貴重な人材を守るため。
その一言が私から人権を剥ぎ取った。

東京都立呪術高等専門学校入学にあたり言われるがままに渡された書類に名前を書き誓約を結んだ。内容はよく覚えてない。だが相手は宗教系とはいえ腐っても教育機関。私が不利になるような内容は書かれていないだろうと信じ『氏名』の真横にただひたすらに自分の名前を書き記した。五条先生から渡された書類の厚みは約1センチ前後。小さな文字で長々と堅苦しい文字が綴られ、軽はずみにページを捲ったことを後悔した。例えるなら通販cmの真下のテロップ並みの小ささだ。それを明日までに名前を書いて提出しろというのだから慌てて空欄を潰すしかない。内容を見る余裕など1秒もなく、階段を2弾飛ばしで飛び降り滑り込みセーフの提出。今思えば少し期限をオーバーしてでも内容を細かく見ておくべきだったと、ふとした瞬間に後悔が押し寄せ頭を抱えたくなる。
情に訴えるようにお願いしますと頼んでもマニュアル通りにしか対応できない村人Aに我慢できず舌を打つ。『もういいです』と頭の硬い事務員に怒り心頭し、財布と靴を持って自室の窓から飛び降りた。真新しい制服に袖を通した僅か6日後の出来事だった。

冷めた学友を吃驚させたいから虎杖くんが生き返ったことは他言無用にして欲しい。悪い顔した五条先生の陳腐な企みを了承し“虎杖悠仁の名前は知っているがさほど関わりがなかった元同級生A”として空席の一つに鞄を下ろす。朝礼まで20分弱はまだ時間があるが既に両サイドの席は埋まっている。左の席に座りスマホをいじっている女の子が芻霊呪法の使い手、釘崎野薔薇。右の席に座り難しそうな本を読んでいる男の子が十種陰法術の使い手、伏黒恵。そしてその2人に挟まれた元虎杖くんの席に鞄をかけ浅く椅子に座る。五条先生から聞いた。たった2週間の仲ではあったが、2人は虎杖くんの友達だったと。流石虎杖くん、コミュニケーションお化け、鋼メンタル。私だけでなく転校先でも人たらしを発揮していたなんて、ちょっと妬けるかも。
学級に配属されて今日で3日目を迎える。常にお通夜ムード漂う教室では声一つ、椅子を引く音ですら気を遣う。先生から伝達してくれと頼まれた時は2人が居ないうちにチョークを摘み連絡事項を板書して伝えている。非効率且つ口で伝えろや案件なのは重々承知しているけど馴れ馴れしく話し掛けて無視されたら教室に居づらいから毎回腕の筋肉を鍛える事を名目に板書している。気まづさを回避できるのであればこの程度の労力どうってこと無い。
前の生活は勉強して、読書して、部活サボってを繰り返すだけの単調な日々だった。家に帰っても祖母は放任主義だったし勝手にご飯食べて、風呂入って、寝て、また起きて。そんな面白みにかけた生活サイクルだ。それに比べ高専の生活は一瞬の気の緩みも許さない過密スケジュールに足がもつれて転びそうになる。
学校は勉強をする場所だ。そのほとんどの時間を椅子に座り黒板を眺めて過ごすものが一般的だ。だがここ呪術高専は椅子に座っている時間よりも動き回っている時間の方が長い。
近々予定されている姉妹校交流会に向け2年生主催の特訓だと足の速いパンダとシャケの先輩の腕の中を往復するだけで一日の半分が過ぎ、放課後になると家入先生の助手として呪霊や人間の欠損死体の解剖を見学したり実際に切り刻んだりして、疲労困憊で部屋に戻り体に付着した錆びた鉄の匂いを石鹸の匂いで上塗りしているうちに日付はとっくに次の日へと変わっている。ここに来てまだ1桁しか経っていないというのに既に起床行為一つで胃に穴が空きそう、いやもう空いている気がする。今の心境を一言で表すなら、超しんどい。せめて最低でも一日2時間は椅子に座らせて欲しい。私の三半規管が過労死寸前だ。そもそもの話、何故非戦闘要員であるはずの私がパンダに投げ飛ばされなければいけないのか。というか呪術についてほぼ素人同然の人間をいきなり交流会に出すとかこの人達正気か?私まだ術式とか呪力とか専門用語すら頭に入ってないほぼ一般人みたいなものなんですけど。
真希先輩見かけ通り厳しいし、狗巻先輩何伝えたいか全然っ分からないし、パンダ先輩パンダだし。同級生は話しかけにくいわ五条先生は鬱陶しいわで、鬱憤は溜まる一方だ。唯一まともな話し相手としてカウントしている家入先生に至っては『慣れだ、慣れ』と新生活に悩む転校生の悩みよりも呪霊から抜き取った肉片に興味津々で心が折れそうだ。
休む暇もない生活を送る中で唯一の楽しみと言えば食事だが、その日解剖した被検体の損傷状態によっては一口も喉を通らない日だってある。それでもまた日付が変われば先輩達に雑に投げられ、板書をとって、モザイク必須の塊を切って、気絶するように眠って。週末が待ち遠しかった。そして待ち望んだ入学後初めての土曜の朝を迎え、ウキウキにベッドから飛び降りる…つもりが、腹部あたりに石でも詰め込んだような重く鈍い痛みに頭を抱えた。まさかと思いつつ腹部を時計回りに擦りながらトイレに駆け込む。数分後、絶句した。2週間は猶予があったはずだ。こんなに早く来るなんて聞いてない。生活習慣が大幅に変わった事で周期も狂ったのだろう。それにしても早すぎる。あと一週間は我慢できなかったのか。鞄の中を漁りかき集めた残数は少なく見積っても2日。心許無さすぎる。仕方がない、面倒臭いが買いに行くしかないと外出準備を整え部屋を施錠するが、畳み掛ける不運その2に海に向かって叫びたくなった。

