天覧聖杯戦争 7

青白い月光が赤橙の朝日に塗り替えられていく。人喰い鬼が山へと帰り、平穏な一日の始まりに街の人が背を伸ばし挨拶を交わす。どこからともなく香ってくる腹の空く匂い。少しづつ賑わっていく通り。家屋から聞こえてくる生活音が汗に濡れた肌を冷やし少しづつ肩の力が抜けていく。私たちが守り抜いた昨日と変わらない光景を前に仮名さんは独り言のようにポツリと呟いた。決して奪わせはしない、と。

香子さんのお屋敷に戻ると朝餉を軽く済ませ昨夜手に入れた情報を整理した。仮眠を諦め身支度を整えた私達は酒呑童子達の企みを止めるべく現在進行形でとある大きな屋敷の前にて立ち尽くしていた。

「…」
「…」
「あの、2人とも大丈夫?」
「心拍数共に正常基準値を超えています。マスター、御二方とも極度の緊張状態であるように思われます」
「だね」

平安時代に活躍した源氏武者。頼光四天王、坂田金時、渡辺綱達の大将。冷徹無常な鬼殺しウーマンの屋敷を前に鉞担いだ金時は額当てから顎にかけてダラダラと冷や汗を流し、仮名さんはというと屋敷に到着する前からずっと落ち着かない様子で首を摩っている。昨夜の勇猛果敢な戦いぶりはどこへやら。勇敢な武者達が揃って顔を青くし膝を震わせる姿を見ているといかに当時の頼光さんが仕事熱心で子供の躾に厳しいお母様であったか伺える。カルデアの頼光さんに散々甘やかされた私には2人が何を恐れて小刻みに震えているか分からないが…もし頼光さんが渡辺綱のように問答無用で抜刀し迫ってきたら余裕で腰を抜かす自信はある。怒った頼光さん怖いもん!ね、金時!!
門扉を叩かなければ事が始まらないことは頭で分かっていながら底知れぬ恐怖に支配され体が上手く動かないのだろう。血管が浮き立つほど力強く握った拳で金時が門扉を叩こうと試みるが、あと一歩度胸が足りず、絵面が変わらないシーンが延々と続いている。この様子じゃ今日中に頼光さんへ会うことは叶わないだろうと内心諦めモードに入りかけた時だ。強ばった頬をバチンッと叩いた仮名さんが「よしっ!」と気合のこもった声で背筋を伸ばすと勢いよく右腕を振る。金時に代わり頼光さん宅の門扉を叩くのかと思いきや、仮名さんは何故か頼光さん宅の門前に背を向けると、道を挟んだ真向かいのお宅、つまり不在中の晴明さん宅の門の前で足を止め、

「一度晴明様のお家の門扉で試し叩きしてきてもいいですか」
「仮名さんっ!?」
「ち、違いますよっ!?こ、怖いとか、首落とされそうとか、そういうのじゃなくて!源頼光様といえばその、お、おお、鬼を…察してください!!」

まだここで倒れる訳には行かないんだ…と瀕死状態の主人公が言ってそうな台詞を呟き、顔面蒼白で晴明さん宅へ逃げ込もうとする仮名さんを段蔵さんが回収し現実と向き合わせる。仮名さんの気持ちは分からなくもない。だが限りなく人間寄りの仮名さんなら流石の頼光さんも目が合った途端首をはねるような酷い事はしないと思う。この時代の頼光さんがどんな人物かは知らない。けれどサーヴァントの彼女も人間の彼女も、人としての根っこの部品は私が知るカルデアの頼光さんと変わらないはずだ。
早くしないと日が暮れちゃうよと頭を抱える2人へ催促すれば、2人は互いに役目を押し付け…ごほんっ。激しい譲り合いの果てにただならぬ空気感の中互いの拳を突き付ける。まさかとは思うが…ジャンケンで決めるつもり?そして2人はそのまさかの方法で門扉を叩く生贄を決めるべく持ちえる全ての運を拳にかき集める。

