深い傷は1時間、浅い傷は30分。それを秒に縮めるまで3年と少し時間がかかった。ストップウォッチとカッターを使った簡単な人体実験。切った野菜が再生する実験から着想を受け実際に行動に移したのは2度目の孤立をくらってすぐの頃。魔女だの化け物だのあまりにも周囲から恐れられるものだからじゃあ自分はどこまで人間の枠から外れているのか試してみようと親が帰宅するまでの2時間の猶時時間で毎日記録を取り続けた。実験を初めて気づいたことは3つ。1つ、実験を重ねる度に再生速度が増していること。2つ、傷の治りが加速するに比例して疲労が溜まっていくこと。3つ、治るからといって痛みを感じないわけではないこと。

嫌な記憶が蘇りそう。垂れる鼻血を手の甲で拭ったなまえは地下室特有の薄暗さに目を細めたまま前方の巫山戯た敵に向かって拳を構える。1発目は腹部、2発目は顔面だった。座り込む暇も与えず矢継ぎ早の右ストレートになまえは間一髪のところを左腕を犠牲に庇った。しかし想定外の力に吹き飛ばされ、車に跳ねられたかのような衝撃に足が浮く。まるで見えない糸に引きずられているかのような、派手に床を転がった彼女へ容赦なく放たれた左ストレートになまえは起き上がり直後の脳を強く揺さぶられ目の前が暗転した。それから何分意識を飛ばしていただろうか。眼鏡が落ちた音までは記憶しているが、その後のことを思い出そうとしても直前の奇妙な夢の詳細しか思い出せない。腹の上を飛び跳ねる不快な感覚と共に意識が浮上して、モルモットのような鳴き声になまえは嗚呼そうだったと額を抑えた。くそっ、忌々しい人形の悪魔め。丸いボディにつぶらな瞳、しまい忘れた歯茎、ぶさ可愛い見た目とは裏腹にその行動はちっとも可愛くない。ゆるキャラが人を殴ったらダメでしょうが。まったく、九州の黒熊だってセクハラ紛いなことはしていたが人間を襲う熊ではなかった…たぶん。今日は降参だと両手を上げ負けを認めるなまえを煽るようにご機嫌な悪魔はキレのある拳で風を切っている。まだ遊び足りないとでも言うのか。勘弁して欲しい。
今日を含め残り14日。これ以上の強者があと2体も素振りしながな控えていると思うと気が重くなる。なんであんな無謀な約束結んだんだっけ。アイスよりも自分の命を優先すべきだったと、なまえは布団の上で寝そべるかのように瓦礫の下で両手を広げ大の字に倒れた。

事の発端はなまえが無事高専に連れ戻された日まで遡る。

伊地知さんの長ーーいお願い(本人的には叱っているのだろうが少しも怖くない)も終わり、さぁ寮に帰ろうと正座で痺れた足を解していると伊地知さんと変わるように夜蛾学長が現れた。『話がある』と話をするには広すぎる薄暗い地下室に呼び出され停学か退学かと尋ねると学長はどちらも違うと否定する。じゃあ次は学長の説教でも始まるのかと身構える私に学長は「あれを見ろ」と部屋の端に置かれたゆるキャラグランプリの下層で燻ってそうな人形を指さして規則を破った罰として2週間呪骸の面倒を見る事を言い渡した。呪骸…所謂動く人形。いくら学長お手製の呪骸であれど人形に世話なんて必要ないと思うのだが、製作者が必要だというなら面倒を見ざるを得ない。夜蛾学長が私に課した罰は至ってシンプル。2週間の間に呪骸3匹が満足するまで遊んでやるというもの。3匹が満足するまで遊んだ暁にはバッツ1箱と小遣いの昇給、1匹でも不満だった場合は小遣いの減給。不満だった場合のリスクが些か大きすぎる気もしたが2週間呪骸が満足するまで遊んであげればお小遣いが増える上に高級アイスが一箱もらえる。バッツ、お金持ちの食べ物、誕生日ケーキよりも食べた回数が少ないとても美味しいアイス。人形が満足するまで遊んであげるなんて子供を相手にするよりも楽に違いない。そんな謝った見積もりで『頑張ります』と拳を握った直後、一生忘れられない手加減を捨てた右ストレートになまえは冷たい床の上に転がりこてりと意識を飛ばした。

