空さえ見えないの

屋敷の主が変わっても私がやる事は同じ。狭い部屋の中で堅苦しい衣に袖を通し、迎えが来るまで適当に時間を潰す。この世の醜悪を集めたような屋敷とは違いここは穏やかで鳥の囀りがよく聞こえる。好ましい場所だ。部屋の隅に武者が控えていなければもっと好ましい空間になるのだろうが。筆を持つ気も琴を奏でる気も起こらず、何となく机に伏せ足を揺らし真っ白な障子越しに明るい世界を想像してみる。頼光様の御屋敷は庭の手入れが行き届いているだろうからきっと立派な松が植えられ池や花など風情ある庭に違いない。ちょっとだけでも障子を開けて庭を眺めてみたいが私にはそれをする権利が与えられていない。表向きの理由としては婦女子だからというが、部屋の至る所に五芒星の札が貼られている時点で嫌でも察しがつく。何処に行っても私の周りには無愛想と作り笑顔しかない。密室な部屋も相まって息が詰まりそう。

「失礼致します。お手隙ならば私と少し歓談でもどうでしょう?」
「頼光様。お久しぶりでございます。お変わりないようで何よりです」
「ふふっ、ありがとうございます。その衣、よく似合っていますね」

帰りはそれを着て帰るといい。
襖を空け顔を見せた屋敷の主、頼光は部屋に控えさせて武者を下げると寛いでいた真名へと歩み寄り少し話しでもと腰を下ろした。真名は慌てて身なりを整え畳に額が着くほど深々と頼光へ頭を下げる。真名にとって頼光とこうして顔を合わせるのはこれで二度目だ。置かれた境遇もあってか頼光は真名に畏まる必要は無いと初対面の際に伝えていたが威風堂々とした迫力を前に強く出ることなどできない。もしや彼は私が頼光様を恐れていることを知っての上で屋敷に連れてきたのだろうか?だとしたら次の脱走はこれまで以上に早いとだけ伝えておこう。頼光様は刀を携えていなかった。しかし彼女の口から紡がれる言葉は太刀のごとく鋭い切れ味で此度の騒動の事情聴取を始める。

「事情は全て綱から聞いております。真名、綱に至らぬ点があったならば私にお話ください。もしそうでなければ此度の騒動について説明を」

冷たい眼差しが私に向けられている。頼光様は全て聞いていると仰ったが、あの人は実際のところどこまで頼光様に話したのだろう。初めての逃避行からだろうか。それとも文通相手を知り感情のままに怒鳴り散らしたところ?それとも…もしかしたら今回の脱走事件だけ。
彼の至らぬ点を挙げようとしたがそれ以上に出てくる己の至らぬ点に頭が痛くなる。他人気持ちを汲み取れない傀儡のような人。けれど完璧な人間とはきっとあの人のことを指すのだろう。嗚呼恨めしい。自分の醜さが際立って仕方がない。

「…綱様に至らぬ点はありません。ただ彼がほんの少しばかり仕事熱心故に意見のすれ違いが起こり家出を。彼は生真面目がすぎます。私とは性格が合わないのです」
「あら、そうでしょうか?私にはお似合いのように見えますが」
「…」

頼光様には私とあの人が仲良く手を繋いでこの屋敷を訪れたように見えたのだろうか。小脇に抱えて運んだ挙句部屋の中に放り投げたんだ、あの人は。これがお似合いだなんてよくもまあ!

「綱が不満と仰るのであれば今からでも卜部や碓井に変えても構いませんが」
「それは…」
「ふふっ、冗談です。貴方が綱以上に彼らを好ましく思っていないことは私も承知しています。ですがあまり綱を困らせないように。あれは貴女だけでなく弟弟子に苦労しているものですから」

意地悪な人だ。天女のような優しい顔をしてはいるがこの人も所詮は源氏の1人。人であり人じゃない。…嫌いだ。

「いつ私を殺してくださいますか」

徐に自身の首を撫でた私を頼光様はムッと眉間に皺を寄せる。この手の話がこの人が苦手としていることを知っていた。だから敢えてこの話を振った。私なりの地味な嫌がらせというやつだ。

「…それは私共ではなく晴明殿が決めることです。真名、そう死に急ぎなさらないで。貴女はまだ若いのですから沢山のことを経験すべきです」

沢山のことを経験すべき、か。障子一枚自由に開けることが出来ない私にどんな経験ができるというのだろう。

「貴女の置かれている立場は私も重々承知しています。ですが、可能であればもう少し綱に心を開いてはどうでしょうか?具体的には、そう。もう少し態度を和らげてみるとか。そう何度も姿をくらまされては私共も少しばかり対応を改めてなければなりませんよ」

心を開く。開いたところで彼の仕事熱心ぶりは変わらないだろうし、風の噂であの人想い人がいるって話を聞いてしまったからには心を開く利点もないと思うが。
いいですよね、あの人は。私の首を切り落とせばその想い人と結ばれるのでしょう?いいですよね、選択肢がある人生は。私は何一つ自分で決めることを許されないのに。どうして、どうして私だけが…私だって自由に…。

「…私など放っておけばいいじゃありませんか。どうせ何処へ行こうが晴明様の掌の上なんですから」

追っ手から逃げられても運命からは逃れられない。あの人が私を連れ戻さなくとも私の居場所は晴明様に筒抜けで、どれほど離れようがいずれ自分の足で戻る道しか残っていないのに。彼は希望を求め少しでも外に向かって逃げる私を許さない。その堅物で仕事熱心な態度が私は嫌で嫌で嫌で嫌で!!

「…夕餉を用意しました。食べていかれてはどうでしょう。それと、短い髪もよく似合っていますよ」

そう言い残して頼光様は部屋から去っていった。
…短い髪もよく似合っているのか私。
そっか。
…っ。