詩を紡ぐ

啜り泣きながら床に散った文をかき集める女童がいた。歳は私とそう変わらず、はねた髪を無理に束ねた元結から彼女が噂の『白米盗人』だと合点した。白米盗人というのは名の通り夕餉に出す白米を辞職も辞さない構えで1口、2口と摘み食いし、その日の夕餉に出されるはずだった白米を全て食べてしまったという珍妙な事件を起こした侍女見習いである。あれはこの屋敷に来て最も腹を抱えて笑った珍事件だった。だって空腹を理由に私の分はともかくあの方の分まで手を出すなんて怖いもの知らずもいいとこだ。だが彼女の奇想天外な行動のお陰で最近は白米盗人の噂ばかりが屋敷に流れ私の存在が少し薄まってきて私としては万々歳である。最近姿を見ていなかったからてっきり屋敷から追い出されたのかと思い心配していたが、元気そうでよかった…相変わらず珍妙な問題を起こしているようだけども。事実に向かう道を逸れ私も拾いますよと声をかけ床に膝を着くと白米盗人元い女童は「ありがとうございます!」と返答するも私の顔を見るやいなや青白い顔で散らばった文を床へ飛びつくように抱き集めた。

「仮名様っ!!な、何故ここに!!?こちらは主様の部屋があるだけでして仮名様の部屋は反対の方でございましょう!?」
「ええ。それはそうなんですが。貴女が見るからに困っているようだったので手を貸そうかと」
「け、けけけ、結構でございます!!仮名様に落し物を拾わせるなど主様に知られたら私今度こそ屋敷から追い出されてしまいます!!」

庭に散った文を拾いに草履を履くと女童はわかりやすく慌てふためき草履も履かず庭に飛び出した。それほど私に手伝って欲しくないのか。白足袋が汚れることも構わず庭を走り回る女童に真名は一つため息をつき、1枚だけにしておこうかと足元に落ちていた文を拾い折り目通りに畳もうとした時だ。

「仮名様見ては行けません!!!あーー!!!!」

女童が虚しい叫び声をあげた時にはもう手後れだった。なぜこの屋敷にあるはずもない文がここにあるのか。しかもそれを何故貴女が抱えていたのか。血の気が引いた顔に全て説明しなさいと真名は険しい顔つきで言い放つ。すると女童はしどろもどろと言葉を返しこの場を収めようと試みたが、ついうっかり口を滑らせてしまった『綱』の一言に真名は躊躇うことなく文を破り捨てた。悪いけど全て燃やしてくれるかしら。そう言い残し鬼のような形相で綱の部屋に向かった真名を女童は『嗚呼、私今度こそ追い出される』と何十枚もの文を抱いて泣き崩れた。

声もかけずに障子を開け放ち優雅に筆を取る渡辺綱へ『文』について問い出した。女童のように視線を泳がせ言い訳を並べるかと思いきや、彼は『そうか』と繕うこともなく事実を認め筆を置いた。なんてあっさりした告白だろう。ちょうど返事を書き終えたところだと動揺も焦りも感じさせない声音でまだ墨が乾ききれていない文を渡された途端、プツンっと私の心の中で張り詰めていた糸が切れた。心の支えだった文の方に裏切られた。それどころか眉目秀麗な面の裏で哀れな女の嘆きを嘲笑し寝る間も惜しんで筆を執る私を弄んでいたのだ。どこまでこの屋敷の人間は根が腐った陰湿な集団なのか。
…もう我慢ならない。真名は拳を震わせ怒りと悲しみに歪んだ顔で綱を睨みつけるとこれまで積上げてきた不満と憎悪にまみれた言の葉を間断なく浴びせた。気が立っていたこともあり吐いた具体的な言葉は何一つ覚えていない。ひとつ悪態を着く度に目からは涙がボロボロと零れ落ち、それを静かに見つめる彼がそうかそうだったのかと相槌を打つ傀儡のような態度のせいでどっちが加害者か分からない。屋敷に越してきてから今日に至るまで、溜め混んできた感情も言葉も全て、真名は余すことなく全てを綱にぶつけた。そうして数分にわたる涙混じりの告白は真名が放った『嫌いよ!!』の一言で幕を閉じ、出番を逃した綱の両手は怯えたように狩衣の隙間にねじ込まれていた。
綱の制止も聞かず、1人涙を拭いながら自室に駆け込んだ真名は怒りを顕に障子を閉め、引き出しに隠していた小刀を握ると勢いに任せ長く伸ばした髪を切り落とした。何もかもが気に触れて仕方がない。鬱陶しい髪も重い衣も感情を揺さぶる文も筆も何もかもが目に触れるだけで遠ざけずにはいられなかった。重ねた単を投げるように脱ぎ捨て切り落とした髪ごと部屋の隅に蹴り飛ばす。ずっと溜め込んでいた文は全て破った。頭の奥で激しく素行を叱責する母の声に煩い!!と両耳を塞ぎ、気が済むまでしゃくりを上げて泣き喚いた。もう嫌だ。もうこんな場所で息をしたくない。死にたい。殺してくれ。剥き出しの刀身を握りしめ1畳の上で体を丸めた真名はうっすらと血を流しながら祈った。