ゆるキャラと出会いゆるキャラに弄ばれることはや5日目。昨日と同じ日々の繰り返しに焦りを感じずにはいられなかった。

「行くぞ〜」
「たかなー」

今日も空が青いなぁと嘔吐寸前で投げ飛ばされパンダと顔の良い先輩の間を往復する。一応受け身の特訓だと聞いているが私には単なる後輩いじりとしか思えない。姉妹校交流会で京都組に勝つため先輩方が直々に稽古をつけてくれているのだが今のところ何の役にも立っていない。受け身よりも先に実践で(特に対呪骸用の)使えそうな体術を教えて欲しいのだが、勉強も運動も基礎を固めてこその応用だと言われたら納得せざるを得ない。ほぼ同時期に受け身の練習を始めたはずなのに、伏黒君も釘崎さんも真希先輩達に混じって次のステップに進み一方私はと言うと未だパンダ先輩と狗巻先輩の間を行ったり来たり。まるで進歩が感じられない酷い有様だ。

というか、今更だけど非戦闘員に受け身って必要あるの?

考えたところで拷問のような特訓は続く。また学習もせず顔面不時着を決め込もうとした進歩のない後輩を狗巻先輩は嫌な顔一つ見せず受け止めてくれる。気の所為だろうか、滞空時間が1つ前の投げよりも長く感じたのだが。何度投げられても受け身が取れない落ちこぼれに先輩方が少しずつ危機感を覚えていく中、無様に芝生に転がされたまま私は遠くから聞こえてくる悲鳴に顔を向けた。視線の先には真希先輩に扱かれる伏黒くんと釘崎さんの姿。受け身が終わったら次は呪具の訓練か。かっこいいなぁ真希先輩。動きに無駄がなく、人数差など諸共しない呪具捌きはアクション映画さながらのダイナミック且つ素早い動きで的確に相手の急所を突いている。もしも私が真希先輩くらい動けたらグッキーなゆるキャラに一発お返しできるだろうに。重心にぶれがなく攻撃を去なした直後の反撃は戦闘慣れした伏黒君ですら反応に追いついていない。隙を与えない前のめりな反撃スタイル。動作の始まりと終わりは決まって構えの姿勢を保ち相手の出方を伺い先手先手を読みながら攻を主軸に守を使い分けている。かわして蹴る。去なして蹴る。なるほど、あの動きを真似すれば…