「何処に行くつもりですか?」

…苦手なんだよなあ、この人。
敷地外につながる門を堂々と潜り抜ける手前で如何にも融通が効かなそうな事務職員にちょっと待てと呼び止められる。丸型レンズ越しに伝わってくる眼力は呪術師さながらの気迫を感じ話しているだけで谷底に蹴落とされそうな気分になる。

「ちょっと買い出しに外へ」
「みょうじなまえさん。貴女は同行者不在の外出は禁止されています。お引き取りを」

PC画面を見つめたまま淡々と外出許可は出さないと行動制限をかける事務員になまえはムッと口を曲げる。この人になんの権限があって私の行動に口出しするのか全くもって理解できない。私は行くぞとなまえは門を潜ろうとし、見えない何かに額をぶつけしゃがみこむ。フッと馬鹿にするような笑い声が聞こえる。いい性格しているわ。さすが呪術関係者。
さて、どうしようか。頼む相手は男、しかも仕事しかできなさそうな堅物ときた。とても生理用品が買いたいと頼んでも首を縦に振ってくれそうな人じゃない。ちょっとそこまで買い出しに行くだけだと、すぐに帰ってくる事を約束しても事務職員は「部屋に戻りなさい」の一点張りだ。大した買い物でもなかったはずが、大した買い物になりそうな予感がする。諦めず妥協案を探し続けている間も絶えず鈍い痛みが腹部を内側から殴り付け、折り合いのつかないやりとりに苛立ちが募っていく。

「…分かりました。では誰でもいいので女性の同行者を紹介して下さい」
「呪術保護規定に則り準1級相当の呪術師同伴でなければ外出許可は出せません。生憎、貴女が希望する準1級相当の女性呪術師は現在全員出払っています」
「...じゃあ男性でも構いません」
「男性も同様です」

腹痛だけで十分なのに頭どころか軽く吐き気までしてきた。そんなに外に出したくないならこの人が代わりに生理用品諸他一式を買ってきてくれないだろうか...訂正。お腹が痛すぎて大分血迷った。ただの事務員に多感な年頃の生理事情なんて知られたくないわ。

「すぐに帰ってきますから」
「何度も申し上げた通り外出許可を出すことはできません。入学時に誓約書へ署名、押印した瞬間から貴女の身柄は高専の管理下に置かれています。問題行動は慎むように。話はこれで終わりです。部屋に戻りなさいみょうじ なまえさん」

作業も話もこれで終わりだと強めに弾かれたエンターキーの悲鳴にグッと破裂寸前の感情を抑える。何の成果も得られず、ただ苛立ちと腹痛を抱え踵を返した。何も言い返せなかった。言われたことは全部その通りで文句のつけようも無かったから。焦っていたことを理由にサッと内容に目を通すこともせず、時間ばかり気にして署名した私が悪い。外出許可が下りなかったのも書類をよく読まなかった私が悪い。生理用品のストックを切らしていたのも日頃の確認を怠った私が悪い。全部自業自得。
このままマニュアル人形の前に立っていると自らの失態を棚に上げ理不尽に怒鳴り散らしてしまいそうだった。固く唇を結び背を向ける。怖いし気まづいけど釘崎さんに頼むしかなさそうだ。ため息をついて来た道を引き返そうした時、「ああ、そういえば」と発した事務職員になまえは足を止める。非番の呪術師を思い出したのかと期待したが、