「恨みっこなしだぜ」
「無論」

スッと息を吸い上げ、張り詰めた緊張感の中独特な拍子に合わせ拳を揺らす。ほいっ、ほいっ、ほいっ!と3度拳を揺らし、掴み取った勝利の拳を仮名さんが高らかに空へと突き上げた次の瞬間、

「まあ、まあ!お帰りなさい」

騒ぐ武者の間からきのこのように生えて現れた齢7つ程の女の子。急に現れた小さな気配に金時はビクンっと肩を揺らし、仮名さんは驚きのあまり段蔵さんへガバリと抱きついた。何処のお宅の子供かは薄らと空いた頼光さん宅の門を見れば一目瞭然だ。頼光さんに子供がいたなんて聞いた事ないが、親戚の子だろうか?身なりのいい格好で現れた女の子は向日葵のような笑顔で「家出は終わったのね」と金時へ微笑んだ。どうやらこの女の子は金時のことも金時が抱える事情も知っているようだ。対して金時はこんな小さな子供を屋敷で見かけたことは1度もないと言う。段蔵さんの感知器にも反応がないってことはサーヴァントではなさそうだし、何処からどう見ても普通の女の子に見える。頼光が待っているからと女の子は金時の腕を引っ張り門の内側へと連れていく。置いていかないでと私達も彼女達の後を追いかけ門境を踏み越えるが、

「仮名さん?」
「私は…」

重たい口をグッと結び、じっと道と境を見つめている。声をかけなければいつまでも立ち止まっていそうな雰囲気だ。立ち止まったまま動けずにいる仮名さんに気づき、私は震えた手を取り彼女を引き寄せた。

「大丈夫。何かあったら私が守ります」
「はい。飛び道具、刺客、全て段蔵めにお任せを!」

たどたどしい足取りで敷地内へ足を踏み入れた途端に仮名さんは怯えを殺すようにぎゅっと私の手を握りしめる。躓いて転んでしまいそうな足取りを支えるように彼女を引っ張って歩く。敷地内を嫌々歩く仮名さんの視線はじっと汚れた靴先を見下ろしている。スーパーで駄々をこねた子供を引きずる母親の気持ちが今ならよくわかる。これはかなりの重労働だ。素直に引き摺られて歩く仮名さんは何か言いたげに俯き唇を噛んでいたが少しも手を払おうとはしない。本殿が近づき人の影が増えると仮名さんは「…ありがとう」と独り言のように呟きゆっくりと顔を上げ自分の意思で前に足を踏み出した。まだ消えない恐怖心を抑えるようにギュッと繋がった手を握り返して。

前を歩く女の子の無邪気な笑顔と振る舞いについほっこりして警戒心が薄らぐが、門扉や廊下、敷地内に足を踏み入れてからというもの至る所で配置された武者に監視されている。あっちの武者もこっちの武者もじっとりと張り付いた視線を浴びせ、ここが頼光さんの御屋敷である事を意識せざるを得ない。段蔵さんが言う通り臨戦態勢とはまさにこの事。それに加え部屋の奥深くからヌルリと現れた頼光さんは金時を前にしても面持ち険しく、身内がこれなんだから部外者の私達を見る目は冷ややかというか氷点下に近い視線で、つま先から頭のてっぺんまで品定めするようにじっとりと見つめてくる。あっれぇ〜頼光さんってこんなに怖かったっけ?まるで虫を見るかのような視線にすっかり威圧され全身の震えが止まらない。呼吸が乱れ始める私へ段蔵さんからの耳打ちを受け落ち着け落ち着けと深く息を吐きなんとか平静を保つ。怪しまれる事は徹底的に控えないと。一瞬の緩みが一瞬の死に繋がる。