「よそ見は感心しねぇーなー」
「ツナツナ」
「違っ、パンダ先輩ちょっと待って!吐く、吐くから。無理無理無理無理!あーっ!!?」

重要なのは安定した重心と常に攻めを意識した添えるだけの守り。構えは崩さず、冷静に相手の先手を読みながら弱点を的確に突く。

「今日こそ決着をつけてやる」

軽い準備運動を終え互いに拳を構える。薄暗い地下室、たった一つ天井からぶら下がる電灯の瞬停を合図にカッパの呪骸は床を蹴りあげ顔面目掛けて飛びかかってくる。いつもの私ならここでビビりながら拳を交わすことばかり考えているだろうが、今日の私はいつもの私とはひと味違うのだ。振り返ると私は人生で何度も修羅場を経験しておきながらも受けた攻撃に対しての反撃方法を知らなかった。けれど宙を舞いながら必死になって目に焼き付けた真希先輩の反撃の構えが私に妙な自信と希望を与えてくれた。私は真希先輩のように体が柔らかいわけでも反射神経に長けている訳でもないが、いつまでも大人しくサンドバックにされ続ける気は無い。物は試しだ。逃げ腰のまま2週間過ごすよりかはマシ。真希先輩の構えを思い出しながら足を開き重心を落とす。深く息を吐き、邪念を捨て、とにかく目を開き続けること。
初手はいつも通りの右ストレート。これを左腕で軌道を大きく反らせ、鈍痛に悶えている暇もなく続く左ストレートに身をかがめ小さな的目掛けて拳を突き上げた。やった、初めてお見舞した1発だ。柔らかい綿の感触を手の甲で受け止め反撃の一打に心臓を高鳴らせるのも束の間、ボールのように天井、壁、床を縦横無尽に跳ね回りながら額に筋を浮かべ戻ってくるカッパになまえはすぐさま気持ちを引き締め直す。どこを狙ってくるだろうか。腹…いや、顔だ。鼻を狙った右ストレートが来る。僅かに後ろへ引いた左腕になまえは歯を食いしばりどっしりと構える。恐らくさっきと同じ手は通用しないだろう。拳を去なした後どう反撃に転じればいいか迷っていたなまえはふと気づいてしまった自分とカッパのリーチの差にニヤリと笑った。外せば今日もサンドバック、だが当たれば今日でカッパとおさらば。迫り来る緑の悪魔が放つ拳になまえはすれ違うような距離で自身の右腕を伸ばし握った拳を紅葉のように大きく開く。これが俗に言うゾーンというやつか。迫る拳と鼻の距離感はわずか数mm。しかしなまえは少しも瞬きすることなく垂れる唾液ごとその緑色の顔面を指が食い込む圧倒的な力で握り潰すとピッチャーのように振りかぶって地面に形成したクレーターの中心にカッパを埋めた。パタパタと四肢を動かすカッパにまだやる気かと再度体を持ち上げ地面に叩きつけるとカッパはついに抵抗を辞めお子様ランチで突き刺さってそうな白旗を振った。…ということは、つまり私の勝ち?私、ついにやったの?

「やった…やった!勝った!!学長!私1体倒しましぶっ!!!?」

ほら見てください!と空間の端に設置された監視カメラに向かってピースを向けた直後、デジャビュのような展開に負傷した頭を抱え舌を打った。このやろぉ…カッパの次はカメか。しかもカッパよりサイズ感でかいし見るからに強そう。どうか見掛け倒しでありますように。なまえは再度重心を落とし拳を構えた。突進型のカッパと違い受け身型のカメ相手になまえはとりあえず蹴る殴るを繰り返した。しかし結果は今日も相手を変えたサンドバッグ状態。敗因は単純、全身甲羅で固めているのかと疑うくらいにカメが硬すぎる上に、攻撃が全て掠りたくないほどに重すぎるのだ。

「おっ、やっと来たな。待ちくたびれたぜ」

呪骸と殺り合うこと6日目。カッパとの一戦を制し体の動かし方をなんとなく掴めるようになり完璧ではないものの及第点レベルの受け身がとれるようになった。非戦闘員なんだからここらで勘弁して欲しいと願う私の想いなど知ったことかと、パンダ先輩達に背中を押されやってきた次の特訓指導者は真希先輩。直接の指導を受けるのはこれが初めてになるが、事前情報を取り入れすぎたが故にこの先に待つスパルタ教育の恐ろしさに足が震える。ゆるキャラ達とはまた違った怖さだ。いくら傷の治りが早い体質とはいえ、そのしなやかな脚で鞭のように蹴られている未来を想像するだけで吐きそう。しかも今回からコンビネーションを高めるために釘崎さんとペアで動くことになる。同じ1年生とはいえ初心者の私とは違い彼女は呪術師歴が長い。普段の言動、対人関係、コミュニケーション能力に長けた彼女をイラつかせるのは得策ではない。右も左も分からない初心者はせめて釘崎さんの邪魔にならないよう上手く立ち回っていかないと…金槌で殴られそう。

「なまえ、お前呪具の扱いは初めてか?」
「呪具どころか呪力も扱えてません」

何もかもが初心者だから手加減してくれとアピールを込めて包み隠さず現状を報告した。すると驚いた声を上げたのは真希先輩ではなく釘崎さんで「反転術式が使えるんだから呪力の扱いなんて手馴れたもんでしょ?」と肩を竦めた彼女に私はそうでもないと顔を横に振った。誰だって基礎が出来なければ応用ができるはずがないと否定するのは妥当な考えだろう。しかし五条先生曰く、私の体にはマイナスをプラスに変える変換器なる物が無駄に備わっているようで生み出した呪力を無意識のうちに反転させてるらしい。だから呪力を使いたいなら人一倍呪力を意識したまま変換器のオンオフを切り替える必要があるという。つまり私は人一倍自己防衛に長けた‘非戦闘員’という事だ。可能であればこれ以上戦闘技術を磨くよりもサポートの技術を磨いていくべきだと思うのだが、姉妹校交流戦が控え熱心に先輩方から指導を受けている手前巫山戯た弱音は口が裂けても言葉にできない。