「家入さんがみょうじさんくらいの歳だっだ頃 は友人に買いに行かせていましたよ。知人に頼みにくいものであれば通販で取り寄せることをおすすめします。そういうの得意でしょう、若者は」

うるせぇー!!お前の腹切り裂いて今すぐ子宮擬き作ってやろうかこの堅物クソメガネ野郎!!
ちっ、スマホ未所持勢のぼっちを嘲笑いやがって。人見知り貧乏学生がスマホを手に入れるまでに幾つライフとマネーを削らなければならないか、社会適合者にこの苦悩は分かるまい。ファミレスのボタン一つ押す前に深呼吸して気持ちを落ち着かせている人間の気持ちがね!こうなったらヤケだ。あのマニュアル人間に目にもの見せてやんよ。
枕をベッドの中心に置き上掛けをかけいい感じに膨らませる。これで何かあった時数秒は時間稼ぎできるだろう。あのマニュアル人間、まさか諦めたフリをして自室の窓から逃亡したと感づきはしないだろう。3階の窓から身を乗り出し大木を伝い塀を飛び越える。道路へ着地した際に数本骨にヒビが入る感覚を感じたが、1分あればこの程度の傷無かったことになる。痛みが完全に引くと長い坂道を全速力で下る。黒塗りの車には特に注意を払い、時には電柱の影に姿を隠す。気分は山から降りてきた猿だった。どっちに進めば人里まで降りれるのかは道路標識が教えてくれたが、kmで表示された道のりは疲労困憊の足にはかなり堪えた。途中で数件コンビニを見つけもうここで全部済ましてしまおうかとも思った。だが、どうせ無断外出がバレたところで叱る熱量は同じだろうしここまで来たら行くとこまで行ってしまえと、賑やかな音がする方へ走った。
コンクリートジャングルの端にたどり着くと中心部へ向かうため電車に乗った。それから生まれて初めて地下鉄に乗りその速さと安さに驚嘆した。電光掲示板を張りつけた空を狭めるビルの高さ、張り紙の多さ、道路の汚さ、映えそうなスイーツ店前にできた行列、スクランブル交差点、視界入る全てのものに目が眩んだ。

これが東京
これが都会

喧騒の中を歩き回り、大人気の文字につられて長い列に並びゴテゴテとしたクレープを手を汚しながら食べた。初めて食べた都会の味。甘くて、食べにくくて、すごく美味しかった。
何処を歩いても観光地、脱走する前に数分でも下調べしてくればよかった。本当にここで待ち合わせするんだとハチ公の銅像前で待ち合わせする人達を眺め、なんとなくこの逃避行もそろそろ終わる予感がして、真っ先に目に付いた免税店のドラッグストアに入店した。洗剤に化粧品、歯磨き粉、お茶パック、あとお菓子も買っておこう。必要最低限の生活用品は購買部で買えるけど種類が圧倒的に少ない上、下手したら高専生みんな同じ柔軟剤を使っているようなラインナップの悪さには不便で不便で仕方ない。コンビニと提携してくれないかなぁ。ま、あの少人数学校じゃ利益は見込めないだろうし無理な話か。
1ヶ月、いや最低でも3ヶ月は見越して買っておいた方がいいか。同じ商品を3つ4つと買い物かごに放り入れ、ちょっと棚を移動する度にああこれも必要だったと手を伸ばす。予定以上に大荷物になりそうな予感。カート持ってくるか。入口しか置いてないだろうかと辺りを見回していると「おいっ」と不意に背後から掛けられた面倒くさそうな声に思わず握っていたカゴをおとしかけた。なんで彼がここに。振り返った先に立っていた人物はスマホ片手に呆れた顔で私を見下ろしている。玉犬を隣に連れていた事から休日任務の帰りかと思ったが、ラフな格好に片手には店の名が記された袋を持っていた。私用で外出していたらしい。嗚呼、誰にも文句を言われず外出できるなんて、羨ましい。