「其処なる女三名、何者ですか」

嗚呼終わった…しっかりと目をつけられたァ!!家出の件について金時と話し合っていたかと思いきや突然飛んできた白羽の矢に心臓が跳ねる。静かな殺意を向けられ一同ビクッ!と肩を揺らす。幸運にも頼光さんはまだ刀に手をかけていない。だが指先は少しづつ刀の柄へと近づいている。頼光さんといえば私の中では『お母さん』キャラで定着している。しかし母とはかなりかけ離れた、例えて言うなら浮気された恋人のような嫉妬と怒りに満ちた表情を浮かべ、お前たちは金時のなんだと強い口調で問いつててくる。怖っ!…少しでも頼光さんの意にそぐわぬ返答をした瞬間に首が飛ぶヤツじゃん!
たわわな胸が触れる距離まで詰め寄り、答えようによってはこの場で処断すると頼光さんは言い切った。それから彼女は金時に視線を移すとこの女達は何者かと説明を求めた。頼光さんの爪が肩にめり込み私と段蔵さんは痛みに呻く。真ん中に挟まれた仮名さんは頼光さんの威圧にあてられ既に意識が朦朧としているではないか。3人の若者の生と死を分ける重要な場面。命運を託された金時は神妙な面持ちでゴクリと唾を呑みこみ「頼光サン」と恐る恐る名前を呼ぶ。お願い金時、私たちを助けて。祈る私達の想いに、金時は数秒目を閉じ呼吸を整えると重苦しい空気を吹き飛ばすかのように蒼い目を見開いて快活に「母上」と頼光さんを呼んだ。母上と愛するわが子に呼ばれたことで気を良くした頼光さんは私たちの方を掴んだ手を引っ込めた。そして性別に突っ込まれはしたものの金時のやや強引な説得もあり何とか『友人』としてのポジションで頼光さんの機嫌を取り命拾いしたのだが…

「ところで、其方の女も金時の友人なのですか?私にはどう見ても【鬼】に見えるのですが」

と思ったらまだ修羅場は続いていたぁ!!そうだった、この人金時の母であり鬼斬の当主じゃないですかヤダー!!!
顔面と胸囲を武器にお前は誰だと仮名さんへ迫る頼光さんに私と段蔵さんは仮名さんの腕を掴み体を寄せる。

「頼光さん!彼女も私たちの友人なんです!!」
「鬼の気配は致しますが彼女は鬼ではありませぬ!!」

もし仮名さんを斬ろうものなら金時の友人たる私たち諸共斬ることになりますよ!とかなり無鉄砲な行動で説得を試みるが頼光さんの顔は依然として冷たく厳しい。

「母上っ、是なる者は我が命を幾度も救った命の恩人。斬っていい相手の区別くれぇ、アンタなら分かるだろ!?」

金時は頼光さんの前に立ち塞がり斬らないでくれと深々と頭を下げ懇願する。できることなら頼光さんとは戦いたくない。だがもし、鬼だから斬ると刀を抜くなら、気乗りしないけど頼光さんと戦うしかない。腹を括って頼光さんの返答を息を飲んで待つ。依然として頼光さんの表情は険しいが、先程とは違い彼女の手は刀から離れた場所にいる。「ええ、ええ、分かっていますよ」と地母神のような笑みを浮かべ金時に頭をあげるよう促す頼光さんだが、未だ仮名さんを自分の懐へ招くかどうかは吟味の途中らしい。

「この者からは鬼特有の不快さを感じません。“今は”斬るべき相手では無い、それくらい武者として承知しています。ただ金時の母として、この女は何者かと私は純粋な興味から質問しているただそれだけなのです」

つまりはあれか。鬼として斬る気は無いけど母親として息子の教育に影響を与えうる事案は全て自分の手でハッキリさせておきたいってことか。うーん、頼光さんの気持ちもわからなくはないけど素性を隠している相手に対し素性を明かせと迫るのはちょっと卑怯では…仮名さんはどう説明する気なのかと真横に顔を向けると、怯え続けていた女性はもうそこにはいなかった。