「まっ、なんでもいいか。呪具振り回すのに呪力はあんま関係ねぇしな。んじゃ、とりあえずこれ貸してやるよ。初心者にはピッタリのやつ」

そう言って真希先輩が貸してくれたのはとても切れ味の良さそうな‘鉈’。初心者って何か考えさせられる謎のチョイスだ。子供用だから問題ないと真希先輩はケラケラと笑っているが武器に対象年齢ってないと思う。というかたとえ対象年齢が上だとしても振り回していいものじゃないと思う。でも素手で戦うことに自信が無いので有難く貸してもらうことにした。切れ味良さそうだし、不思議なことにまるで自分の1部のように手に馴染んだ。

「やぁあああ!!!」

気合いの入った声とともになまえは鉈を振り下ろしカメは余裕気な顔で両腕を前に出し顔を覆う。恐らく渾身の一撃を弾くつもりなのだろう。チッとなまえが舌を打つ。舐めやがって。真希に叩きのめされること3日、それと並行し呪骸と殺り合う多忙な日々。野薔薇と共に目にも止まらぬ素早い蹴りに打ちのめされてきたなまえだが、ただサウンドバックにされていた訳では無い。
確かにぬいぐるみの性質を捨てた体は悔しいが傷一つ着けることはかなわない。だがあっちで蹴られ、こっちで殴られ、喧嘩三昧の日々を送っていると本人の意思とは関係なく呼び起こされる生存本能が体を進化させていく。相変わらず体に撃ち込まれる呪骸の一発は重く気を抜い瞬間足から崩れ落ちてしまいそうになる。だが来るタイミングさえわかっていればいくらでも対処出来る。真希先輩程強い訳でもないし、あと2、3発なら余裕で耐えられる。ただ攻撃を受け続けているばかりじゃ勝てないから攻撃に少し工夫が必要だ。今のように何も考えず鉈を振り下ろしているだけじゃいつものように弾かれる。だから呪具の切れ味をさらに磨きあげる。素手と違い呪具は持ち主の呪力量関係なく一定の呪力を帯びている。そして0と虚数を抜いた場合、マイナス×プラスはマイナス。つまりこのイカれた体でも呪具の切れ味を磨くことは可能というわけだ。鉈が纏う青い炎が紫へと変化し轟々と燃え盛るそれを岩をも叩き割る勢いで振り下ろす。自らの力を過信し胡座をかいているから切り落とされるんだ。その程度の攻撃なら弾けると前に突き出された剛腕を切断し、続けざまに放った二連撃で胸を裂き白い綿を引きずり出す。もう一発。地面を蹴りあげ距離を取るカメをなまえは同じく地面を蹴り追いかける。しかし腕が届かないと分かるや否や、握っていた鉈を投げ飛ばし壁に縫い止め見事呪骸に白旗を振らせた。よし、これで2体目おしまい。約束の期限まであと6日ある。さっさと3体目も仕留めてバッツ、バッツ。

「よし、最後も頑張らないとぉっ!!?ったぁ…だからっ!!!」

少しは勝利の余韻に浸らせてよ!!!
コツンっと後頭部に直撃した小石になまえは痛む箇所を擦りながら振り返る。小さいカッパ、中ぐらいのカメ、そして暗がりから現れた2メートル近くある巨大ウサギはこれまでの呪骸とは一線を引く王者の風格を纏っていた。つぶらな瞳が浮いて見える歪な笑顔、黄ばんだ前歯、白い腹には血を拭った形跡が薄らと残っている。間違いない、このジャイアントウサギ、確実に数人は殺っている。殺らなければ殺られる…だがこのウサギ全くといっていいほど隙がない。どこからバラせばいいのだろう。風を切り飛んでくるファンシーな拳をなまえは間一髪で腕を犠牲に受け止める。中に格闘家でも入っているんじゃないのか。靴の裏をすり減らし何とか受け止めた一撃は見た目以上に重く身体が痺れた。規格外の相手だ。たった一撃受け止めただけで心も体もすっかり恐怖に呑まれている。これに残り6日の間で勝たないといけないというのに…どうしよう、勝つイメージが全く湧かない。そもそも相手は2m級で手足のリーチは圧倒的にこちらが不利。鉈を振り回したところで当たる前に強烈な打撃を喰らってしまうだろうし、蹴る殴るで勝てる相手ではないだろう。相手の行動パターンを探るにしても残された僅かな時間で白旗を振らせることなんて可能なんだろうか。
朝から晩まで動き回りベッタリと体に染み付いた疲労はたった7時間の睡眠で回復できるはずもなく、つい平和な時間にうつらうつらと舟を漕いでしまう。これが休み時間の出来事なら誰にも怒られていないだろうが、残念。今は一般教養の時間だ。