「単身での外出は禁止されているはずだろ」
「それは、その…か、買い物が終わり次第すぐ高専に帰るから!」

脱走したわけじゃない。ちょっと買い物したくてお散歩感覚で高専を抜け出しただけだ。買い物が終わり次第戻るから事を大事にしないで欲しいと手を合わせ頼むなまえに伏黒は玉犬を影に戻しため息をつく。なんで彼がため息をつくのだろう。ため息をつきたいのは私なのに。だいたい皆大袈裟だ。高専に入る前は外出なんて数え切れないほどしてきたし、小学1年生頃から1人でお使いもこなしてきた。なのに高校生にもなって同伴者を伴わない外出は禁止とか、呪術会のお偉い様は一体私を何歳だと思っているのやら。
とりあえず捕まってしまったからにはしょうがないので、脱走の目的である生理用品だけは買って帰らなければ。重くなったカゴを握り直し生活用品売り場へ向かおうとした時、ポケットに突っ込んでいた伏黒くんの手がカゴの取手を掴んだ。取り出したスマホを耳に当て『見つかりました』『位置情報送ります』と高専関係者への連絡を終えた直後、彼はリードのごとくカゴを引きレジに向かって一直線に歩いていく。

「待って!まだ買い物終わってない」
「お前の都合なんて知るか。帰るぞ。これ以上補助監督困らせんじゃねぇ」

つんのめる足など構わずカゴを引っ張る伏黒になまえは足の裏に力を入れ必死に抵抗を試みる。まだレジには並べない。肝心の生理用品をカゴに入れてないのに、このまま高専に帰ったらただの散歩で終わってしまう。ちょっと待ってと猶予を求めるなまえに伏黒は聞く耳持たず足を止める気配もない。虎杖くんとは違うしなやかで繊細そうな長い指。勢いをつけたら奪い返せそうなのにビクともしない。

「1人で歩き回って事件に巻き込まれでもしたらどうする気だ。五条先生が出張してる間お前の監督責任を問われるのは伊地知さんだろ。迎え寄越してもらうよう連絡した。拾ってもらえる場所まで歩くぞ」

何故。何故それ程までになって過保護になりたがる。今まで私の人生に影ひとつ表さなかったくせに、助けて欲しい時に助けてくれなかったくせに。急に現れて、保護者面して、許可がないと外出できない?巫山戯るな。私は腐ったミカンのペットじゃない。
高く積み上げた苛立ちの山を見上げ握った小槌を素振りする。

「...余計なことしないでよ」

冷めきった自分の声はまるで他人のものに聞こえる。カゴを掴む手を離し無造作に跳ねる黒髪を睨みつけていると伏黒くんの堅物さが不意にあの事務職員にピッタリと重なた。見事なフルスイングで崩れ落ちていく負の感情に頭の奥がカーッと熱を上げる。膨らんでいく不平不満がパンっと弾け飛び、目の奥がチリチリと火花を上げた。

「ちょっと人の傷が治せるだけで寄って集って貴重貴重って。そんなに貴重な人材を桐箱に閉じ込めておきたいなら生理用品の一つや二つ支給してから文句言えよ!!」

言いたいことを全部ぶちまけた。溜まったもの全てを吐き出したらスッキリするかと思っていたのに、暴発した感情は不完全燃焼と言わんばかりに腹の底でグルグルと渦を巻いている。店内に響く声量で吐き散らかした思いの丈だが、事情を知らない人が聞けば私は頭のおかしい若者。周囲の冷かな呟きにハッとし、今更ながら口を押さえるも気まずい空気が肌を刺す。足を止めポカンと口を開けた伏黒君を前に視線が縦横無尽に忙しなく泳ぐ。謝らなくちゃ。これは完全に八つ当たりだ。けれど子供じみたプライドが邪魔をしてごめんと頭を下げることもできず、伏黒くんからカゴを奪い返し何事も無かったかのように商品棚に手を伸ばした。
お腹が痛い。薬も買っておかないと。取ってきたカートに2つめのカゴを乗せ目に付いたものを片っ端から手を伸ばす私の後ろを伏黒くんは黙々と後をついてくる。理不尽にキレられて怒っている。一体なんのつもりなのか、じっと丸まった背中に鋭い視線が刺さる。彼は時折溜息をつきながらも一定の距離を保ちつつ影のように追いかけてくる。レジに並んでいる最中も会計が終わったあとも向けられる視線が途切れることはなく、商品を袋に詰めている時も例外ではない。まさか買い物が終わるのを待ってくれているのだろうか。私が理不尽にキレたから?