「源頼光様!」

大丈夫です。強く頷き絡む腕を解いた仮名さんは両膝をついて腰から抜いた刀を頼光さんの足元前に捧げると恭しく床へ額を合わせた。

「お初にお目にかかります源頼光様。素顔を隠し名乗ることをお許し下さい。私は仮名と申します。数日前洛外にて行き倒れていたところを金時様に拾われ彼の用心棒であり1人の友として刀を振るっておりました。頼光様が仰ったとおり、私は人でありながら鬼でもあります。しかし金時様の恩義に報いるためにも従者として、これからも傍で刀を振るうことをお許し下さい」

口元だけでも表情が豊かで、常に凛とした声で言葉を紡ぐ仮名さんが珍しく硬い表情を浮かべ声を震わせて頭を下げている。いつの間にか頼光さんの足元に引っ付いていた女の子が不思議そうな顔で頼光さんを見上げている。怒っているの?そう問われた頼光さんは怒っていませんと首を横に振った。
強ばった表情のまま女の子を別室へ遊ぶよう背中を押し、深々と頭を下げる仮名さんに向け顔を上げさせる。万が一に備え金時が背負った鉞に手をかける。そんな息子の反応を知った上で頼光さんは仮名さんの前で膝を床につき仮面の奥の姿をまじまじと見つめ、頬に張り付いた髪を優しく払った直後、初めて仮名さんに優しい母の顔を見せた。

「貴女…以前、何処かでお会いしたことはありませんか?とても初めて顔を合わせたようには思えないのです」
「…いえ。初めてだと思います。ですが、私も頼光様と同じような懐かしさを感じます。…そう、まるで、“母上”と話しているかのような」
「…まぁ。まぁ!まぁまぁ!!そうですか!そうでしたか!!」

ナイス対応!仮名さん!!
さり気なく“母上”を強調した返しでスルリと頼光さんの懐へ近づき、見事頼光さんが懐へと抱き込んだ。
母と呼ぶことを許され、キュッと首を絞め落とす勢いで抱きつかれた仮名さんは顔こそ見えないもの空を高速で叩き息苦しさを主張している。私もカルデアの頼光さんによくあれをされたから仮名さんの苦しさは身に染みてよくわかる。豊満な胸ほど苦しいものは無い。うんうん。
初めて金時が友人を家に連れてきたことへ目に見えて舞い上がっている頼光さんはお菓子を持ってくると軽い足取りで席を立った。頼光さんもあの女の子も去った。武者は依然として控えてはいるものの先程のような冷ややか視線はなく、静かに任された場に目を閉じ座っている。嵐が通り過ぎたあと床で力なく倒れた仮名さんは産まれたての子鹿の如く四つん這いとなり、木目の床に冷や汗を垂らしながら激しく首をさすっている。

「私の首と頭、まだ繋がっていますか…」
「おう…五体満足な。どこも欠損してねぇようで良かった良かった。いやぁ〜頼光サン相手に一時はどうなるもんかと思ったが、上手くやったじゃねぇか!!」

流石俺の用心棒だな!と労うように親指を立てにっこり笑う金時だが、精神的、物理的面から頼光さんにびっちりと迫られた仮名さんに軽口叩いて笑う余裕はなかった。疲労困憊を顔に張りつけた仮名さんはもう嫌だ!と声を張り上げると糸が切れたようにその場で丸くなり死者の如く悲しげに呻いている。

「もうお腹いっぱいです。他に居ませんよね…渡辺様とか卜部様とか碓井様とか。もう気を抜いてもいいですよね…言葉通り寛いで菓子を食べても良いのですよね…」
「仮名殿、落ち着いてくださいまし。お気を確かに!!」

暫くほっといてくれませんかと足を投げ出し長い溜息を着く仮名さんは皮肉にもこの場にいる誰よりもだらしなく寛いでいた。だが流石生真面目仮名さん。頼光さんの足音が聞こえてきた途端に彼女は恐ろしい速さで身なりを整えお手本のような正座で座り直すと頼光さんが持ってきた菓子を上品に食していた。それはついさっきまで足を投げ出しもう嫌だと愚図っていた女性とは到底思えない、静謐で隙のない高貴な女性だった。