「みょうじ、居眠りするほど私の授業は退屈か?」
「いえ、そういう訳では」

生徒が40人もいれば1人居眠りしたところで授業は止まることなく進んでいくだろうが生徒3人のうち1人が居眠りをしていたら声をかけたくなるのも無理はない。私が教師の立場なら声をかけずともムッとしてしまうだろう。だけど…苦手なんだよなぁこういう、人が困る顔を内心ほくそ笑んでいそうな性悪教師。表情を見ただけで次に何をするか手に取るようにわかる。

「まぁいいだろう。問3の答えを言ってみろ」

ジャイアントウサギもこの性悪教師みたいに次の一手が分かりやすかったらいいのに。奇想天外な動き、ついて行くだけでやっとな速さ、そして何よりも厄介なのは指が痺れる重い攻撃が攻め込む気力を削いでいくこと。気持ちは萎える一方だがまだ私の心は折れていない。アイスに懸ける想いは今も尚胸の奥で静かに燃え続けている。1箱、1箱だ。1個ならまだしも1箱はデカい。あの忌々しいウサギさえ倒せばアイスはすぐそこで蓋を開けて私を待っている。心を折っている暇など、無い。

「12xの2乗+9x−1」
「…ちっ、まぁいいだろう」

今日を除けば残り2日。打開策は見つからないまま刻一刻と放課後が近づいている。

「おっ、気合い入ってんな!」

今日から釘崎さんはパンダ先輩に指導を受けることになっており、今まで分割して受けてきた真希先輩の攻撃は全て私ひとりが請け負うことになる。以前の私と比べたら真希先輩相手に反撃できるようになってきたけれど、ウサギに殴られているうちはまだまだヒヨっ子だ。せめてみんなの足を引っ張らない程度には強くならないと。

「なまえ、お前最近調子よさそうだな。先週までパンダに投げられてた奴には見えねぇなぁ」
「まぁ、私もそれなりに強くなろうと思って」

言えない。高級アイスを賭けて毎日ぬいぐるみと殴りあっているなんて口にしたら絶対に笑われる。最低でも2週間は笑いのネタにされるだろう。鉈を構え真希先輩の合図と共に攻め込む。真希先輩に言われたとおり、私自身それなりに動けるようになったと思っている。けれど真希先輩にもあの兎にも1発入れることが出来ないのは暗に私には武術の才能が無いことを仄めかしているからだろうか。昨夜もウサギの体に攻撃が掠ることもなく気づけば瓦礫の下で眠っていて、目を覚ました頃には既にウサギの姿は見当たらず時刻は丑三つ時を回っていた。悔しい。せめて一発決め込むことができれば。そもそもあのウサギ腕も足も長い上に動きが速いからこっちが攻め込む前に攻撃をくらってしまうんだよなぁ。思い切って武器を変えようか。今よりもっとリーチが長く1発の殺傷能力が強い武器とか、

「考えごとか?」

風を斬る音に思考を現実に戻し慌てて膝を曲げる。頭上を通過した一線にホッと安堵した直後、間髪入れず襲いかかった刀身になまえは峰を踏み台にクルンっと体を回転させた。今のは危なかった。手足に着いた芝を払いバクバクと拍動する心臓を手で抑えるなまえに真希はいい動きだったと手を叩く。憧れの人に褒められ素直に嬉しいと思う反面、いい動きだったとしてもいい攻めができないとウサギには勝てないと締りの無い頬を叩き喝を入れる。