「姉様…姉様どうか私を連れて行って」

どうか目が覚めたらこの地獄のような空間から抜け出せますように。意識が飛ぶまで真名は泣き続け声を枯らし、馬鹿言わないでと頬を叩かれたような小さな痛みをきっかけに眠りへと落ちた。

空に星が輝く頃、頬を叩かれ目を覚ました。目覚めた直後、手の平に走った火傷のような痛みに顔を顰める。手当された掌を睨みながら重たい体を持ち上げた私は頬を叩いた人物を知り、また別の意味で目じりを吊り上げた。なぜ貴方が私の部屋に。胡座をかき薄暗い部屋から月を眺める嫌味な人は荒れた部屋や酷い身なりに言及することなくたった一言「腹は空いてないか」と尋ねた。畳を血で染め上げた気狂い女にかける第一声が腹の空き具合の確認とは本当にこの人は私への興味など微塵も無いのだろう。他にかける言葉は無いのだろうか。家主に対してあの態度はなんだ!とか。どこで小刀を手に入れたのか!とか。鞘に収まった小刀に言及することの無い気遣いが癪に障ったが、これ以上腹を立てるのも疲れるだけだ。彼の言葉全てを耳で塞いで受け流し、月に背を向け血腥い井草の匂いに顔を顰める。よくこんな汚い部屋で月を摘みに酒が飲めるものだ。ハンっと鼻を鳴らしながら真名はすぐ手が届く距離に散っていた文を取ると丸めて壁に向かって放り投げた。

「侘しい女の心を弄んだ上に真実を伏せ私の心を密かに盗み見ていたとは、さぞかし良い退屈しのぎになったことでしょうね」

自嘲気味に笑いくの字に曲げた足を胸に引き寄せる真名を綱は静かに傷ついた横顔を見下ろしている。そうして手持ち無沙汰に手を伸ばし紙を丸め壁に向かって第二球を投げた時「貴女は文才があるのだな」そう言って綱はクイッと酒を煽り薄らと口角を上げた。この程度の褒め言葉何も嬉しくはない。中身がないし感情もない。だから心にも残らない。

「機嫌取りですか?そういうの間に合ってます」
「まぁ聞け。昔から俺は筆よりも武芸を好む質でな。文を書いてみたはいいが頼光様に拙文だと笑われてしまった」

頼光様に何度も手直しを受けたと語る綱様の耳は酒か羞恥心か、朱を塗ったように赤く染まっている。詩も頼光様と書いたのかと尋ねると彼は詩は流石に見せられなかったと気恥しそうに告白した。なるほど、通りで。

「これまで多くの詩を頂きましたが、貴方の詩の酷さは最たるものでした」
「…そ、そうか」

枕詞も掛詞も使わず淡々とありのままを風景や感想を三十一音で綴られた詩は率直に言うとあれが詩と認めたくないほどにそれはもう酷かった。酷すぎるあまり新たな技法か何かと勘違いし、一日中頭を抱えて三十一音に込めた意味を強引に見出そうとしてしまった。
秀逸な詩は名前しか知らない殿方から沢山貰ってきた。どれも私には思いつかない秀逸なものばかりで、なんて素敵な方なんでしょうと胸を高鳴らせたのも数しれず。されど気が滅入り食事も喉を通らない時、私を鼓舞してくれたものは愛を綴った文ではなく私の知らない世界を淡々と語り稚拙な詩を添えた文だけだった。この人の手の上で二面相していた事実は文を破りたくなるほど恨めしく腹立たしいけれど、全て私の為の善意と憎みきれないのもまた事実。

「けれど、こうして今の私があるのも貴方の下手くそな詩と文のお陰と思うと悔しいですがなんだか面映ゆいですね」

部屋の奥で引き篭もり続けてきた生活を変えるにちょうどいい薬だった。
口付けた猪口を離し恐る恐る振り返る綱に真名は今の言葉は聞かなかったことにして欲しいと両耳を塞ぎ胎児のように体を丸めた。ついらしくも無い言葉を呟いてしまった。気を紛らわすようにそそくさとまた文を投げ、こっち見ないでくださいと両目を隠した真名に綱は薄らと口角を上げ畳の上で丸くなった猫のような女を眺めながら猪口を空にした。

「顔を合わせるとつい言葉を削ぎ貴女の機嫌を損ねてしまう。ならば文にしたためた方が気持ちも伝わると思った」
「そう、でしたか…それならそうと伝えてくだされば…いえ、私にも非はありますし……余計なお世話かもしれませんが文の最後には名前を書いておくものですよ…お陰で私は立派な醜女です。これでは姉様に顔向けでません」
「??どこが醜女なんだ。貴女の見目は変わらず可憐だろう」
「…はぁ」

この人のこういうところが苦手だ。本当に思ってるかどうかも分からない言葉を率直に易々と。もしこれで歌の才があれば間違いなく京一の美男子に…違った。この人歌の才が無くとも引く手数多だったか。
穴が空くほど見つめられて、月でも見てなさいと手で視線を振り払う。しかし依然として寄せられる視線に私は逃げるように身動ぐとうつ伏せになり耳を塞ぎ、

「貴方のそういうところも苦手なんです」

知りたくも無い感情を刺激され少しづつ火照っていく肌を隠すように真名は両手で顔を覆った。