが鬼か分からんわ。その顔じゃあ旦那はんが首を落とすのはウチとアンタ、どっちやろうなぁ?」
「…」

『旦那はん』その言葉が出る度に仮名さんの魔力が跳ね上がる。怒っているのだろうか、それとも…馬鹿!余計な事は考えるな私!!手に汗握る死合に早く片をつけろ。茨木に白旗を振らせる為一斉攻撃を仕掛けようと拳を握った。しかし…嗚呼、してやられた。取り囲んだはずの茨木は暗闇と死角をつき恐ろしい速さで仮名さんとの距離を詰める。まずい、あの速さは誰も追いつけない

「酒呑に近づくなっ!紛い物がぁっ!!!」
「仮名さん危ないっ!!」

手を伸ばしたところで届かないことはわかっていた。それでも私は手を伸ばさずにはいられなかった。獣の如く背後から襲いかかる小さな影に仮名さんは酒呑を視界に捉えたまま刀を器用に振り回し茨木の攻撃をいなした。背中に目があるのか。死角からの攻撃を仮名さんは軽く弾き返す。金時がヒューッと口笛を吹く程見事な動きでありながら、仮名さんは今の一撃で切れた結束紐に大きく舌を打った。血に指を擦りながら茨木は分かりやすく苛立ち屈辱という名の炎で角を赤く染め上げる。「おのれ、おのれ!!」と叫びながら果敢に仮名さんへ飛びかかる。私たちの元へ茨木を送り返すつもりらしい。仮名さんはチラとこちらに視線をやり刀を左手に持ち替え

「邪魔よ」

片足を上げ右の拳に体重が乗せ茨木の頬を打った。バチンっなど可愛い音ではない。聞いているだけでも自分の頬が腫れ上がっていくような重低音に私と金時は反射的に自分の頬を抑えた。自分のことではないと頭ではわかっているが不思議と歯が何本か砕けた気がしてくる。頭上を通過する小さな塊は漸く立ち上がった虎熊童子と衝突し土埃を上げ転倒した。うっわぁ…痛そう。いや、絶対にあれは痛い。殴った側が痛みを払うように手を振るぐらいの威力だ。あんなの誰だって痛いに決まっている。

「子供相手に容赦ないなぁ。人の心っちゅうもんがないんかえ?」
「どの面下げて主張しているんだか。さっさと首落ちて死ね」
「ふふっ、バケモンがよう喋る。」

切れた紐を捨て衣服についた紐の結び目を解くと仮名さんは酒呑童子の威圧的な笑顔の前で手早く鞘と刀を結んだ。仕切り直すように刀を構えた彼女の横に金時が並ぶ。2体1。分が悪いと判断したのか、それとも興が冷めただけか。右手の甲に浮かぶ『しるし』を酒呑童子は見せびらかすように振ると自身が契約した術者を呼びつけ、大江山へと姿を消した。「それじゃあ、また今度」と呪いの言葉を残して。