「あの、真希先輩は自分よりも体格が良くて腕っ節の強い相手にどうやって勝とうと思いますか」
「ん?どうした急に」
「いえ、参考までに聞いておきたくて」
「なまえ…まさかお前悟に喧嘩売る気か?やめとけって。確かにアイツはウザ絡みしてくるし、たまにぶん殴ってやりたくなる気持ちもわからなくはねぇが、あれでも一応実力を兼ね備えた教師だ。我慢しろ」
「いや、ただ参考までに聞きたかっただで別に五条先生を殴りたい訳では無いです」

五条先生に対する伏黒君や釘崎さんの態度からあまり尊敬されていないことは察していたもののここまで生徒に存外な扱いをされる先生初めて見た。まぁあの適当さと軽薄さは納得せざるを得ない結果だが。真希先輩が言うように五条先生は確かに鬱陶しいし、言うこと為すこと適当だし、正直尊敬はしていない。が、今1番殴りたいのは五条先生ではなく野にはなってはいけない巨大な害獣だ。

「長物で挑むべきでしょうか?」
「必ずしもそういうわけじゃねぇと思うが、力で押し負けてんなら技で弱点を突くしかないな。たとえば懐に入り込んで刺すなり投げるなりしてさ」

刺すなり投げるなり…刺す、投げる。刺す、投げる…なるほど、やってみるか。

「刺す…投げる。投げる、刺す」

左から飛んでくるカーブがかかった拳を去なし、空いた胴目掛けて放った回し蹴りは持ち前の跳躍で距離を取られ空振り。ここまではいつも通りの動き。でもここからの展開は今日が初めて。正直今手放すのは惜しいけど、勝つためにはやるしかない。情けない雄叫びを上げながらなまえは握りしめていた鉈を走りながらウサギに向かって投げ飛ばす。小回りがきく体格なら普通はしゃがむなりして避けるだろうが、あの図体では避けるよりも弾き飛ばすに違いない。そして私の目論見取り、弾かれた鉈は壁に刺さり、獲物を放り捨てとうとう自暴自棄になったと油断させ、がら空きの懐へと滑り込む。漸く見つけた強敵の隙。思った以上に胸を掴んだ指が喰いこみ思わず口角がニヤリと上がる。流石人形、片手でも持ち上がりそうだ。抵抗される前になまえは左腕も掴み、グイッと体を引き寄せ地面へと叩きつけた。

「投げからの!」

ここで仕留めなければまた瓦礫の下。もう勘弁してくれとなまえはウサギの上に乗り上げると制服の袖に隠しておいたメスを握りしめ

「刺す」

心臓目掛けて深々と突き刺した。呪力が植え付けられた格部分に亀裂が入り、もう一度メスを振り下ろせばびちゃりとインクのような黒い液体が制服に飛び散った。生温いのに湯気がたっている。呪力というよりも怨霊の方が近いんじゃないのか。指一本動く気配のない呪骸から体を離し顔に伝う汗を甲で拭う。今までのパターンで行けばもう一体くるんじゃないか。唯一の入口に向け切っ先を向け身構える。すると予想通り暗闇から足音が明かりに向かって近づいてきた。ただし今までと違うことは現れた人物は人形ではなく見覚えのある人間ということだ。

「合格だ」

何が?
首を傾げるなまえへ夜蛾は約束通り条件を呑むと言った。その言葉に飛ばした鉈の回収も忘れ大喜びするなまえ。しかし次の一声で喜びの顔は凍りついた。

「みょうじ、お前にとって初めての任務だ。呪霊は今まで戦ってきた呪骸など比にならない。しっかり気を引き締めていけよ」

バッツ!バッツ!バッ…任務?

「任務ってなんの事ですか?」
「呪骸三体を2週間で倒すことができれば虎杖の任務に同行する」

初耳なんですけど。えっ、バッツと昇給の話しか私聞いてないんですけど。

「これは俺からの初任務祝いだ。大事に使えよ」

なんで初任務祝いが回転式拳銃なんだ。やっばり夜蛾学長ってそっち側の人間なんだろうか…任務行きたくないと断ったら沈められるだろうか。

「引率は悟が七海に頼んだらしい」

七海さんって誰!?


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