「行くぞ。伊地知さんが外で待機してる」

荷物を袋に詰め終えるとずっと見ているだけだったくせに。袋のほとんどを当たり前のように肩にかけた伏黒君は伊地知さんの待機場所へと向かい、私はそれを小走りで着いていく。嫌な人だ。頼んでもないのに重たいものばかりが詰まった袋を運んでくれるその優しさが理不尽を強いる代表者と見立て一方的に責め立てた自身の行動に罪悪感が増していく。

「それくらい自分で持てる」
「体調が悪そうなやつに荷物運ばせるほど無神経じゃねぇよ」

お前何日分買い込んだんだ?
抱えた袋の数と重みに伏黒くんは呆れている。買い込んだのは4日分程度。呆れられるのも無理はない。長い足に見合わない小さい歩幅。理不尽な八つ当たりをかまされたのにも関わらず怒り返してはこない。そういう小さな親切と気遣いが煮えたぎった頭を冷やした。

「ごめん」
「別に気にしてない」

プライドを捨て絞り出した言葉をたった一言で根っこごと罪悪感を摘み取る。少しだけ肩が軽くなった気がする。

「行動に制限かけられてんなら通販で頼むなり誰かに頼めむなりすればいいだろ。お前の事情は俺達も先輩達も知ってるんだし、頼みにくい事なら釘崎か真希先輩にでも相談してみろよ。何だかんだ文句言いながらも買ってきてくれんだろ」

そんなの分からないよ。だって私君たちのこと何も知らないし。知らない人に私用を頼むなんて恐れ多くて無理だ。人付き合いが下手くそな人間には特に。もし頼むにしても先輩達は無い。頼むとするなら釘崎さん、でもあの人に買い物を頼むのもなんだかなぁ。授業外で話したことないからどんな人なのかいまいちよく分からないけど性格的に相性が合わない気がするし、多分私は彼女を苛つかせる。話し下手だし、優柔不断だし、流行りとかトレンドとかよく分からないし、都会寄りの田舎出身だし。釘崎のLINEは持ってないのか?と聞かれLINEどころかスマホもパソコンも持ってないと話すと伏黒くんはマジかと目を丸くする。

「みょうじ、おまえスマホ持ってないのか」
「貧乏学生だから」

欲しいとは何度か思ったけどお小遣いと称した1ヶ月分の食費、雑費込みのお金でカツカツの生活を送っていた為お金に余裕なんてなかった。情報源は本やテレビから。友達はほぼ0に近かったので連絡を取る相手なんてそもそも居なかったし、両親は私の話なんて聞いてくれるような人でもなかった。だからどんなに便利な機能が搭載されていたとしても私の生活には必要性を感じなかった。
前を歩いていた背中が消え斜め上に見慣れない顔が並ぶ。ガサガサとぶつかり合う袋を見兼ねてやっぱり一つ持つよと手を出そうとしたけれど、伸ばしかけてすぐに引っ込めた。言ったところでたぶん持たせてくれるような人じゃない気がしたからだ。

「荷物。持ってくれてありがとう」
「別に」

愛想が無い。でも伏黒くんがいなかったら今頃大荷物引き摺って歩いていただろうし、八つ当たりはしてしまったけど彼には感謝してる。少しだけ。
ドラッグストアを出て体感5分くらい歩いた先に黒い車が停車していた。連絡してからさほど時間は経っていないというのにあんな山奥から都心までよくぞまあ短時間で迎えに来てくれたものだ。探しましたよ!と青白い顔でハンドルを握る伊地知さんを他所に伏黒くんは黙々と後部座席に荷物を詰める。

「あっ、」

早く乗れと言われ大人しくステップを跨いだ直後、買い忘れたものに気づき足が止まる。

「どうした」
「買い忘れたの思い出して」
「すぐに必要なのか?」
「いや、そういう訳では無いけど」

なくても生活できるけど今後を見越したら必要だ。せっかく近郊に出てきたのだから伊地知さんにちょっと寄ってもらうのも一つの手だが、この人肩身狭そうだし休日出勤させてしまった手前これ以上困らせたら胃に穴空いて保健室送りになりそう。仕方がない。早速だけど恥を忍んで伏黒くんに頼むか。

「伏黒くん、申しわけないけど暇な時に買ってきてくれない?」
「別にいいけど。何買い忘れたんだ?」

「下着」

うっわぁ、凄い顔。今度虎杖くんに会った時話のネタにしよ。


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